【第274話】人の噂に……

「あら、まだそれを使うの? もう変装する必要はないと思うのだけど」


 早朝。


 クランハウスの玄関前でシリューが変装用のペンダントを着けようとすると、ハーティアが不思議な物でも見るかのような目をして尋ねた。


「うん、まあ、そうなんだけど……」


 ハーティアの言う通り、オルタンシアの一件も解決し依頼も完了した今、わざわざ正体を隠す必要はない。


「もしかして、まだ何か気になることでもあるのかしら」


 煮え切らない返事になってしまったことで、今度の事件に関わるようなものと思ったのか、ハーティアは眉をひそめ神妙な面持ちでシリューを見つめる。


「いや、そういうわけじゃないんだ。ただ、学園ではキッドで通そうかと思ってさ」


「ああ、そういうこと。まあいいけれど、あまり意味はないと思うわ」


「え?」


「だって……」


 ハーティアが意味深に笑って何か言いかけたとき、玄関のドアが開き「お待たせしました」と、ミリアムが息を弾ませて出てきた。


「あれ? シリューさん、まだ変装続けるんですか?」


 そう尋ねたミリアムの髪はピンクのままで、変装用のペンダントを着けてはいなかった。


「もしかして、結構気に入ってました?」


「気に入ってねーし。お前こそ、気に入ってたんじゃなかったっけ?」


 実は髪を染めることに少しだけ憧れを持っていた、などおくびにも出さず、シリューは平然とした顔でミリアムに聞き返す。


「金色の髪は好きなんですけど、ペンダントって……ちょっと、苦手で……」


 伏し目がちに答えるミリアムの声が徐々に小さくなり、終いには独り言のような呟きに変わっていったのは、彼女に何か思うところがあるのだろう。


 それっきり黙り込んでしまったミリアムの顔に、心なしか寂しさのようなものが見えた気がして、シリューはそれ以上何も聞かなかった。


「じゃあ、行こうか」


 ただ、ドアに鍵を掛けて通りに出るまでの短い間にも、ミリアムはすっかりいつも通りの笑顔に戻っていたことから、それはシリューの思い違いだったのかもしれない。



◇◇◇◇◇



 王都魔導学院の朝が他よりも比較的早いのは、そこが単なる教育機関ではなく、訓練を兼ねた軍事施設でもあるからだ。


 ここに通う生徒たちは皆、同盟各国の魔導士団や冒険者教会からの推薦を受けており、有事の際にはアルフォロメイ王国の指揮下に入り王都の防衛に当たる。


 とはいっても、今回のような事件は滅多に起こることではなく、生徒たちの日常は一般の若者とさほど変わるものでもない。


 ただ、いつもと同じように学院の正門を潜ったシリューは、何となくいつもと違う雰囲気に違和感を覚えた。


「何でしょう……何か、皆こっちを見てるような……」


 いち早くそのことに気付いたミリアムが、ちらちらとこちらの様子を窺う生徒たちに首を傾げる。


 そこかしこから向けられた視線の多くは女生徒からのもので、中には立ち止まり熱を込めて見つめてくるものもいた。


「あ……これって……」


 ミリアムはそろそろとシリューの顔を覗き込む。


「やっぱ、お前の髪目立つんじゃないか?」


「そんなわけないでしょう」


 とぼけたようなシリューの言葉を、ハーティアがぴしゃりと否定した。


 ピンクの髪色は目立ちはしても、注目を集めるものでもない。


 それに、生徒たちが見ているのは、ミリアムでもハーティアでもない。


「わかりませんか、シリューさん? 皆、シリューさんを見てるんですよ」


「そのペンダント。意味はないって言わなかったかしら?」


「え? いや、でも、髪も目も……」


 バレてはいないはず。


 そう思ったシリューの元に、たたた、っと二人組の女生徒が駆け寄って来た。


「おはようございます! あのっ、握手っ、してもらっても、いいですか?」


 ぺこりと頭を下げた女生徒は挨拶もそこそこに、戸惑いもせず右手を差し出す。


「え? まあ……いいけど」


 シリューが伸ばした手を女生徒は大胆にも両手で包み、千切れんばかりの勢いで上下に振った。


「あの、私もっ、お願いします!」


「あ、うん……」


 溢れる笑顔でシリューの手を握りしめた女生徒たち二人は、深くお辞儀して嬉しそうに駆け去って行く。


「きゃあ、握手してもらっちゃった」


「手、洗えないねっ」


 その二人を皮切りに、それまで様子を見ていた生徒たちが、私も私も、っとまるで蜜に吸い寄せられる蝶のようにシリューを取り囲んだ。


 ここまできて、ようやくシリューにも思い至る。


「闘うときだけ黒髪になるって、本当ですか?」


「本気で怒ると、目が黒くなるのも?」


 完全にバレている。しかも微妙に事実が湾曲されて。


「こ、これ、どうしよう……」


「さあ? 随分おモテになるのねぇ。そのだらしなく伸びた鼻の下、引きちぎってあげましょうかぁ?」


 ミリアムは黒いオーラを纏い口角を上げるが、半開きの目は笑っていない。


「後で、話しがあるわ。わかるわね」


 ハーティアの猫耳が後ろに倒れ、大きく見開かれた瞳からは切迫感さえ現れている。


 だが……。


「もしかして、『恋人の可憐な神官』さん!?」


「ふぇ!?」


「じゃあ、こちらが、『愛する麗しの令嬢』様!」


「にゃ!?」


 誰かが、ミリアムとハーティアのスイッチを入れた。


 シリューに加えて、ミリアムとハーティアも握手を求められたのは言うまでもない。


 いつもは2分と掛からない校舎までの道のりが、今朝はやけに遠く感じた三人だった。


 校舎の中では流石に自重したらしく、皆遠目に羨望の眼差しを向けるだけで、握手を求めてくる者はいなかった。


「じゃあ、ハーティア。ちゃんと見張っててくださいね」


「ええ、任せて」


 クラスの違うミリアムは、少し怨めしそうな顔でそう言うと、ちょこちょこ振り返りながら自分の教室へ入っていった。


「やあ、シリュー、ああいやキッド。今日はなかなか派手なパレードだったな」


 シリューたちが教室へ入ると、笑みを浮かべたドクが訳知り顔で片手を上げる。


 その表情を見て、シリューは今朝の一件の原因を突き止めた。


「そうか、なるほどね。あんたの仕業ってわけだ、ドク」


 だがドクは、悪びれもせずに肩を竦める。


「なんのことかなキッド? 俺は詩を2、3、朗読しただけさ。言っただろ、若者は常に新しい英雄を待ち望んでいるって」


「英雄ね……俺は、そんなものになりたいわけじゃない」


「それだ」


 ドクは眉をひそめて指を立てた。


「キッド、あんたは冒険者だ。なのにどうして、地位や名誉を求めないんだ? あんたは間違いなく、この国の英雄なのに」


「あんただって知ってるだろ? 俺は……」


 魔神の心臓との闘いにおいて、ドクはシリューの正体を知ることとなった。


 もちろん、事の秘匿性から、ディックやエマにその話は伝えていない。


「あんたは正当に評価されるべきだ。そうだろ、ティア?」


 にっこり笑って同意を求めたドクに、ハーティアは大きく頷いた。


「ええそうね。彼は彼、貴方は貴方よ」


 その言葉に迷いはない。


「何人もあんたに命を救われてる。この国も然り。それだけが事実であり真実さ」


 やたら芝居じみた台詞に感じるものの、ドクが本気でそう思っていることは十分に伝わってくる。


「そう、かもな……」


 シリューは独り言のように呟いて、ゆっくりと変装用のペンダントを外した。


 金の髪と青い目が漆黒に戻る。


「もう変装は必要ないってわかったかい?」


「うん、あんたのお陰だよ、ドク。このままほっとくと、ホントも嘘もごちゃ混ぜにして、面白おかしく話すヤツが出てきそうだし」


 外したペンダントとドクを交互に眺めながら、シリューは片方の口角を上げて笑った。


「まったくだ。人の噂に戸は立てられないって言うしな」


 あきらかにシリューの言葉の意味を理解したはずのドクが、まるで他人事のような態度で何度も頷いた。



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