【第273話】脳筋なミリアム?

「やめろ!」


「ひゃんっ。な、何ですかシリューさんっ!?」


 いきなり叫んだシリューの大声に、ミリアムは凍り付いたようにぴたりと止まった。


「何だじゃないっ、お前こそ何で蹴りなんだよ!」


 わざわざ棒を渡しているのだから、当然その棒を戦鎚代わりに攻撃してくると思っていた。


 そもそもこの模擬戦は、武器を持った相手に剣で対応するのが目的であって、徒手での格闘技術を磨きたいわけではない。


 その為の木剣であり棒なのだが。


「だって私、武器のないときは蹴り主体の戦い方ですもんっ」


「アホの子かお前っっ。手に持ってるのは何だよ!」


「え……?」


 ミリアムは左手に握った2m程の棒をまじまじと見つめた。


「?」


「いや、マジかお前……」


「よろけて、倒れそうになったときの、杖?」


「長すぎるだろっ」


「あ、言われてみれば、杖にしては長すぎですねぇ。戦鎚の柄くらい……はっ」


 ミリアムは自分の言葉でようやくその棒の意味に気付き、大きく瞳を見開いてゆっくりとシリューに顔を向ける。


「あ、あははは……そ、そういう意味、だったんですね、あは、はは……」


「お前……」


 もはや憐みの眼差し以外には、掛ける言葉さえ出てこない。


「いやぁあ、やめて、そんな、可哀想な小動物を見るような目でみないでくださいぃぃっ」


「可哀想な小動物より、お前の方がもっと可哀想……」


「もっといやあああ」


 棒を手放して頭を抱えて悶えるミリアムの肩を、シリューは少し強引に掴み動きを止める。


「一度落ち着け、時間が勿体ない」


 日暮れまではもう間もなくだし、近頃は日が沈んでしまえば暗くなるのも早い。


「ご、ごめんなさい。ちゃんとやりますっ」


 ミリアムは落とした棒を拾って両手に持ち、今度はしっかりと戦鎚の構えを取る。


「蹴りはナシな、絶対」


「絶対、ですか? あの、何で……?」


 蹴りを禁止された理由がわからず首を傾げたミリアムは、微妙に目を逸らしたままのシリューが、ちょいちょいと指差す部分を目で追った。


 胸、ではない。


 お腹。よりもう少し下、そう丁度……。


「スカート……っ!」


 自分の言葉でようやく状況を理解し、慌ててスカートの裾を抑えてももう遅い。


 シリューの目には、さっきの光景がしっかりと焼き付けられていた。


「みっ、見ました!? 見ましたよね!」


「うん、まあ……」


「もうやだぁっ、シリューさんのえっち!」


「え、あ、あの、ごめん……」


 自分のせいではないとわかってはいるものの、シリューがつい謝ってしまったのには理由がある。


 ミリアムは戦闘に集中したり何かに気を取られたりすると、自分の姿態に無頓着になりがちだ。


 そんな性質のため、今まで何度もスカートの中を見たことはあるし、更にその奥まで目にしたこともある。危機的な状況だったとはいえ、裸で抱き合ったことも一度だけ。


 いつになっても慣れるようなことはなく、特にミリアムを特別な存在だと認めてからは、余計に意識してしまい胸が熱くなるのと同時に、どこか後ろめたさを感じるようになった。


 わざわざ冷静に観察してみるまでもなく、ミリアムは理想のスタイルをもった絶世の美少女だ。


そんな彼女の露わになった太腿や、揺れるスカートから悩ましく見え隠れする下着にどきっとしても無理はない。


 深藍の執行者とか、断罪の白き翼と呼ばれ英雄扱いされるシリューといえど、もともとはただの健全な高校生なのだ。


「あ、謝らなくて、いいですよ。それに……二人のときはいいって……」


「ま、まあ、そうだな……誰も見てないし、二人の……」


「二人、ではないわ」


 何となく違う雰囲気になりつつあった空気を、傍で見ていたハーティアの声が打ち破った。


「ヒスイもいるの、です」


 複雑な表情で眉根を寄せているハーティアの肩で、ヒスイは煽るような笑顔を浮かべている。


「はわわっ、えと、違うんですっ」


「そ、そう。これは、その、ちょっとしたハプニングで……」


「まあ、それは見ればわかるけれど……」


 ハーティアはあたふたする二人の間に割って入り、ミリアムの姿を上から下までゆっくりと見澄ました。


「ねえ、この装備、装備よね。とても可愛いけれど、これって、シリューの好み?」


「そうです」


 ミリアムが即答する。


「違うわっ」


 違わないけれど違う。


 この装備はエロエルフのベアトリスがミリアムをイメージして独自にデザインしたものあり、けっしてシリューの趣味を反映したものではない。


 反映していない。


「本当に? 好み、ではないの?」


 ハーティアはシリューをじっと見つめ、ほぼわかっている答えを聞き出そうと問い詰める。


「でも、シリューさん、可愛いって言ってくれましたよね? これ」


 そう言ってミリアムは短いスカートの裾を両手で摘まみ、ぎりぎりまでたくし上げちょこんと首を傾けた。


「いや、まあ……嫌いじゃない、けど……」


 見ないようにと心がけていても、視線はどうしてもそこへいってしまう。


「そう……そうよね。わかった、私も頑張ってみるわ、期待していて」


「いや、何が?」


 ハーティアはそれには答えず、いたずらっぽい笑みを浮かべる。


「それより、いいの? もう日が暮れるわよ?」


「そ、そうだった。良くないっ、ミリアム!」


「は、はいっ」


 ハーティアが円から出たのを皮切りに、中断されていた模擬戦が再開された。


「本気でこいよ」


「当然です!」


 ミリアムは棒の中心近くを両手で持ち、右左に切り返しながら巧みに打ち込んでくる。


 シリューは両手の剣でそれを受けるが、ミリアムの一撃は思っていたよりもずっと速くて重い。


 まともに受け続ければ、すぐに木剣が折れてしまうだろう。


 鋭い突きを躱そうとしたところへ、ハーティアの声。


 円を越えそうになるが、何とか踏み留まりミリアムの空いた左肩を狙う。


 ミリアムはそれを棒の方端で逸らし、ほぼ同時に反対側でシリューの首目掛け叩きつける。


 屈みこんで躱したシリューは、隙のできたミリアムの腹に斬りつけるが、ミリアムはまるでそれが分かっていたかのように、垂直に立てた棒で受け止め、反動を使って回転させシリューの頭へと振り下ろす。


「詰めが甘いです!」


「お前もな!!」


 左の剣で受けたシリューは、更に右の剣も添えて思い切り弾き飛ばした。


 獣人以上のミリアムもさることながら、スピードとパワーはシリューが上だ。


 たまらずのけ反ったミリアムの左脚に向けて踏み込むも、ミリアムはそのままひらりと宙返りして躱す。


 風の魔法効果だろう、ミリアムの動きは軽い。


 それに対して、あえて機動を封じたシリューは、いつも通りの動きができないでいた。


 一定の間合いでの打ち合い。


 素人であるシリューの欠点が、はっきりと浮かび上がるシーンだ。


 そのことに、もちろんミリアムも気付いていた。


「どうしましたシリューさんっ。そんなんじゃ、私が一本とっちゃいますよ!」


 模擬戦は、二人の得物の軌跡が見えなくなるまで続けられた。



◇◇◇◇◇



「結局、一本も取れませんでした」


 荒い息遣いのミリアムがタオルで額の汗を拭いながら、それでもどこか安堵したように笑った。


「俺もだよ」


 休憩もせずにおそらく数百回は打ち合ったものの、シリューもミリアムもお互い相手を捉えることはできなかった。


「でも、意外でした。私、シリューさんから躰中めちゃめちゃにされると、思ってましたから」


「いや、誤解を受けるような言い方止めてくれる?」


 表現はともかく、一方的とはいかないまでも、二、三本、いやもう少しは取れると思っていた。


 それなのに、シリューの攻撃は悉くミリアムに止められるか躱されるかで、一度たりとも通らなかったのだ。


「私から見たら、二人とも十分、常人離れしているけれど……」


 ミリアムはおそらく、昼間絡んできたあの冒険者たちよりずっと強い。


 だから得るものがあるのではと模擬戦を頼んでみた。


「なあミリアム、俺の動きとかについて、何か気付いたところあるか?」


「気付いたところ、ですか? ええと、そうですねぇ……」


 ミリアムは腕組みして暫く考え込む。


「何か一つでもいいんだけど」


 何故、シリューが対人戦において素人と言われるのか、その理由の一端でも掴めればこれからの課題もはっきりする。


「そうですねぇ、ぐんっときてずばっ! ってかんじの動きでした!」


「うん、全然わからない。魔法と違って雑すぎだな……」


 治癒魔法を教わったときには理知的に見えたミリアムが、今はただの脳筋に見える。


「だって、体術は身体で覚えろって、師匠から教わりましたもん」


 その師匠とやらも、おそらくは脳筋だったのだろう。


「汗いっぱい掻いちゃったから、すぐお風呂準備しますね。あ、一緒に入ります?」


「入るかっ」


「え? 私も一緒にと思ったのだけれど、入らないの?」


 何故かハーティアも便乗してきた。


「いや、入るけど、一人で」


「ええぇ、残念ですねぇ。背中、流してあげますよ?」


「もちろん、それ以外にも、いろいろ、ねぇ?」


 揶揄っていることはわかるし、一日に何度も同じ手には乗らない。


「じゃあ、一緒に入ろうか。どんなことをしてくれるのか、楽しみだ。あ、もちろん俺からも、ちゃんとお返しするからさ」


「「え!?」」


 二人とも、明らかに動揺している。


「ヒスイはお邪魔しないように、今夜は別の部屋で寝るの、です」


 ヒスイの更なる煽りに、二人はとうとう耐えきれなくなった。


「ち、違うのヒスイちゃんっ。は、入りませんからねっっ、シリューさんのえっち!」


「じ、冗談に決まっているでしょう。いやらしいっ、ば、馬鹿なの、シリュー!」


 二人は逃げるように、クランハウスへと駆けてゆく。


「良かったのです?」


「まあ、いいんじゃない?」


 首を傾げるヒスイに、シリューは肩を竦めてみせる。


 すっかり暗くなった庭に、ばたん、とドアの閉まる音が響く。


「ぐんっときて、ずばっ! か……」


 それもまあいいか、とシリューは涼し気に笑った。


 

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