【第276話】証し
「そうだ、これを君に」
握手の後で、ウィリアムは自分のマジックボックスから、無垢材で作られたルースケースを取り出した。
大きさは文庫本を三冊ほど重ね少し細くした程度だろうか。
蝶番の使用されていないケースには、表面にシリューの知らない紋章が刻印され、いかにもな高級感を醸し出している。
「あの、これは?」
この場で開けることは憚られるため、受け取ったシリューは尋ねるだけに留めた。
「今回の礼にと思ってね。私からの心尽くしだよ、是非とも受け取ってくれ。君が何か困ったとき、少しは役に立つかもしれないからね」
ウィリアムの目は朗らかに笑っているものの、絶対に受け取らせるという、押しの強さが滲み出ている。
ちらっとタンストールの顔をみれば、彼も素直に受け取りなさいと頷いた。
「ありがとうございます。そのときには是非、使わせていただきます」
中身が何なのかはわからないが、便宜上そう答えておく。
国王自身が「役に立つ」と言う以上、本当に役に立つ物なのだろう。
使う気は一切ないが。
「では、これで失礼します」
「ああ、またいつか、ゆっくり話をしよう」
最後にもう一度最敬礼をして退出したシリューは、学院長室から十分遠ざかった所で立ち止まり、溜まっていた緊張を全て吐き出すように大きな溜息をついた。
「ドクのやつ、やってくれたな」
シめるのは後にするとして、一言二言文句を言ってやらないと気が済まない。
シリューは、ミリアムたちが待っているであろうカフェテリアへと早足で向かった。
◇◇◇◇◇
「シリューさんまだかなぁ、報告にしてはちょっと遅いですねぇ」
昼休みも半分を過ぎたころ、カフェテリアのいつもの席で、ミリアムは入口にシリューの姿を探しながら誰とはなしに呟いた。
「もしかしたら、思いがけない来客でもあったのかもね。二人とも、先に食事を済ませたら?」
ドクは食後の紅茶を口に運びながら、未だにシリューを待ち続けるミリアムとハーティアにそう勧めた。
「まだ時間が掛かるかもしれないしな。別に、待っててくれと頼まれたわけでもないだろう」
「それは、そうですけど……」
「何となく、ね」
おそらく、シリューも同じようなことを言うはずだと、ミリアムにもハーティアにもわかっている。
でもこれは義理や理屈ではない。
「ディックはわかるけど、ドクまでそんなことを言うとはね」
さも意外、といった調子で、エマは大袈裟に肩を竦めた。
「あ、ああ、そうか……これは失敬」
「何がだ?」
ドクは感づいたようだが、ディックは相変わらず何のことかわかっていない。
ディックの感性は、ある意味シリューと近いのかもしれない。
ふとミリアムがそう考えているところへ、ようやくシリューが食堂の入口に姿を現した。
「シリューさん、遅かったですね」
「ああそうなんだ、だいたいド……」
指差そうと上げたシリューの手を、ハーティアがさっと握りしめる。
「話は料理を取って来てからにしましょう、ほら」
「お腹空きましたね。シリューさんの好きなパスタサラダ、残ってるかなぁ」
当然のように、ミリアムがもう片方の手を取る。
「あれ? もしかして、待っててくれたのか?」
ミリアムとハーティアの座っていた席にだけ、トレイが置かれていないことに気付いたシリューが二人の顔を見比べた。
「先に食べて良かったのに……でも、ありがと、嬉しいよ」
「あ、い、いえ。大したことじゃないので、気にしないでくださいっ」
「そ、そうよ。別に、お礼を言われるほどのことではないわ」
言葉と裏腹に、シリューの手を引くミリアムとハーティアの声は心なしか弾んでいた。
料理を選ぶ三人の背中を眺めて、エマが一つ溜息を零す。
「ディックも、シリューを見習うべきね」
「は?」
「さすがは師匠。心得てるな」
腕組みをしたドクが、うんうんと頷く。
「だから、何の話だ」
話の見えないディックだけが一人、眉をひそめる。
「言葉は大切、という話よ」
「ますますわからん。さっきの会話の何処に、そんな要素があった?」
王国魔導士として常日頃から毅然とした態度を貫き、紳士的に振舞うことを心掛けるディックの生き方には、エマもドクも頭の下がる思いでいた。
ただ、だからといって、人との接し方を心得ているかというとそうでもない。
「ミリアムとハーティアは勝手に待っていただけだ、合理的な行動とはいえない。何故、礼を言う必要があるんだ?」
もちろんディックには少しも悪気はない。
「なあディック。俺はお前のそういうところ、気に入ってるよ」
「そうね、それがディックだものね」
ドクは生暖かい目で、エマは諦めにも似た表情でディックを見つめる。
「勝手にしろ」
特にへそを曲げるわけでもなく、ディックはまったく表情を変えずに言い放った。
「何の話?」
そうしているうちに、料理を載せたトレイを持ってシリューたちが戻り、六人掛けのテーブルに、ドクたち三人と向かい合う形で座る。
「いや、ただの雑談さ。それより、あんたの方はどうだった?」
一瞬、ドクがにやりと笑ったのを、シリューは見逃さなかった。
「やっぱ、あんたが仕組んだのか……」
「いやいや、仕組んだとは人聞きの悪い。俺は、舞台を整えただけだよ」
ドクは悪びれもせずに肩を竦める。
「何の話しですか?」
「相変わらず、回りくどいわね」
さっさと本題に入ってほしい、ミリアムもハーティアもそんな顔をしている。
「報告に行ったら、学院長室に王様がいた」
シリューは何の前置きもなく、そう言った。
「へぇ、王様が……」
「そう、王様……」
あまりにも端的すぎたため、ミリアムとハーティアだけでなくディックやエマも、言葉の意味をすぐには理解できなかった。
暫く沈黙が続いた後。
「王様っっ!?」
ドクを除いた四人が、目を見開いて同時に声を上げた。
「うん、俺も驚いた。まあ、大した話はしてないんだけど、何か、今回のお礼にってこれを貰った」
シリューは木製のルースケースを開けて、皆から見えるようにテーブルの中央に置く。
「こ、これ、は……」
「嘘……」
ディックとエマは驚愕の表情を浮かべる。
「ブローチ? 何かそれなりに価値はありそうだけど」
ケースに収められたそれは、ミスリル細工で作られた龍をモチーフにデザインされ、中心には蒼く輝く宝石がはめ込まれた、美しさと荘厳さを併せ持つ装飾品だった。
「待って、本物をこんな間近に見るのは、初めてだわ……」
「私も、絵でしか、見たことありません……」
ハーティアもミリアムも、それを目にした直後から硬直してしまっている。
「親父……思い切った決断をしたな……」
王子であるドクさえ、ある種の緊張を覚えたようだ。
「何か、困ったときに役に立つらしいけど。売れば一財産になるってことかな?」
ただ一人、シリューだけがその価値を解っていなかった。
「売るなよ……」
ディックは青白い顔で呟いた。
「売れないわよ……」
エマの額には汗が滲んでいる。
「なんだ、売れないのか。ま、金に困ってるわけじゃないからいいけど……って、何? 皆なんか怖いんだけど……」
シリューが見渡すと、何故か全員が神妙な目で見つめていた。
「いや、待って。これって、一体何なの?」
それに応えたのはドクだった。
「役に立つさ、あんたの魔法と同じかそれ以上にね。これを見せれば、国や連合に害が及ばない限り、貴族だろうが騎士団だろうがあんたの命令に従う。あんたの命令は、国王の命令に等しい」
「ちょっ、何……それ」
あまりにも話が大き過ぎて、理解が追い付かない。
「父の『鳳翼闘将』と並ぶ栄誉称号。永らくその座は空いたままだったのだけれど……」
「あんたは国王によって『
「え」
そんな話聞いてない!!
シリューは大声で叫びたい気分になった。
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