【第271話】足りないもの
「いらっしゃいませハーティア様。今日はご友人の方とご一緒ですか?」
店へ入るなり、店員がハーティアの名を呼び挨拶したことに、シリューは内心驚いていた。
一体、王都の高級店でハーティアを知らない者がどれほどいるのだろうか。
「ええ。彼の剣を選びたいの」
「なるほど、ご友人の……」
ハーティアが向けた手に導かれてシリューの顔を見たその店員は、にこやかな表情でハーティアに視線を戻したかと思うと、はっとなって目を見開きもう一度シリューに顔を向けた。
「あの、不躾ではございますが、もしや貴方はシリュー・アスカ様では?」
「あ、はい。そうですけど……」
不躾ではないが唐突だ。
まさかこんな所で自分を知っている者がいるとは。
何故だろうとシリューが考える暇もなく、店員はやや早口で少し興奮気味にまくしたてる。
「やはりそうでしたか! いやあお若いとは伺っておりましたがまさかこれ程とはっ。何故知っているのかと仰る? いえいえ、レグノスで五十人(・・・)の盗賊団を捕らえ、恋人である可憐な神官を救出。王都へ向かう道中に二体のオルデラオクトナリアと魔物の群れ数百体を瞬殺して愛する麗しき令嬢とキャラバンを救い、更にこの王都でも魔獣と戦いこれを粉砕。もはやこの界隈で『深藍の執行者』シリュー・アスカ様の名を知らぬ者がおりましょうか!!」
「いや、違うから。違わないけど違うから」
何故だろう、全然嬉しくない。
それにどういう訳か所々数が水増しされているうえ、かなりの脚色もみられる。特に『恋人~』と『愛する~』あたりが。
今でさえ微妙だと思っているシリューには、あの当時全くそんな関係性はなかったと断言できる。
「なあ、二人とも何とか言って……」
手遅れだった。
二人とも顔を真っ赤に染めて、ミリアムはゆらゆら揺れているし、ハーティアはぷるぷる震えている。
「あの……武器見せてもらっていいですか」
再起動に暫く時間が掛かりそうな二人をそのままに、シリューは剣を選ぶことに決めた。
「ええ、どうぞご自由に。剣と長柄物は一階に、弓やその他の武器は二階にございます。陳列された商品は手に取っていただいて結構ですよ。シリュー様のお眼鏡にかなう物があればいいのですが。では、御用の際にはお呼びください」
簡単な店の説明をして、店員は中央のカウンターへ戻って行った。
レグノスの『怒りの葡萄』とは違い店内は明るく、商品である剣はすべて抜身のまま、分厚い布を敷いた棚に横たえられている。
一振り毎に詳細の記されたカードが添えられているため、わざわざ【解析】を使う必要もない。
ただし、どれもこれもシリューの持っていた剣より遥かに高価で、最低でも9000ディールからなのは、さすが高級店といったところか。
中には見覚えのある解説が書かれた物もあった。
『魔鉄の剣』
魔鉄製・1137年製造・剣工ドワーフのバダス・金額1万5000ディール
怒りの葡萄で見た物よりも若干安いようだが、見た目の違いも良し悪しもシリューに分かるはずもない。
とりあえずその剣を手に取り、軽く振ってみる。
「なかなか良い物に目を付けたわね」
どうやら無事再起動を果たしたようで、ハーティアがミリアムと並んで後ろから様子を窺っていた。
「バダスの剣は質実剛健、とても頑強なことで知られているわ。同じ長さの剣と比べて重量があるから、大型の魔物と対峙するには最適ね。その代わり、対人戦には向かないかも」
「へぇ、なるほどね。確かにそんな感じだな……」
改めてもう一度振ってみても、超強化されたシリューには菜箸を振るようなもので、ハーティアの言うほど重量があるようには思えない。
「でも、あの、お、お値段が……」
シリューが剣を元の棚に戻すと、覗き込んだミリアムが血の気の引いたかおでその金額に息をのむ。
「そうね、バダスの剣は高い品質の割に手頃な値段だわ」
「たしかに。これなら何振りか、予備に買っとくのもアリかな」
「や、二人とも、ちょっと何言ってるのか分かんないです……」
もはや金銭感覚の吹き飛んでしまった二人とは違い、根っからの庶民でしかもようやく借金を返済したばかりのミリアムには、到底ついていける会話ではなかった。
「あら、お買い得と言ったのだけれど、そう思わない?」
「あくまでも予備の話しだよ。決めたわけじゃないけど、この値段なら持ってても無駄にはならないだろ?」
「ふ、二人とも、落ち着いてくだちゃっ、さいっっ。い、い、1万5000ディールといったら、世間一般の、年収の2倍でしゅっ!」
噛んだ。しかも二度。
「いや、お前が落ち着け」
「だだ、だって……いちまん……」
ミリアムは困ったようなハの字眉で、口元に拳を添える。
「でもミリアム? あなただって、世間一般の、年収ゆうに26年分の報酬を貰ったでしょう?」
「あうぅぅ思い出しましたぁ……」
目を回してふらふらしているミリアムの姿はまるで、レグノスに着いて間もない頃のシリューと同じだった。
「まあ、俺も初めはそんなかんじだったな」
そう言いつつも、金銭感覚が麻痺してしまっているのは否めない。
「気が大きくなり過ぎないように気を付けるとして、お前も早めに受け入れて納得した方がいいよ」
「受け……入れて……」
ミリアムは頭を抱えて身を捩り、場にそぐわない艶やかな声を漏らす。
「む、ムリ、そんなの無理ですぅっ。は、入りません、大きすぎてぇ、私、壊れちゃいますぅっ」
「うん、誤解されるような言い方、やめようか」
「シリュー……そ、そんなに?」
「いや、お前も黙れ」
「ご主人様は、とっても大きくて凄いの、ですっ」
「ヒスイ、ここぞとばかりに出てくるのやめて」
◇◇◇◇◇
結局、何も買わずに店を出た。
「そうですか、お気に召す物がございませんでしたか。いいえお気になさらず。またのお越しをお待ちしております」
爽やかに見送ってくれた店員の顔に、一瞬だけ浮かんだ残念そうな表情をシリューは見逃さなかった。
「いいのかな……」
「店員も言っていたでしょう。気にすることはないわ」
「そうです。武器は自分や仲間の命を守る物ですから、妥協しちゃいけませんよ」
あの後、幾つかの剣を持ってみたのだが、どれも何となく馴染まなかった。
ただ、何種類もの剣に触れて、掴めたような気がすることもあった。
「そうだな、ちょっと考えてみるよ」
シリューはふと、ミリアムに抱きしめられた自分の右腕に目をやる。
気付かないうちに切られていた袖は、本当に油断があったからなのだろうか。
「……違う……」
「え?」
小さな呟き声に、何事かとミリアムはシリューの顔を見上げた。
「ああ、いや、何でもない。それより、二人はよかったのか? 何も買わなくて」
「そうね、あまり使わないのだけれど、私は杖を持っているから」
そう言ってハーティアは、左手に青い宝石の埋め込まれた杖を出す。
「父から頂いた
杖は魔力を増幅したり、魔法の指向を精密にしてくれる代わりに体力を消耗するため、ハーティアは今まで使うことができなかったそうだ。
「私も。あの戦鎚はレグノスに派遣されるとき、聖女様から授かったものですから」
「聖女から?」
初めて戦鎚の出処を聞いた。
聖女から、というのだからかなりの一品なのだろう。いわれてみればミリアムの力であれだけ激しく扱っても、柄が曲がるどころか傷一つ付いていなかった。
「ヴァイスリージェント、という聖鎚なんです」
そんな高価な物を、とシリューは思ったのだがミリアム曰く、自分の躰の一部みたいに馴染んでいて心置きなく使えるらしい。
「そういえば、貴方が剣を使っているところを、見たことがないのだけれど?」
「私は何度か見ましたけど、とっても速い剣でしたよ。あ、でも、剣術というより、格闘に剣を組み合わせた、みたいなかんじでしたね」
「それって、添え物的な?」
ミリアムの言うことも、ハーティアの言うことも間違ってはいないのかもしれない。
何度も言われてきたが、ようは素人ということだ。
「そうか、やっぱり……」
これから何をするべきか。
自分に何が必要なのか。
一つの答えは見つかったような気がした。
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