【第270話】お食事はお行儀良く
この王都で最も高級な店。
ハーティアがそう言って案内したのは、まるで宮殿かと見紛うほど豪華絢爛な外観のレストランだった。
貴族の子女であるハーティアはともかく、シリューはもちろんのことミリアムもただの庶民だ。こんな格式の高そうな店に入ったことなど有るはずもない。
「ちょっ、ハーティアっ。ここって、この格好で入れるのか?」
見るからにドレスコード必須な雰囲気に飲まれ、シリューは思わず足を止める。
「大丈夫よ。昼間はスマートカジュアルで入れるわ」
そのスマートカジュアルというのが何なのかシリューが尋ねると、男性はジャケットにパンツ、女性はワンピースもしくはトップスにスカート、と簡単に説明してくれた。
出かける前に、一番いい服を着てくるようにと言ったのはこのためだったようだ。
「テーブルマナーは……私の真似をしていればいいわ。ミリアムは、わかるわよね?」
「はい。一通り教わりました」
駆け出しのミリアムにはまだまだ機会がないとはいえ、高位の神官ともなれば貴族や王族の晩餐会に呼ばれることもあるため、新人のうちにしっかりと躾られる。
緊張で委縮してしまっているシリューとは裏腹に、きらきらと期待に目を輝かせているミリアムには随分余裕があるようだ。
豪奢な扉を開いて中に入ると、ひと時も待たず黒いタキシードに身を包んだ給仕が、上品な笑みを浮かべて近づいてきた。
「これはこれはハーティア様、ご無沙汰しております」
「お久しぶり。予約はしていないのだけれど、席はあるかしら?」
店内を軽く見渡したところ、どのテーブルにも既に先客がいて空きは見当たらない。それでも混雑しているように見えないのは、テーブル同士の間隔が広いことに加え、意匠をこらした二本の円柱による視覚効果もあるようだ。
「はい。いつものお席でよろしければ、すぐにご案内いたしますが?」
「そうね、お願い」
「かしこまりました。どうぞこちらへ」
給仕に案内され二階への階段を昇る。
二階には間仕切りされた部屋がいくつかあり、入った部屋には窓際に四人掛けの丸テーブルが三つ、壁際に二人掛けのテーブル三つが並んでいた。
煌びやかな一階とは趣が異なり、所々に置かれた観葉植物とブラウンで統一された内装が、落ち着いた優雅な空間を演出している。
窓際の奥の席についてみて気付くのは、正面を向いてもどのテーブルの客とも目が合わないように配慮されていることだ。
メニューも見ずにハーティアが何かを注文したのだが、シリューにはそれがどんな料理なのか検討もつかなかった。
「なあハーティア。この店って、よく来るのか?」
シリューはおそるおそる尋ねた。
予約なしで入れる上に、満席の状態でも空けられているテーブル。
小説や映画などで見かけることはあっても、実際に目にするのは初めてでおそらくこれからもないだろう。
「父が懇意にしていてね、以前はよく一緒に来ていたわ。今は……私の収入では無理ね。今回の報酬があったから……二人を、是非連れてきたかったの。気に入ってもらえると良いのだけれど……」
「はい、もちろんです。でもハーティア? 私に気を遣わなくていいんですよ?」
「え……」
ハーティアはミリアムの顔を見つめて、少し驚いた表情を浮かべる。
「だってほら。私は私にできることを頑張るし、その時ハーティアに気を遣ったりする余裕なんて、たぶんありませんから。ねっ」
ちょこんっと首を傾けて、ミリアムは嫋やかに笑った。
最近、二人の間のやり取りが、シリューには理解できなくなってきている。
そういう時は、あえて聞き返したりしない方がいい。
経験を重ねて、シリューも少しは利口になった。
「さ、ハーティア」
ミリアムに促されても、ハーティアは暫くの間もじもじと戸惑う様子を見せ、それから大きく深呼吸をして胸に手を添えシリューを見つめた。
「……シリュー。是非貴方を連れてきたかったの。気に入ってもらえたら、嬉しいわ」
期待の色に染まる瞳と、返事を待つ笑顔の意味ならシリューにも分かる気がする。
とっておきの景色を、大切な人に見せたい。
思い上がりでないなら、ハーティアはそう思ってくれているのだろう。
「ありがとうハーティア。料理が楽しみだよ」
シリューは涼し気な笑みで応えた。
◇◇◇◇◇
「流石は王都一のレストラン。とっても美味しいお料理でしたねっ」
店を出るなり、ミリアムは満足そうに笑った。
「そうだな。ちょっと感激だよマジで」
料理の名前は結局覚えられなかったとはいえ、メインの肉料理はもちろん前菜もデザートも初めて経験する味だった。
想像していたよりテーブルマナーも難しくはなく、ハーティアの言葉で緊張の解れたシリューも、十分に料理を楽しむことができた。
「気に入ってもらえたみたいで嬉しいわ。シリューはもっとこう、ワイルドな感じが好みだと思っていたから」
ハーティアが少しだけほっとした表情をしたのは、シリューの嗜好に合うかどうか心配だったからだ。
「まあ、そういうのも好きだけど」
「今後はこうゆう機会も増えると思うわ。少しずつでいいから、慣れていってね」
「大丈夫ですよ、シリューさんは意外と繊細で几帳面なんです。ちゃぁんと、お行儀良くできましたもんね」
「おまっ、お前だって……」
何か一言くらい言い返してやりたいところだが、いつもの残念っぷりが発揮されることはなく、ミリアムは終始優雅な雰囲気を崩さず食事と会話を楽しんでいた。
「私が、どうかしましたか? ん?」
上から目線のドヤ顔もかわいいと思ってしまうことに、シリューには何故か敗北したような気分になる。
「お前だって、見惚れるくらいに完璧で綺麗だったよ」
「ひゃうっ!?」
これはちょっとした意趣返しだ。もちろん本音でもある。
「ハーティアも、ありがと。いつもと違うお前の一面を見られて、嬉しかったよ」
「にゃっ。わ、私もっ!?」
そしてこちらはとばっちりだ。
それでもシリューは止まらない。
「あれ? 俺って相当な果報者だよな? お前たちみたいな、めっちゃ美人さんが傍にいてくれてさ。これって神様に感謝するレベルじゃないかな」
「お願いシリュー、もうやめて。私、爆発しそう」
ハーティアは赤く染まった頬に手を添えて、生まれたての小鹿のように震えている。
「シリューさん、これ以上は私、し、死んじゃいます、ごめんなさい」
涙目でハーティア以上に真っ赤な顔を伏せるミリアムは、胸を手で押さえまるで水草かと思うほどゆらゆら揺れていた。
「あ、ごめん。ちょっと調子良すぎたよな。でも、どれも本音だから」
「みゅっ!?」
「にゃんっ!?」
最もさりげない言葉が、最も重い一撃となった。
それから二人が元のテンションに戻るまで、店の向かいにある噴水広場のベンチでのんびり待つこと半時。
ようやく気を取り直したハーティアがすっくと立ちあがり、まだ少し照れたような仕草で半ば眠りかけたシリューの手を引いた。
「ここでまったりと過ごすのも悪くはないのだけれど、そろそろ行きましょう」
「そうですね、シリューさんの剣を買わないと」
ハーティアよりも慣れているはずのミリアムも、髪からのぞく耳にほんの僅かな赤みが残っている。
「とりあえず、一番高い武器屋を見てみましょう。貴方なら、魔剣でも何でも、大概の物を買えると思うわ」
レグノスで売ったワイバーンの分も合わせて、もう50万ディール以上はあるので、ハーティアの言う通りかもしれない。
ただ、そこまで大金を掛けるつもりはないが。
「武器屋って頑固オヤジのイメージがあるんだけど、
レグノスでのインパクトが強かったせいで、シリューにはそんなイメージが出来上がっていた
「そんなことはないと思うけれど……。それは武器職人が店主の場合ではないかしら。王都の武器屋はそれぞれ何人かの職人を抱えていて、その職人たちが納入した武器を売っているの。もちろん大きな店になれば、迷宮で探索された物や外国からも仕入れたりしているわ」
ただし、迷宮からの魔剣などは冒険者がそのまま使うことが多いらしく、滅多に市場に出回ることはないらしい。
「ほら、ここよ」
ハーティアが指さしたのは、レグノスの『怒りの葡萄』よりも5倍は大きな構えの店だった。
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