【第269話】存分にやってください!

「この辺りでいいか……」


 シリューは今は誰も住んでいない、街外れにある洋館の壊れた門を潜り立ち止まった。


 ここなら誰にも見られずに済むだろう。


 冒険者同士の私闘は規則によって一応は禁止されているものの、こうしたいざこざや喧嘩は珍しくもない。


 基本的に、死人が出ない限り罰則を受けることもなく、口頭注意程度で納められるものだ。


 ただ、だからといって、堂々と冒険者ギルドの目の前で争うのは不味い。


「シリューさん、存分にやっちゃってください」


「殺さない程度に。でも、今後余計な容喙ようかいができないくらいには徹底して」


 下らないただの喧嘩なら買うつもりはない。


 しかしハーティアとミリアムは、シリューが侮辱されたことに怒っているのだ。


 そしてなにより、その二人に不快な思いをさせた以上黙って見過ごすわけにはいかない。


「ここからは俺が相手するよ」


 シリューは上着を脱いで、ミリアムに渡す。


「いきがるなよ。足が震えてるんじゃねえのかお前? 俺は優しいからな。今だったら、女を渡せば二、三発で許してやってもいいぞ?」


「二人とも俺たちのとこで楽しませてやるから、心配すんな。ま、お前は使い走りだけどよ、ぐはははは」


 かわいそうな奴らだな、とシリューは思った。


 今日まで、自分よりも弱いとみた相手に対して、とことん高圧的に接してきたのだろう。それがまかり通ってきたため、下手にでる者に徹底して力を誇示し、傲慢で不条理な条件を押し付けることを当然と思うようになったようだ。


 そういう連中はいつかその態度によって身を崩す。


 例えば今日のように。


「お喋りな連中だな、いい加減うんざりだ。時間の無駄だから、まとめてかかってこいよ」



 自分のことを何と言われても気にならないが、ミリアムやハーティアをまるで物のように言うのは許す気になれない。


「どうした? グロムレパードたった五体を狩ったのが自慢なんだろ? 見せてみろよ、その程度しかない実力をさ」


 煽ることなら、シリューはハーティアたち以上に才能がある。


 そして相対する男たちは、煽られることに慣れていなかった。


「ふざけんな! 望み通りボコボコにしてやんよ!」


 痺れを切らしたように、男が殴りかかってくる。


 が、遅い。


 事も無げに躱したシリューは、男の脇腹に右の拳を叩き込む。


「ぐふっ」


 膝をついた男は、白目をむき口からは泡を吹いて倒れた。


 あまりの早業に、男たちが息をのむ。


「あれ? 随分手ごたえのないヤツだな。ホントに冒険者か? まあCランクじゃ無理もないか」


 シリューはゼスターに言われた言葉を、そっくりそのまま返した。


「俺は優しいんだ。全員で掛かってくることを許してやるよ」


 更に煽りの言葉を一言。


「その言葉ぁっ、後悔させてやるぜぇ!」


 酷くプライドを傷つけられた男たちは、ゼスターを含めて全員が剣を抜いて襲い掛かってきた。


 右側の男が剣を振り下ろす間際、懐に入ったシリューは男の鳩尾を左肘で強打。崩れ落ちる男の腕を掴み、隣の男の剣を掴んだ男の剣で受ける。そのまま回転し、二人まとめて後ろ回し蹴りで吹き飛ばす。


「ぎゃっ」


「ぐえっ」


 ばきっ、と骨が折れた音がしたが死んではいない。


「くそっ」


 もう一人の男が背後から斬りつけてくるのをすぐさま振り向いて躱し、隙のできた首筋に手刀を打ちつける。


「がはっ」


 ここまで五秒と掛かっていない。


「くっ……少しはやるようだな……」


 瞬く内に四人を倒されたゼスターは、歪んだ表情でシリューを睨み剣を構えなおす。


「なんだ、足が震えてるんじゃないのか? 本当に強いヤツと戦ったことないんだろあんた。まあ、これも社会勉強だよ。ここで、泥の味を味わっていくといい」


「だ、黙れぇ! 俺はエリートだぁ!!」


 怒りに任せたゼスターの一閃をシリューはひらりと躱し、その顔面に左の拳を一撃。続けざまに右、左の合わせて三発を打ち込むと、ゼスターは全身の力を失って蒟蒻のように震えながら倒れた。


「ああ、因みに。俺は一度にグロムレパード二十体を倒した……って……」


「もう聞こえていないわ」


「次からは、そういう大事なことは、先に教えておいた方がいいですよ」


 ハーティアとミリアムが冗談交じりの言葉を口にしながら、倒れて蹲る男たちを一瞥する。


「ありがとうございます、シリューさん」


「ごめんなさい、余計な手間をとらせてしまって。でも、ありがとうシリュー」


 そっとシリューに寄り添う二人の顔には、柔らかで少しだけ誇らしげな微笑が浮かんでいた。


 お礼を言われることじゃない。


 二人の笑顔を目にしたシリューは、そう言おうとして止めた。


 ミリアムにしてもハーティアにしても、相当に不愉快な思いをさせられたのだ。


 解決の方法が最終的に暴力という形になってしまったことに些か後ろめたさを感じてしまうものの、では話し合いで事なきを得たかというとそれは期待できなかっただろう。


「この連中、どうしようか?」


「このまま寝かせておけばいいわ。そのうち目が覚めるでしょう」


「治癒魔法を掛けてやる義理もないですし、治癒院まで歩くくらいはできると思います」


 それにこれ以上関わりたくもないと、二人は声を揃えて付け加えた。


 もちろん、シリューの意見も二人と同じだ。


 骨の二、三本は折れているとしても、手加減はしたし死ぬほどの怪我ではない。


「シリューさん、袖が……」


 預かっていた上着を渡そうとしたミリアムが、心配そうに眉根を寄せてシリューの右腕を指差す。


「あれ、いつの間に……」


 十分余裕をもって躱したはずだが、僅かに目測を誤ったのだろう。もしかすると誰かの落とした剣が、知らないうちに掠めたのかもしれない。


 見ると肘の少し上の部分が、2、3cm程度切れていた。


「大丈夫なの? ちょっと見せなさい」


 少しきつい言い方をしつつもハーティアは優しくシリューの腕をとり、切れた袖の部分にそっと指を沿わせる。


「良かった、怪我はないみたいね」


「ま、怪我してても、治癒魔法で治せばいいけど……」


「そういう問題ではないわ」


 ほんの軽い気持ちでそう言ったシリューを、ハーティアはまるで危ないいたずらをした子供を叱るような顔で、ぴしゃりと窘めた。


「こんなことで、シリューさんが傷つくのは、嫌です」


 つまらないトラブルに巻き込まれたことを自分たちのせいだと思ったのか、ミリアムもハーティアもどこか畏まって頭を下げる。


「ちょっと油断してたかもな。次はもっとスマートにやるよ」


 シリューが上着に手を通しながら、少し語尾の上がった「ありがと」を付け足すと、そのさりげない言葉の中にある意味を感じとったのだろう、ミリアムとハーティアは顔を上げてお互いに向き合った後、はにかむような笑みでこくんっと頷いた。


「楽しい気分が台無しになっちゃったな。ほら、飯でも食って気晴らししよう。その後で、買い物だったよな?」


「そうね、王都なら任せて。良いお店、紹介するわ」


「先ずは、シリューさんの剣、ですね」


 ミリアムがぴんっと指を立てる。


 忘れていたわけではないが、今回の戦いで一振りは完全に折れ、もう一振りもぼろぼろに刃こぼれし使い物にならなくなっていた。


 ただ、せっかくのデートに(これはきっとデートだと、シリューにも自覚はあった)武器屋というのはいかがなものか。


「や、それはまた今度でいいよ。楽しくもないだろ? 武器屋なんて」


「そうでもないわ、私は好きよ」


「私も、ちょっとわくわくしますっ」


 ハーティアもミリアムも特に気を遣っている様子はなく、楽しそうに微笑んでいる。


 ミリアムはもとより、ハーティアもなかなかの武闘派のようだ。


「剣、か……」


 シリューは地面に転がる剣に目を落とし、溜息のように呟いた。




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