【第260話】死なせない!
時間がない。
朝に一度目を開いたハーティアは、シリューたちの呼びかけに応える様子もなく、意味の分からない言葉を喋って再び眠ってしまった。
それから夜を迎えた今まで、目を覚ますこともなく眠り続けている。
もってあと2、3日。
担当の医師は、悲痛な表情でそう告げた。
「くそっ、何とかならないのかっ」
中庭のベンチに腰掛け、シリューは拳をきつく握りしめた。
ふと見上げた空に瞬く星たちも、答えを与えてはくれない。
時間だけが無情に過ぎてゆく。
あの時と同じように。
ただし、あの時の明日見僚とは違う。
今のシリュー・アスカには『生々流転』という力がある。
シリューは【探査】の
加えて磁気共鳴映像(MRⅠ)モードも試してみた。
その結果は。
専門知識も経験も無いシリューには、何をもって異常と判断すればいいのかさっぱり分からなかった。
単にX線やMRIの知識がほんの少しある程度では、何の役にも立たないと実感しただけですぐに手詰まりとなってしまった。
「何か……方法が……」
思考加速はせいぜい10秒程度を10倍の時間感覚にするくらいで、しかもクールタイムがあり長時間使うことはできない。
こうして考えている間にも、ハーティアの症状は徐々に悪化してゆく。
「シリューさん」
不意にミリアムの呼ぶ声が背後から聞こえて、シリューは思考の中から現実へと引き戻される。
「ミリアム……」
疲れを滲ませた表情で、シリューは振り返った。
「こんな所にいたら、風邪ひきますよ」
「うん、でも……」
ミリアムの顔を見上げ、シリューはふと思う。
穏やかな笑みを浮かべているミリアムは、もう受け入れているのだろうか。
ハーティアの死を。
神官として、治癒術士として、ミリアムは多くの死を看取ってきたのかもしれない。
その経験がおそらく、人の死に対する心構えのようなものをミリアムに与えてきたのだろう。
冷たい、とは思わない。
事務的な訳でもない。
ミリアムは心から、ここにいる全員が穏やかにその時を迎えられるようにと振舞っているのだ。
「お前は……やっぱり、すごいな……」
シリューは足元に視線を落とした。
名も知らない雑草が、小さな黄色い花をつかせている。まるで必死に生きようとするかのように。
「そんなこと、ありません」
ミリアムはベンチに腰掛けシリューに寄り添う。
「シリューさん……あの時と同じ顔、してます」
「あの時?」
何のことか察することができなかったシリューは、顔を上げてミリアムを見つめた。
「エラールの森で、私が両手を切られた時です。真っ青になって、怒ったような泣き出すような……とても焦った必死な顔……」
「そうか……」
確かにあの時、ミリアムの無くなってしまった両手を見て、激しい怒りが沸き上がった。
ミリアムの涙を目にして、悲しくなった。
何とかしたいと必死だった。
「……リジェネレーション……」
あの時に使った再生魔法が頭に浮かび、シリューは心の中で呟く。
「私、どこかで信じてるのかもしれません。きっと、シリューさん……」
ミリアムはそこで言葉を切り、すっと空を眺めた。
「そろそろ病室に戻りましょう、シリューさん。ハーティアが目を覚ますかもしれませんから。ね」
「そうだな」
ミリアムに促されて、シリューは彼女と一緒に立ち上がり病室へと向かった。
◇◇◇◇◇
真夜中を過ぎ東の空が薄っすらと白み始めた頃、ハーティアは何かを思い出したかのように目を開いた。
「父さま……ミリアム、シリューも……みんな揃って……そうか……私、もう……」
その声は虚ろなものではなく、しっかりと皆の耳に届いた。
ハーティアが何を思ったのか、クラウディウスはもちろん、シリューにもミリアムにも容易に察することができた。
「そうではない、ノエミ。お前はまだまだ大丈夫だ」
虚しく響くクラウディウスの言葉に、ハーティアは力なく首を振る。
「父さま」
「何だ」
クラウディウスはベッド脇の椅子に腰かけ、ハーティアの手を取った。
「父さま……父さまの期待に応えられなくて、ごめんなさい。出来損ないの私を……私を育ててくれて、ありがとうございます。父さま……愛しています……」
「ノエミ……お前は出来損ないなどではない。お前はシリュー殿を助け、立派にこの王都を守った。私はお前を誇りに思う。だから……生きてくれノエミっ……死なないでくれっ……」
クラウディウスの目には、薄っすらと涙が滲んでいた。
「ありがとうございます、父さま。その言葉だけで、私はもう満足です」
ハーティアは瞳を潤ませ、にっこりと微笑んだ。
「ミリアム……」
「はい」
クラウディウスが席を立ち、ミリアムと入れ替わる。
「ミリアム、あなたと一緒に過ごせて、今まで本当に楽しかった。あなたは、私の価値観を変えてくれた。私の心を軽くしてくれた。ミリアム……私のお友達になってくれてありがとう。シリューのこと、お願いします」
ミリアムは自分の拳を膝の上でぎゅっと握りしめ、唇をかんで涙を堪えた。
ハーティアに涙を見せたくない。せめて最後まで笑顔でいたい。
そんな思いが、ミリアムの涙をぎりぎりで止めていた。
「はい……心配しないで、ハーティア」
「ありがとう、ミリアム」
二人はお互いしっかりと頷くのだった。
「シリュー……」
「ああ」
最後に呼ばれたシリューは、ミリアムが離れるのを待って椅子に掛け、ハーティアの動かない手をぎゅっと握りしめる。
その手を見て、ハーティアは満足そうに笑ってみせた。
「ねえ、シリュー……」
「うん」
それからしばらく無言だったが、シリューはハーティアが口を開くのを待った。
「シリュー……私、貴方に会えて良かった……ねえシリュー、私、貴方の役に立てたかしら……」
「ああ、ああ、お前には、いっぱい助けられたよ」
「ふふ……顔に嘘って、書いてあるわ……ごめんなさいねシリュー、私はもう、約束を守れそうにない。最後まで迷惑を掛けたわ……」
「何も迷惑じゃないし、お前の言葉にも行動にも、助けられたのは本当だよ」
「最後まで、優しいのね……シリュー」
シリューはゆっくりと首を振った。
最後、と言ったハーティアの言葉が、どうしても受け入れられなかった。
「シリュー……」
「ん」
またしばらく、二人は見つめあったまま沈黙が続く。
それはほんの短い時間。
それでも二人には永遠とも思えるひと時。
優しく揺蕩う時間に包まれ、二人は同じ思いを噛みしめていた。
出会い、共闘、そして仲間へ。
いつの間にか芽生えていた淡い感情。
だが二人の想いは、無情にも刻まれる時の中に埋もれようとしていた。
何も遂げることなく、唐突に終わる旅のように。
ハーティアの瞳から大粒の涙が溢れて零れる。
「ハーティア?」
「どうしてっ……どうして、こんなっ……」
堰を切ったようにあふれ出した感情に耐えきれず、ハーティアは声を上げて泣き始める。
「わたしっ、貴方を、魔神から守ってあげたかった……ううん、ずっと一緒にいたかったっ。シリューっ、ようやく会えたのに、やっと会えたのに、またこんなお別れなんてっ……嫌だっ、嫌だよ……シリュー、私、貴方の傍にいたい、生きたいっ……死にたくないっ、死にたくないよぉっ……シリューっ、シ、リュ……」
「ハーティアっ!」
最悪の結果を思いぞっとしたシリューは、ハーティアの首元に手を添える。
脈はある、弱々しいが息もしている。
どうやら意識を失っただけのようで、シリューはほっと胸をなでおろす。
「ハーティア」
涙の痕をハンカチで拭うシリューの心に、ハーティアの命を奪おうとする病への憤りが芽生える。
それは徐々に膨らみ続け、やがて激しい怒りへと変わった。
「ふざけるな……ふざけるなっ、冗談じゃないっっ。お前を病気になんて殺させやしない! 殺させるもんか!! ハーティアっ、お前はっ、俺が絶対に助ける!!!」
シリューの闘いが始まる。
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