【第258話】傍に
「失礼する」
廊下でシリューたちとすれ違ったクラウディウスは、短い一言とともに目礼し仕事へ戻っていった。
その足取りはけっして軽いものではなく、何となく未練を引きずっているようにも見えたが、目を合わせたクラウディウスの表情には何処か吹っ切れたような雰囲気があったように思う。
「ちゃんと……話せたかな」
「そうですね……」
親子の和解を願うように、シリューとミリアムはクラウディウスの消えていった廊下の先を見つめた。
「きっと大丈夫ですよ、親子ですから」
「そうだな、親子だもんな」
生まれてすぐに親から捨てられ養護施設に引き取られたシリューと、物ごころのつく前に両親を失い孤児院に預けられたミリアムには、当然のことながら親の記憶はない。
親がどういうものなのか、二人には想像することしかできない。
〝大丈夫、親子だから〟
その言葉は親の愛情を知らない二人の、理想と願望を織り交ぜた思いの表れだった。
「今夜は、ハーティアについとくよ」
シリューは少しだけ後ろめたさを抱きつつ、ミリアムに顔を向けることもせずに呟いた。
心根の優しいミリアムが、反対するとは元から思ってもいない。
「はい。じゃあ私は一度戻って、お夜食を用意してきますね」
「ああ、ありがとう」
「シリューさん、ハーティアに暗い顔見せちゃダメですよ。ちゃんと元気づけてあげて。あとあと、ケンカもダメっ」
シリューの鼻先にびしっと人差し指を向け、ミリアムはまるで子供を諭すように優しく目を細めて微笑んだ。
「分かってるよっ。まったく、子供じゃないっての」
「ふふっ。じゃあ、お願いしますね」
胸の前で手を組み祈りの仕草を取る。
忘れそうになるが、ミリアムはれっきとしたエターナエル神教会の神官だ。
「任せとけ」
「はいっ」
踵を返したミリアムの髪が、踊るようにふわりと揺れる。
廊下の先にある階段へと向かったミリアムを見送った後、シリューはハーティアの病室のドアをノックした。
「どうぞ、シリューでしょ」
ハーティアの返事を聞いて、シリューはドアを開け病室に入る。
「何で俺って分かった?」
「足音よ。最近分かるようになったの、貴方とミリアムの足音はね」
クランハウスで一緒に生活するようになって数週間。
シリューもそうだが、お互いの足音を意識するくらいには親密な関係になったということだろう。
素直な笑顔を見せるハーティアに、シリューも涼し気な笑みを返した。
「お前も、そんなふうに笑えるんだな。初めて知ったよ」
「何か失礼ね? そんなふうにって、どういう意味かしら?」
「ん、普通にかわいいって意味」
唐突過ぎる言葉が胸に突き刺さり、とくんっと心臓が跳ねるのを感じたハーティアは、思わずシリューから顔を伏せる。
「か、かわいい? 私、が……?」
ハーティアはそのままの姿勢で、探るような上目遣いで尋ねた。
そう思ってもらえるようなことを、シリュー相手にした覚えはない。
逆に、いつもほとんどは冷たくあしらってきた覚えは山のようにある。
「うん。気付いてなかったか? いつも口は悪いけどさ、お前はかわいいよ、特に笑顔がすごくかわいい」
「なっ!? 何をっ……ば、ばかなのシリューっっ」
熱くなった頬をシリューの気付かれないように、ハーティアは両手でシーツを顔に堕ち上げた。
振動がどくんどくんと波打つのがはっきりと分かる。
「そうかなぁ? 俺だけじゃなくて皆そういうと思うけど? お前断然美人だし、ホントは優しいしさ」
「にゃんっ」
とどめの一撃だった。
いろいろ耐えられずに、ハーティアはシーツを頭から被りベッドに倒れ伏した。
「ハーティア? 大丈夫か? 気分悪いのか?」
「う、うるしゃいっ。そういうトコよ、ば、ばかシリューっっ」
言葉を噛んだことには気づいたシリューだったが、ハーティアの言葉の意味を理解することができなかった。
「そういうトコって……どういうトコ?」
尋ねてみても、ハーティアはシーツを被ったままで応えはない。
そういえば以前、ミリアムからも同じことを言われたような気がする。
「ま、いいか」
事件や戦闘時には鋭く発揮される洞察力も、こと女心に関してはまったくその力を発現しない。
「良くないわよ、ばかっ」
ハーティアは心の中で盛大にツッこんだ。
◇◇◇◇◇
ミリアムが弁当を持ってやってきたのは日暮れ前、入院患者の食事時間に丁度合わせた時刻だった。
「シリューさんもお腹すいたでしょう? みんなで一緒にたべましょうね」
とりとめのないお喋りに花を咲かせ、しばしの食事会。
食事の後、少し二人だけで話したいとミリアムが言い、シリューは一人病室を出て中庭に降り、沈んでゆく夕陽を眺めて時間を潰した。
「シリューさん、終わりましたから私帰りますね。お夜食と紅茶を置いてますから、お腹すいたら食べてください」
30分ほど経った頃ミリアムが治療院から出てきて、中庭のベンチに座るシリューに声を掛けクランハウスへと帰っていった。
二人で何の話だったのか。気にはなったが、女同士の会話の内容を尋ねるほど野暮ではない。
席を外させたということは、自分には聞かせたくない話なのは確かなので尚更だ。
誰にでも、秘密にしておきたいことはある。
それがどんなに親しい間柄でも。
「ま、話したくなれば、話すだろうし」
話したくなければ、それは秘密のまま。
それならばそれで良い。
そんなことを考えながら、シリューはベンチから立ち上がり病室へと向かう。
それからしばらくの間、二人とも無言の時間が続いた。
顔を見合わせてお互いに頷いただけで、シリューにもハーティアにも話すきっかけが掴めなかった。
ハーティアが口を開いたのは、日が暮れて少し経った頃。
「シリュー。あの……看護師さんを、呼んでもらえるかしら」
何処か遠慮がちなハーティアの顔は、少し赤みを帯びている。
「熱があるのか? それともどこか痛む?」
「え、ええそう。少し気分が、悪いの」
慌てて目を逸らしたハーティアに少し違和感を覚えたものの、シリューはそれ以上のことを尋ねすに急いで看護師を呼びにいった。
「診察をするからぁ、呼ぶまでは外で待っていようね~」
診察用の医療器具が入っているであろう木箱を手に下げた看護師は、子供を相手にするような口調でそう言った。
「看護師さんって、ああゆう人けっこう多いよな……」
看護師に言われた通り廊下に立ち、シリューは窓を眺めながらそんなことを考えていた。
美亜が入院していた元の世界の病院でも、年下だろうと年上だろうと、それからたとえ老人であろうと、等しく子供のように接する看護師が多かった気がする。
だからと言って特に悪い気はしないし、病人を安心させるための彼らなりの気配りなのかもしれない。
「もういいわよ~」
10分ほどで診察を終えた看護師が病室から出てきた。
「あ、ありがとうございます」
何となく御礼を言って、シリューは病室に入る。
「大丈夫か?」
「ええ……」
口元までシーツを被ったハーティアの顔色までは分からなかった。
「気分が悪くなったら、すぐに言って。欲しい物があるときも遠慮しなくていいからさ」
ハーティアは囁くような声で「ありがとう」とだけ答えた。
そらから夜が明けてミリアムが朝食を持ってやってくるかまでに、数回ハーティアに頼まれて看護師を呼びにいった。
毎回、特に体調の変化が見られないこともあり、シリューは最後になってその意味に気付いた。
「あ、あのさ……やっぱり、俺じゃなくてミリアムの方が良かった、かな?」
よくよく考えてみれば、病室とはいえ女の子の部屋に泊まったことになる。
別にやましいことはないが、何となく不味いような気がしてならない。
ハーティアは、落ち着かなかったのではないだろうか。
「そんなことはないわ。私は……貴方が傍にいてくれて……その……」
シリューは言葉の続きを待ち、黙ってハーティアを見つめた。
「ばっ、ばかシリューっ。余計なこと考えないで!」
それは、ハーティアの最大級の照れ隠しだった。
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