【第257話】解ける心
王都に聳えるエターナエル神殿。
その敷地内に在る治療院はその規模に相応しく、アルフォロメイ王国で最高と謡われる医療機関である。
3階の片隅にある病室のベッドで寝息を立てるハーティアを、シリューとミリアムはお互いに会話を交わすこともなく静かに見守っていた。
尋ねたい事はシリューにもたくさんある。
だがミリアムから返ってくるのは、おそらくシリューの望む答えではないだろう。
それが分かっているから、シリューはあえて何も尋ねなかったのだ。
「ハーティア……」
初めは嫌われていたように思う。
シリューにしても、特に好意をもつ相手ではなかった。
言ってみれば、同じ組の同じ班にいるただのクラスメイトで、クラスの決まり事や催し物には普通に協力するくらいの関係だったはずだ。
それが、いつの間にか少しずつ変わっていった。
今はシリューの中で、けっして見捨てられない存在のハーティア。
その命は、今にも尽きようとしていた。
あの時。
美亜と別れを告げた、あの遠い日のように。
シリューが囁くように呼んだ名前が聞こえたのか、ハーティアはゆっくりと目を開いた。
「私……まだ生きているのね……」
ベッドの脇に佇むシリューとミリアムに目を向けた後、ハーティアは天井を見つめてそう呟いた。
「そんな言い方するな……お前は死なない」
何の根拠もない、ただの願望にすぎない言葉だったが、シリューは言わずにいられなかった。
「そうね……私も貴方には言いたいことが山ほどあるの……積もりに積もった鬱憤が、それこそ1~2年分かしら。覚悟しなさい」
「上等だ、全部聞いてやる。俺もお前に言いたい文句がざっと10年分はあるから覚悟しろ」
まるで喧嘩でもしそうなやりとりにみえるが、ミリアムは落ち着いて二人の様子を見守っていた。
これがシリューとハーティアの信頼の現れであることを、もう十分に理解している。
「じゃあ私は、二人の喧嘩が弾むように、美味しいお料理とお茶を用意しますね」
「煽るのか」
「煽るのね」
くすり、とハーティアが笑ったのにつられ、シリューとミリアムも思わず吹き出してしまう。
三人の笑い声が響く中、病室のドアがガチャリと音を立てて開いた。
飛び込むように入ってきたのはハーティアの父、クラウディウス・ポードレールだった。
「ノエミっ」
「父さま!?」
慌てて起きようとするハーティアの肩を、シリューは両手で抑えベッドに押し付ける。
「これはシリュー殿、奥方殿も。娘が迷惑を掛けたようで申し訳ない」
クラウディウスはシリューたちに向かって軽く頭を下げた。
「いいえ、迷惑なんて……俺たちも娘さんには随分助けられましたから」
「そうか……」
ちらりとハーティアに目を向けたクラウディウスが、シリューに向き直り静かな声を零した。
「すまぬが、しばらく二人だけにしてくれぬか……」
眉をひそめるその表情に厳しさはあるものの、それは死に瀕した娘に対する父親としての苦悩だと、シリューにも理解できた。
「分かりました。行くぞ、ミリアム」
「はい」
拗れてしまった二人の関係が元に戻る事を祈りながら、シリューは病室をあとにした。
◇◇◇◇◇
「父さま……お仕事、途中ではなかったのですか?」
王都の北街道に現れた人造魔獣との戦いにおいて、クラウディウスがその指揮をとっていたのはハーティアの耳にも入っていた。
戦いの後の事後処理や報告等、クラウディウスの仕事は多岐に渡るはずで、こうして病室に顔を見せるとは思っていなかった。
家族よりも任務を優先する。
それが今まで父に抱いていたイメージだった。
「お前がそんなことを気にする必要は……いや、すまぬ……気にしなくていい。仕事など、後からいくらでもできる」
「ですが……」
「今はお前の顔を見るのが優先だ、ノエミ」
クラウディウスはゆっくりとした口調でそう言うと、目を細めてハーティアを見つめた。
「……久しぶりに、その名前を呼んでくれましたね」
「ん? そうだったか」
「はい。母さまが亡くなって以来……」
「……そうだな……」
クラウディウスは鳴き妻の面影をハーティアに重ね、目を閉じて深く息をついた。
獣人のクォーターであるハーティアの母エレンティアは、病気がちではあったものの、ころころとよく笑う明るい女性だった。
クラウディウスが彼女に出会ったのは、先妻を亡くし2年ほど経ったある遠征先での事だ。
当時のクラウディウスは、地に堕ちたポードレールの名を復興すべく尽力していた。
すべてを掛けていたといっても過言ではない。
ハーフエルフとクォーター獣人のハイブリット効果による、超人の誕生。
そして、次の世代への期待。
エレンディアとの結婚に、そんな打算的な部分があったのは否めない。
だが、それだけではないことも本当の事だ。
「ごめんなさい」
生まれた娘に、ポードレール家を復興するような力がないことを知ったエレンディアは、何かとクラウディウスに謝ることが増えていった。
その姿を見ていたハーティアも、いつからか自分が出来損ないだと認識するようになった。
何も言わないクラウディウスに二人を責める気は毛頭無かったとしても、ずれてしまった歯車が元に戻ることはなかった。
エレンディアが亡くなって以来、クラウディウスはハーティアとの接し方に迷っていた。
長い沈黙がハーティアとクラウディウスを包む。
「ごめんなさい……父さま」
重くのしかかる空気に耐えられなくなったハーティアが口にしたのは、父への謝罪の言葉だった。
「何故謝るのだ……お前も、エレンディアも……」
それが自分のせいであることを、クラウディウスは今更ながらに自覚した。
エレンディに本当は何を望んだのか。
ハーティアの行く末に、本当は何を願ったのか。
「謝るのは私の方だノエミ……」
クラウディウスは俯き自分の拳を硬く握りしめ、喉の奥から絞り出すような声を漏らした。
「お前が……娘が、父親よりも先に逝くなど……そんなことが許されてたまるか……そんなことは、絶対に……認めんっ」
「申し訳ありません」
「違うっ。お前を責めている訳ではないっ」
何もできない。何もしてやれなかった自分に向けた憤りだった。
「……すまん……」
クラウディウスはゆっくりと立ち上がり、ハーティアを見下ろした。
今までハーティアが見たことのないくらい、穏やかな目で。
「私は一度仕事に戻る。また来るから……少し休みなさい」
「はい……」
軽く頷いた後、クラウディウスは病室から出て行った。
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