【第252話】魔神

《 繋がりを切ったか……よかろう。ならば殺してその身体を奪うまでだ 》


「自信満々だな、心臓に毛でも生えてるのか? いや、ただの心臓だな、生でみるとキモいけど」


 シリューは空中に浮かんだ魔神の心臓を睨み、口元を不敵に緩める。



《 軽口もそこまでだ 》



 魔神の心臓が、ドクンっとひと際大きく鼓動した。


 シリューの背に悪寒が駆ける。


「何かくるっ、みんなっ、気をつけろ!」


 次の瞬間。


 魔神の心臓から黒い光が弾け、大地をも揺るがす衝撃波が波紋のように広がる。


「くっ。ユニヴェールリフレクション!!」


 シリューの発動した理力の盾がシリューの前、さらに、壁に飛ばされ起き上がりかけたドクとエリアスを守るように展開した。


 激しい破壊音と共に封印の間の壁や天井、そして床にまで無数の亀裂が走り、数か所は完全に破壊され地肌の岩がのぞく。


「不味いのじゃ、魔力が流れ込んでしまうぞ……」


 立ち込める灰塵の中、エリアスはすぐ傍の壊れた壁に目をやり呟いた。


「サンキュー、シリュー。助かったよ」


 左肩を押さえたドクがシリューに歩み寄って、少し顔を歪めながら右手を上げる。


「残念だけどドク。まだお礼には早いよ」


「え?」


 そこへ、よろよろとした足取りでエリアスも近づいてきた。


「一体……何が起こったのじゃ?」


 エリアスの問いに、シリューは無言のまま正面を指さす。


「ん?」


 霧が晴れるように灰塵が薄れ、それは姿を現した。


「なっ何じゃあれはっ!?」


「巨大な……心臓? き、気持ち悪いっ」


 エリアスとミリアムが、その姿の異様さに思わず声を漏らす。


 2m以上はある心臓の本体に、おそらく下大静脈であろう一本の脚が木の根のようにがっしりと床を掴んでいる。


 頭や顔に当たる部分は無く、左肺、右肺静脈が腕のように長く伸び、手先には三本の歪な指。


 左と右の肺動脈は発射管のようにこちらを向き、上大静脈は何かを吸い込むように躍動している。


 他の血管とみられる部位は、まるで生きた蛇のようにうねり、その赤黒くグロテスクな外見は見ているだけで吐き気をもよおしそうだ。


「ど、どうなってるんだ……」


「魔物……というより、怪物、ね……」


 ドクもハーティアも蒼ざめた表情でそれを見つめている。


「分からない、でも……」


 シリューが言い終わらないうち、その怪物の前に黒い人影が浮かんだ。



《 もう一度チャンスをやろう 》



 黒い衣装、黒い仮面のその人物は空中に浮かぶホログラムのように透き通っている。


 実体のあるものではなさそうだ。



《 我と一つになれ、明日見僚……いや、今はアスカ・シリュー、だったな 》



「明日見……僚……じゃと?」


 エリアスは息を詰まらせ、まるで生き返った人間を見るような驚愕の表情浮かべてシリューを見つめる。


「何で……何で、俺の本当の名前を知ってる……」


 シリューの顔から、余裕の表情が消えた。


「明日見、僚……それが、シリューさんの本当の名前……」


 ミリアムが胸に両手を重ね、一瞬シリューを見つめ、ふっと目を逸らし視線を床に落とす。



《 当然だ。我はお前、お前は我。そう言ったはずだ 》



「どういう意味だ……」



《 まだ分からぬか……よかろう》



 黒衣の人物が、ゆっくりと手を上げて仮面に触れる。



《 我は魔神、アスラ・シュレーシュタ 》



 外された仮面の下に現れた顔は。


「え!?」


「うそ……し、シリュー……さん……?」


 紛う事なきシリュー・アスカ、いや明日見僚その人だった。


 驚きに口元を押さえるハーティアと、目を見開いてシリューと魔神を見比べるミリアム。


 シリューと瓜二つな魔神から目が離せず、シリューは瞬きも忘れ見つめ続ける。


「だ、誰だ……お前」



《 見ての通り、我はお前だ。人であった時の名は……明日見僚 》



「どういう意味だっ。まさか、平行世界の俺ってことか!?」


 魔神は首を振る。



《 そうではない、我らは元々一人の明日見僚だった 》



「い、意味が、分からない」


 思いもしない魔神の言葉に、シリューは混乱しないようぎりぎりの平静を保つことに力を尽くした。



《 我は想定外の召喚者。故に召喚のシークエンスに異常をきたし、一人であった我が二人に分かれ、我は1500年前、お前はこの現代へと飛ばされた 》



「じゃあ……どっちかはどっちかのコピーってことか……」



《 そうではない。どちらもオリジナルの我でありお前なのだ 》



「一つのデータを、別々のファイルに保存したようなもの、ってことか……」



《 そのたとえが最も近いだろう 》



「何で……想定外の召喚が起こった……」


 シリューの中でずっと燻っていた疑問だ。なぜ勇者ではない自分が巻き込まれてこの世界に召喚されたのか。



《 それは我の知るところではない。これ以上は時間の無駄だ。今一度問う、我を受け入れるか、それとも死を選ぶか 》



 きっとこれは最後通告のつもりだろう。


「お前は嘘つきだアスラ、やっぱりお前は俺じゃない。答えがわからないのか? どっちもごめんだ」


 シリューは魔神を指さし涼し気に笑った。


「選ぶのはお前だよアスラ。握り潰されるのがいいか切り刻まれるか……」


「それとも素焼きにするか、ですね」


「三つの選択肢よ、感謝しなさい」


 シリューに続いて、ミリアムとハーティアが屈託のない笑みを浮かべた。



《 よかろう。ならば速やかな死を与えよう 》



 魔神アスラの幻が煙のように消え、巨大な心臓が動き出す。


「来るぞ! 散れ!!」


 シリューは正面、ミリアムとハーティアが右翼に、ドクがエリアスを守るように左翼に展開した。


 直後、うねる蛇のような7本の血管がシリューに襲い掛かる。


 血管の先端は槍のように鋭く、シリューが飛び退いた床を、まるで豆腐のように貫いてゆく。


 あっという間に壁に追い詰められたシリューに向かって、肺動脈の左右から赤黒い火炎弾が追い打ちを掛ける。


 その速度は、明らかにシリューのスピードを超えていた。


 三発を躱した四発目。


 躱しきれないと認めたシリューは、咄嗟に剣を盾代わりに構える。


「ユニヴェールリフっ……」


 理力の盾を展開する前に、黒い火炎弾が粒子となって消えた。


「何だ!?」


 魔神が手加減をした訳ではなさそうだ。


 その証拠に、火炎弾の追撃は止むことなく続いている。


 試しに避けずにいると、やはり全ての火炎弾が同じように消えていった。


 どういう事かは分からいが、相手の攻撃手段が一つ減ったのはありがたい。


「さっきから、シリューさんばかり狙われてますね」


「きっと、私たちなんて、気にする必要もないと思われているのよ」


 ミリアムがキッっと魔神の心臓を睨んだ。


「闇を打ち払い大地を照らす静かなる月の華、禁忌へと戯れし悪意をその荘厳なる光をもって縫い留めよ、行きます! 月華掣肘ムーンフォール!!」


「全てを葬る慈悲の炎、天を焦がし邪なるものを灰塵に帰せ! クレマツィオ・ブルチャーレ」


 ミリアムのムーンフォールが魔人の心臓の動きを止め、ハーティアの業火が立ち昇る。


「こっちも忘れないでほしいね! ストーンスパイク!」


「荒ぶる風よ来たれ、ムブルスス・ヴァルナー!!」


 床からは太く鋭い岩の棘、空中からは激しい衝撃波。


 だが、ほぼ同時に放たれた魔法は、魔神の心臓の表面を僅かに傷つけた程度だった。


 ムーンフォールでさえ、ほんの一瞬動きが鈍った程にしか効果がなかった。


「うそ……全力のムーンフォールが……」


 呆けたミリアムをハーティアが叱責する。


「ミリアム! しっかりしてっ。一度で効かないなら、魔力が尽きるまで何度もやるのよ!!」


「は、はいっ。ごめんなさいっ」


 攻撃がシリューに集中しているのには気が引けるが、こちらは安全な状況で魔法攻撃ができるわけだ。


 気を取り直し、ミリアムは両手の拳を握りふんっと息を吐き気合を入れた。


 火炎弾がシリューには届かない事を悟ったのか、心臓の攻撃は長い槍のような血管と歪な腕だけになった。


 その攻撃を縫い、シリューは魔法を発動する。


「吹き飛べ! アンチマテリエルキャノン!!」


 30mmの砲弾が音速の二倍で心臓に迫る。


 だが。


 砲弾は魔神の心臓に届くことなく、火炎弾と同じように粒子となって消えた。



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