【第249話】結界

「シリュー……」


 拘束された両手で躰を支え、ハーティアは入口に立つシリューを見つめた。


〝あの時と同じ……〟


 災害級のオルデラオクトナリアに背後を取られ、死を覚悟したあの時。


 生きたいと願ったあの時。


 黒髪の少年は、奇跡と希望をその両手に掲げ降り立った。


 その時から。


 病による余命を知り何度も涙を重ね苦しんだ果てに、ようやく諦めた生への渇望を、黒髪の少年が無残にも蘇らせた。


 受け入れていたはずの死への恐怖が、再び鎌首をもたげた。


 捨てたはずの感情が、強く生きたいと願った。


 苦しみが息を吹き返した。


 そして、それをもたらした少年を、ハーティアは少しだけ憎んだ。


 今も彼はそこに立つ。


 誰かを救うため。


 ハーティアの命を守るため。


 ハーティアはそれを知っていた。


「クイックドロー!」


 封印の間に飛び込んだシリューは、ヴィオラの手足を狙って3発の弾丸を放つ。


「くっ」


 素早く身を躱し、理力の盾で2発を防いだヴィオラだったが、1発が左の肩を掠める。


「相変わらず、常軌を逸した魔法ですね。ですが、これならどうです!」


 シリューに向かって駆け出したヴィオラが、剣を左に持ち替え右手をかざした。


「ユニヴェールリフレクション!」


 シリューは何かしらの攻撃に備え、理力の盾を展開して部屋へと突入する。


 だが、ヴィオラの狙いはそこにあった。


「シリュー、だめぇっ!」


 異変を感じたハーティアが叫ぶ。


 シリューの目はヴィオラの動きに向けられていた。


 そのせいで床に置かれた小さな4つの魔石に気付かなかった。


 シリューたち全員が、その魔石の囲む領域に足を踏み入れた途端。


 光を放った4つの魔石から弾けるように魔法陣が現れ、瞬時に半透明の赤い壁を構築してシリューたちを閉じ込めてしまった。


「相変わらず、ワナに飛び込むのが得意ですねぇ〜」


 ヴィオラは結界へと歩み寄り、壁の向こうで悔しがるシリューを眺め愉悦の表情を浮かべた。


「くっそ、魔法陣結界かっ!」


 赤い光の壁は、シリューの全力の蹴りでもビクともしない。


「私がっ! はあああっ、ディープ・インパクトォォォ!!」


 ミリアムの覇力を乗せた戦鎚技も、ただ激しい音を響かせただけだった。


「むう、四重の結界魔法陣かっ……してやられたわ……」


 エリアスは四隅に光る魔石を睨み、悔しそうに唇を噛む。


 結界の外からならこの戒めを解く方法もあるが、内側からではどうにもならない。


「あらあらぁ、そんな顔しなくても大丈夫ですよぉ。この封印の間は魔力が遮断されてますからぁ、結界も魔石の魔力が尽きれば消えますよぉ。まあ、せいぜい10分ってところですねぇ~」


 結界の赤い壁をこんこんと拳で叩き、ヴィオラは心底楽しそに笑った。


 壁越しに歪んで見えるヴィオラの姿を睨みつけながら、シリューは素早く解析を掛ける。



【魔法陣による魔法の解除は、魔法陣を直接物理的に書き換える必要があります。なお、発動した魔法陣の破壊は魔力暴走を引き起こし、半径30m以上を巻き込む爆発が発生します。本人以外の生存率は10%未満です】



 だが、セクレタリー・インターフェイスの答えは以前と同じだった。


 内側から破壊することは可能でも魔力暴走と爆発で、中に閉じ込められた者は無事では済まない。


「君にその魔法陣を壊せるかしらぁ? キッドくん……いえ『深藍の執行者』、シリュー・アスカ、それとも『断罪の白き翼』と呼んだ方がいいのかしら?」


「やっぱり、知ってたか……」


 シリューの声に動揺はなかった。正体がバレているのは、はじめから想定内だ。


「ちょっ、断罪の白き翼って、シリューだったのか!」


 背後でドクが驚愕の声をあげているが、今はそれは無視しておく。


「あらぁ、その言い方だとぉ、私が君の正体を知っている事を、君は知ってたって事かしらぁ。私やローレンスさんを疑ってたのに、そんな素振りさえ見せなかったしぃ。ほんとに、凄い胆力ですぅ」


 ヴィオラはステップを踏むように踵を返し、ゆっくりと立ち止まり振り返る。


「かなりヒヤッとしたけど、これでお終い。そこで魔神の心臓が蘇るのを眺めていてねぇ、を持つ異邦人さん」


「四つ? 待てっ、どういう意味だ!」


 壁を叩くシリューの声に、ヴィオラは答えることなく肩を竦めて見せただけで、祭壇の前で横たわるハーティアのもとに歩み寄った。


「期待が外れちゃったわねぇ、ティア。さあ、続きを始めましょうか~」


「気安くその名で呼ばないで。その喋り方も不愉快だわ」


 手足を拘束され、魔法封じの首輪によって魔法さえ使うことができないハーティアは、それでも真っすぐにヴィオラを睨んだ。


 その瞳にはいささかの絶望もなく、希望の光だけが映っていた。


「……面白いですねぇ。まさか、まだ彼が助けてくれると思ってるのかしら?」


 閉じ込められた他の3人を犠牲にして、シリューが魔法陣を破壊する選択肢を選べるのかと、ヴィオラは言いたいのだろう。


「さあ、それはどうかしら? 私が助かるかどうかは別にして、彼は必ず魔神の心臓の復活を阻止するわ」


「この期に及んで、それができるとでも?」


 眉をひそめるヴィオラを見上げて、ハーティアは穏やかに微笑む。


「ええ、だって、今彼は一人ではないわ」


 力強くそう答えた。



◇◇◇◇◇



「くそっ、どうすればいいっ」


 このまま魔法陣が消えるのを待てば、ハーティアは確実に生贄として殺される。


 だからといって、魔法陣を破壊すれば中のミリアムたちは助からないだろう。


 だが迷っている暇はない。


 どちらかを選ばなければならないのだ。


 ミリアムかハーティアか。


 少し前なら、王都に着いた直後なら、迷わずハーティアを見殺しにできたのかもしれない。


 けれど今は。


 多くの時間を一緒に過ごしてきた今は。


 ハーティアの言葉に救われたことがあった。


 ハーティアの行動に助けられたことがあった。


 ハーティアの存在が、心の中で大きくなっていった。


 その気持ちが、ミリアムに対するそれと同じかどうかは分からない。


 それでも、かけがえのない相手であるのは確かだ。


 だから、選択できない。


「どうすれば、いいっ……」


 壁に拳を押し付け歯噛みするシリューの肩を、ミリアムが優しく叩いた。


「シリューさん、魔法陣、壊しちゃってください」


 振り向くと、ミリアムはにっこり笑った。


「うむ、それしか方法はないのじゃ。シリュー、わらわたちは魔神の復活を阻止する義務を負うておる」


 エリアスが腕組みをしてこくこくと頷く。


「なに、破壊時の爆発なら、爆裂デトネーションの指向性を変えることで相殺できるかもしれんしの」


 だがその可能性は低い。それを指摘したのはドクだった。


「エリアス様の魔法でも、成功率は5%以下だと思いますよ」


「うむ……それは……」


 ドクは懐からいつもの詩集を取り出してページをめくる。


「異国からの英雄は、如何にして二人の美女を救うのか……彼は一人でこの危機に立ち向かうというのか……」


「ドクっ、今は悠長に詩を詠んでる場合じゃないっ!」


 シリューは声を荒げてドクを睨んだ。


「言ったろシリュー? 詩はいつかきっと役に立つって」


 ドクはにやりと笑い、左手に持った詩集のページに右手を置き。


「英雄を盛り上げるのは、詩人の役目さ!」


 叫んだ。


「全てを解除せよ! 相殺の意志、魔法陣発動!!」


 詩集が眩く光り、白い魔法陣が浮かび上がる。


 ドクは右手で白い魔法陣を操り、四方の魔石にかざしてゆく。


 すると。


 魔石が放っていた光が、蝋燭の火のように揺らいで消え、同時にシリューたちを捕らえていた赤い壁も全て消失した。


「舞台は整えたぜ! 行っけぇっ、深藍の執行者!!」


 ドクが勢いよく指差した先に、シリューの決断する的があった。

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