【第246話】地下へ

「手……ですか?」


 ヴィオラは剣を持った右手に、一瞬だけ視線を向ける。


「そ。あんたと握手した時、何となく違和感を覚えたんだ」


「ああ、この学院で最初に会って挨拶をした時の事ですね」


「それと、あんたは覚えてないかもだけど、教室で見つけた人造魔石を研究室に持って行った時もな」


 正直、はじめはその違和感が何なのか分からなかったし、あまり気にもしていなかった。


 はっきりと分かったのは、クリスと握手を交わした時。


 彼女の手はごつごつと皮膚が硬くて、女性にしてはたくましいと感じた。


「あんたの手も同じなんだよヴィオラ。剣を修める者の手。剣聖の弟子なら、当然剣士の手になるよな。で、その剣聖から魔剣を盗んだのもあんただ……」


 魔力の充填された人造魔石から魔獣を作り、その魔獣が暴れることで魔力が消費され、入れ代わりに瘴気が満たされる。


「その瘴気を吸い取って蓄積するために、だろ?」


 シリューはヴィオラの注意を引くように、演技じみた大げさな素振りで右手を挙げた。


 ヴィオラの視線が一瞬シリューの手に移ったのを見て取り、ドクをはじめミリアムとハーティアが動こうとする。


 だが、ヴィオラは見逃さなかった。


「やめた方がいいのでは? 私はこの態勢からでも、一瞬でタンストール様の首を落とせますよ?」


 ヴィオラの剣がタンストールの首筋の皮膚を撫で、薄く一筋の血が滲む。


 それを目にして、全員が硬直したように動きを止める。


「良い心がけです」


 ヴィオラは心底楽し気に笑った。


「それにしても……なかなかやりますねぇ。人造魔石の秘密だけでなく、まさかそんな些細なミスから私の正体にまで気付くとは」


「ああそういえばもう一つ。エクスプレームス開発用の機材を破棄した女性研究員ってのも、あんたなんだろ? ま、どうせ、カルヴァート伯爵みたいに【擬態の首輪】で変装して、用が済んだら事故に見せかけて殺したんだろうけど」


 その女性研究員の顔も名前も知らない。だから怒りも憎しみも湧いてはこない。


 ただ、彼女やレグノス城で囚われていた人たち以外にも、ヴィオラの野望に巻き込まれ、命や尊厳を奪われた者がいるのだろう。


 そして、ヴィオラが生きている限り、それは確実に続いてゆく。


 シリューは決断を迫られていた。


「そこまで調べていましたか……」


 やや目を細めたヴィオラから笑顔が消えた。


「あはぁ~残念。これ以上は、ムリみたいですねぇ~」


 タンストールに突き付けた剣を左手に持ち替え、切っ先を床に立てたヴィオラは、諦めたようにその手を放した。


 ゆっくりと倒れてゆく剣を眺めながら、シリューは自分の手でヴィオラを殺さずに済むことに胸を撫で下ろす。


 どうせ、死刑は免れないだろうが、それが法の裁きであり同情の余地もない。


 剣が倒れ、カツンっと乾いた金属音が響いたその瞬間。


 激しい極光が爆ぜ、網膜を焼かれるような痛みを伴って視覚が奪われる。


「くっ……ヒール!!」


 シリューが視覚を取り戻した時、そこにヴィオラの姿は無かった。


 そして、ハーティアの姿も。


「やられたっ、転移か! みんなっ!!」


 ドク、続いてエリアスに治癒魔法を掛ける。


「ミリアムっ、学院長を!」


「はいっ」


 自身で目を治癒したミリアムが、倒れたタンストールに駆け寄る。


「ティアは!?」


 ドクは目を瞬かせながら部屋を見渡して、ハーティアがいないことを尋ねた。


「たぶんヴィオラに連れていかれた。ごめん、俺のミスだ……」


 首を垂れるシリューの肩に、ドクはぽんっと手をおく。


「いや、あんたのせいじゃないよシリュー。ヤツが一枚も二枚も上手だったんだ」


 落ち着いた口調だったが、ドクの目にはヴィオラに対する怒りが滲んでいた。


「これは……剣自体に、転移魔法陣を仕掛けていたようじゃの……不覚じゃった」


 床に残ったヴィオラの剣を手に取り、エリアスは悔しそうに眉をひそめる。


「くそっ、分かってたはずなのにっ!」


 どこまでも狡猾でどこまでも用心深く、常に逃走経路の確保を怠らない。


 そんなヴィオラが、素直に投降するはずはなかったのだ。


 あの時、躊躇せずに殺しておけば、と悔やんでも始まらない。


 幸い、ハーティアの情報は探索目標に登録してある。



【探査。ハーティアの位置。魔力による障害あり。対象人物の位置を特定できません】



「大まかでいいっ。セクレタリー・インターフェイス、だいたいの位置を表示しろ!」



【ハーティアの位置を推定。PPIスコープに表示します】



 視界の右上部に円形画面が表示され、そのほぼ中央部分にぼんやりとした緑の輝点が明滅する。


 距離は遠くない。おそらく学院の敷地内だろう。


「これって……もしかして、地下か?」


 ただ、この学院に地下施設があるとは聞いていない。


 あるとすれば、それはシリューにさえ与えられなかった、超高度の極秘事項といえる。


 そして、この場にいる者でそれを知っていいるのは……。


「ミリアムっ、学院長は!」


「はい、もう大丈夫です。意識も戻りました」


 ミリアムはタンストールの肩に手を添え、彼が半身を起こすのを支える。


「……ありがとう、シリューくん……助かったわ」


「それよりっ、ここに地下があるんですかっ。俺に話してない事があるでしょう!」


 正直、タンストールの事などどうでも良かった。それよりも今はハーティアだ。


「地下……あなた、ヴィオラの居場所が、わかるの……」


 出血が多かったせいか、タンストールは蒼ざめた顔で声にも力が無い。


「説明してる暇はないんだっ、入り口の場所はっ!!」


 シリューは焦っていた。


 一緒に連れて行ったということは、すぐすぐにハーティアを殺すつもりはないのだろう。


 だが、目的が分からない以上、時間は掛けられない。


「まてシリュー。そなたの言う通り、暇はなさそうじゃ。わらわが案内するゆえ、ついてまいれっ。道すがら説明もしよう」


「エリアス様、あたしは聖騎士団に連絡を取り、応援を連れていきます」


 タンストールがふらつきながらも立ち上がり、そっとミリアムの手を離した。


「うむ、無理をするなよ。行くぞ、シリュー」


 タンストールが頷くとエリアスは院長室を飛び出し、シリューたちも後に続いた。


「お願いします、エリアス様。お願い、シリューくん……」


 タンストールは扉の無くなった入り口を見つめ呟いた。



◇◇◇◇◇



「こっちじゃシリュー、地下への入り口は中央棟にある」


 振り向かずにエリアスがいざなう。


「地下に、何があるんですか?」


 魔神に関わるものだということは、何となく分る。


 さっきから心臓をちくちくと刺す痛みと息苦しさが、白の装備のインナーでは抑えられないほどになっている。



〝……待って……いた……漸く……この……時……が〟



 この王都に入った日、意識の中に響いた声。



〝……お前は……我に……な……る……我は、お前……に……〟



 シリューの頭の中で、その声がこだまのように繰り返し再生される。


 悪い予感に背筋が凍る。


 静かに答えを待つシリューを見上げ、エリアスが口を開く。


 それは、シリューの予想し得なかった驚愕の答え。


「心臓……魔神の、心臓じゃ」


「魔神の心臓っっ!?」


 シリューは思わず叫んでしまった。


「そうじゃ。1500年前の戦いにおいて、唯一朽ち果てなかった魔神の心臓が封印されておる」


「まさか……そんなものが、この王都に……」


 ドクは蒼ざめた顔で呟いた。


「でも、エリアス様っ。ヴィオラがハーティアをさらったのは、どうしてなんでしょう? 行くなら一人で行けばいいのにっ」


 ミリアムの顔は、今にも泣きだしそうなほどに歪められていた。


 彼女は聖職者だ。


 悪しき封印を解く禁呪において、若い女性が誘拐される意味を充分に理解していた。


 それでも、聞かずにいられなかったのだ。


「……わかるじゃろう。封印された魔神の心臓に、命を捧げる……生贄じゃ……」


 俯くエリアスの表情はシリューからは見えない。


「魔神の心臓なんか知るか。俺は絶対にハーティアを助ける。それだけだ」


 シリューは静かに拳を固めた。


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