【第243話】手
クリスはゆっくりと言葉を続ける。
「ああ、3年ほど前の話なんだが、祖父が保管していた魔剣が道場から盗まれてね。もちろん、その犯人がオルタンシアかどうかは分からない。ただ、その魔剣が随分と特殊なもので、ほぼ戦闘の役には立たないんだ」
「戦闘の役に立たない……魔剣なのに?」
「そう、名前もない、値も付かないような剣だから、何のために盗んだのか見当もつかなくて……当時官憲にも訴えたそうなんだけど、そういう理由だから売りにも出されていないし、まったく手掛かりもなく行方知れずのままもう2年というわけ。でもシリュー君なら、何か分かるんじゃないかなと思って」
それは少し買かぶり過ぎな気もするが、そう思われて悪い気はしない。
「その、特殊っていう部分に、何かあるんですね」
「そうなの。その魔剣、攻撃に関する能力は無いけど、触れたものから瘴気を吸い取って蓄積するんだ」
「瘴気を……それって、空気中からもですか?」
「いや、あくまでも触れたものから、だよ。それに、蓄積するだけみたいだし、使い所がさっぱり……」
肩を竦めるクリスのいう通り普通の人(この場合冒険者や騎士という意味だが)こういった人たちには確かに使い所のない、無意味なものだろう。
だがある一部の者にとっては……。
「これって……もしかしてとんでもない読み違いだったかも……」
「シリュー君?」
「あの、シリューさん……?」
「シリュー?」
神妙な表情で考え込んでしまったシリューに、クリスたち3人は揃って首を傾げる。
「さっきの話さミリアム。魔石から瘴気を取り出すには、魔道具が必要だって言っただろ?」
シリューは、不安げな表情を浮かべるミリアムを見つめた。
「あ、はい。ちゃんと覚えてます。だからシリューさん、研究室を監視してるんですよね」
「ああ」
洞察力はポンコツなミリアムだが、記憶力は抜群に良い。
「どういう事かしら?」
事情を知らないハーティアが、眉をひそめて尋ねる。
「簡単に言うと、人造魔石は瘴気を集めるのが本来の目的だったんだ。それで、俺はオルタンシアが瘴気を回収するために、近いうちに必ず魔石を持ち出すと思ってた。魔道具一式を研究室に持ち込むより、そっちの方がリスクは少ないからな」
「確かに、そうね……でも違った?」
ハーティアの問いにシリューは深く頷く。
魔道具を使うまでもなく剣聖から盗んだ魔剣なら、マジックボックスで簡単に持ち込めるうえに、設置の手間もかからず瘴気を吸収できるのだ。
魔剣を盗んだ犯人は、オルタンシアとみて間違いない。
「
綿密に計画を立て、何年も何年も慎重に事を進めてきたのだろう。常に逃げ道を用意しながら、誰にも気付かれることなく。
だが、そんなオルタンシアの野望もここで終わりだ。
「俺が敵になった時点で、お前の運は尽きてたんだ、オルタンシア」
◇◇◇◇◇
「今回は、なかなか楽しませてくれましたね……」
研究室の保管庫でオルタンシアは、魔剣を回収されたばかりの人造魔石に添える。
「これは騎士団の回収した物」
一つ目の魔石に魔力の残留は無く、完全に瘴気だけになっていた。
その瘴気を魔剣の刃が見る見るうちに吸収してゆく。
「こちらは深藍の執行者が回収した物……やはり、魔力がほんの少し残っているようですね。まあ、特に問題はありませんが……」
一つ目を終え、二つ目の魔石に移り、オルタンシアはにやりと口角を上げた。
今はその顔に金の仮面は無い。
「際どい場面もありましたが、全ては私の計画通り。いかに深藍の執行者とはいえ、まだまだ年端のいかない子供というところでしょうか。ゲームに勝つには少々経験が足りませんでしたね」
オルタンシアの余裕の笑みは、三つ目の魔石に魔剣が触れた時に消えた。
「おや……?」
魔剣に何の変化も感じられない。まったく瘴気を吸収する様子がなかったのだ。
「まさか」と一人呟き、オルタンシアはマジックボックスから魔力測定用の魔道具取り出して人造魔石へと近づける。
20cm四方の魔道具には、上面にボタン大の宝石が三つ並んでいるのだが、今その宝石はどれも魔力反応がない事を示す緑色のままだった。
人造魔石が魔力を使い切っているのは明白だ。
それなのに、取り込んだはずの瘴気が消えている。
となれば考えられる事はただ一つ……。
「からくりに気付いて、浄化した? 深藍の執行者が……」
オルタンシアは暫く魔石を見つめた後、思い直したように顔を上げた。
「キッド……いえ、シリュー・アスカ。どうやら、少々見縊っていたようですね」
魔剣と魔道具をマジックボックスに収め、何事もなかったかのようにオルタンシアは保管庫を後にした。
◇◇◇◇◇
「じゃあシリュー君、私はこれで。手伝ってあげたいけど、どうしても帰らなければならなくて……すまない」
クリスはすまなそうに眉根を寄せた。
「クリスさんにはもう助けてもらいました、それに貴重な情報も。お礼もしたいし、もっとゆっくり話もしたいので、今度俺たちのクランハウスを訪ねてください。しばらくは王都でのんびりするつもりなので」
「う、うん! きっと行くよ」
表情を一変させて向日葵を思わせる笑顔を見せ、クリスは右手で髪をかき上げ耳を覆うように手を止めた。
「ありがとうございました、クリスさん。いずれまた」
「うん」
シリューの差し出した右手を、クリスの両手が包む。
「じゃあ、また、ね」
クリスは二度三度と振り向き手を振って、中庭を抜け神殿の門を潜っていった。
門を抜けて最後に手を振ったクリスに、シリューも笑って手を振り返す。
道を曲がりクリスの姿が見えなくなった後で、シリューはふと自分の右手を見つめた。
「シリューさん……そんなにあの人の手を握ったコト、うれしいんですか……」
ミリアムは少しだけ黒いオーラを漂わせながら、ジトっとした半開きの目でシリューをねめつけた。
だが、シリューはまるで聞こえていなかったかのように、身じろぎもせず自分の手を見つめ続ける。
そして唐突に、
「ミリアム、手を出してっ、利き手っ」
「ふえっ? え? え?」
有無を言わせぬシリューの態度に、戸惑う暇もなくミリアムは利き手である右手を差し出す。
「……柔らかい……うん、そうだよな……」
ミリアムの手はもう何度か触れたこともあるし、握ったこともある。
その柔らかさと温かさは変わっていない。
「ハーティアっ、手!」
「えっ、私も!? いったい何?」
ハーティアは戸惑いながらも、右手を出した。
「ほらっ」
その手を握り、シリューは呟く。
「うん、やっぱり、柔らかい……」
「何を言っているの? というか何をやっているの? 馬鹿なのシリュー」
「……」
「いや、何か答えなさいよ……」
「シリューさん……コワいです……」
意味もなくシリューがこんな事をするはずがないのは、ミリアムもハーティアも分かってはいる。
だが、なぜ手を握る必要があったのかが、二人には分からない。
真剣な表情で視線を自分の手から空へと向けたシリューが、思い出したようにぽつりと呟く。
「手が……」
ミリアムとハーティアは、じっと次の言葉を待った。
「クリスさんの手……ちょっとたくましいっていうか、ごつごつしてたっていうか……皮膚が硬いって感じで……」
「それは、彼女はあんなに強い騎士様ですから、たぶん毎日剣を振ってると思います。だから、手の平も硬くなっちゃいますよ?」
「そうね。私の兄もそうだけれど、男女に関係なく剣を修める人であればそうなるわね」
シリューはクラウディウス家を訪ねた際、帰り際にハーティアの兄エドワールと握手した時のことを思い返した。
彼もクリスと同じく、やはりごつごつと力強い手をしていた。
「何か、気になるんですか?」
ミリアムの問いかけに、シリューは「ああ……」と話す素振りを見せたが、すぐに首を振った。
「いや、何でもない。とにかく、今は学院に急ごう」
シリューが確証に繋がる何かを掴んだのは、ミリアムとハーティアの目にも明らかだった。
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