【第242話】再会

「そう言えば……私をここに連れてきてくれた人、見なかったかしら?」


 ハーティアはフロアをきょろきょろと見渡して尋ねた。


「え? お前、一人で来たんじゃなかったのか?」


「ごめんなさい。私、気を失っていて、誰かが運んでくれたようなの……」


 戦闘のあった付近の住人たちは皆避難して誰もいなかったし、騎士団や冒険者はもちろんのこと、学院の生徒たちもあの辺りには配置されていなかった。


 あの危険な状況で一体誰が。


「誰だとしても仲間を助けてもらったんだし、御礼しないって訳にはいかないよな……ミリアム」


 気を失っていたハーティアはともかく、あの場にいたミリアムは知っているはずだ。


「みゅっ……」


 声を掛けられたミリアムが突然、目を丸くして変な声を上げた。


 今の今まで、シリューに伝えるのをすっかり忘れていたことを思い出したのだ。


「そ、そうでしたっ。その人、私たちが危ないところを助けてくれて。凄く強くて、オルタンシアと互角に闘って……美人でかっこよくて、赤い髪の女剣士さんで。シリューさんの知り合いの……」


「俺の、知り合い? オルタンシアと互角の強さで、美人な赤い髪の女剣士って、まさか……」


 心当たりは一人しかいない。


 ちょうどその時。


 受付横の階段から降りてくる、一人の女性がミリアムの目に映った。


「あ、あの人、あの人ですっ」


「え……」


 燃えるような赤い髪のその女性は、シリューと目が合うと一瞬訝し気な表情を見せたが、すぐに満面の微笑みを浮かべ顔の横で両手を振る。


 間違いなく、シリューのよく見知った女性だ。


「クリスティーナさんっ!」


「シリュー殿っ!」


 まるで少女のように声を弾ませ、クリスティーナはシリューの元へ駆け寄って来た。


「むぅ……」


 まるで再会を喜ぶ恋人同士のような光景に、ミリアムは一人頬を膨らませる。


「ちょっと……看過できないわね……」


 いや、一人ではなかった。


 ハーティアも腕を組んで、シリューの背中に鋭い視線を向ける。


「誰でしょう……?」


「貴方も知らないの?」


 ミリアムは困ったように眉をハの字にして、ぷるぷると首を振った。


「少し……二人だけで話をしましょう。いいですかハーティア」


「そうね、私もいろいろ貴方と話しておきたいわ」


 ミリアムとハーティアの二人はクリスティーナに御礼を言った後、「積もる話もあるでしょうから、また後程」と断りを入れて中庭に出て行った。


「どうしよう、気を遣わせてしまったみたい……」


 すまなそうな表情で二人を見送るクリスティーナは、話し方が素に戻っていることに気付いていないようだ。


「気にしなくて大丈夫ですよ、クリスティーナさん」


「いや……そこは、ちょっとは気にしようか、シリュー殿……」


「え……?」


 まったく意味の分かっていないシリューは、悪びれることもなく笑顔で首を捻る。


「や、相変わらずだな君は……まあ、逆に安心でもあるけど……」


 囁くようなクリスティーナの声は、シリューには聞こえなかった。


「俺たちも中庭に出ましょう」


 静かな室内では思った以上に声が響く。


 別に聞かれて不味い話をするつもりはないが、中庭の方が気兼ねなく話せる。


 シリューとクリスティーナは、ごく自然な間隔でお互いの隣に並び中庭へと歩いた。


「クリスティーナさん。ハーティアのこと、ミリアムたちのこと、本当に助かりました。ありがとうございます」


 中庭の芝生の上で、シリューは立ち止まり深く頭を下げる。


「シリュー殿っ、頭を上げてくれっ。私はたまたまあそこを通っただけだし、騎士として当然の行動をとっただけだ」


「いえ、それでも、何か御礼……」


「そ、それにっ」


 クリスティーナはシリューを遮るように言葉を重ね、ゆっくり目を逸らす。


「……そんな、他人行儀は……やめて、ほしい……」


 消え入りそうな声で呟くクリスティーナの頬が、ほんのりと桜色に染まる。


「それから……ひとつ、忘れてる、よね?」


 俯いて顔を背けたまま、クリスティーナは少しだけ拗ねたように、なんとなく責めるような口調でシリューを流し目で見つめた。


「え……忘れて……ああっ!」


 それはレグノスで見送った時のことだ。


 別れ際にクリスティーナから「ひとつお願いが」と、ちょっと意外な申し出があった。



〝次に会う時は……〟



 そうだった、しっかりと約束したのだった。


「すみません、いろいろありがとう。さん」


「どういたしましてっ、シリュー君!」


 クリスは満面に向日葵のような明るい笑顔を浮かべた。


 クリス。と「さん」が残っているのには目を瞑ることにした。


「そういえばクリスさん、どうしてあそこに居たんですか?」


 祖父の下で剣の修行をする。シリューの記憶が確かなら、彼女はレグノスでそう言ったはずだ。


「ああ、以前話した通り私は今、隣町で道場を営む祖父の下で剣の修行をしているんだけど、その祖父からの頼まれ事で王都に来たんだ。本当にたまたまなんだよ」


「そうだったんですね。でもホントに助かりましたよ。お陰で誰も死なずに済みました。さすが、クリスさんですね」


「そ、そんなっ。私の方こそ、少しはシリュー君の役に立てたようで、嬉しい」


 剣を振るい猛々しく魔物と戦う時と違い、クリスは口元に手を添え、艶っぽい仕草で太ももを擦り合わせる。


 もう完全に素に戻ってしまっているようだが、年上の女性のそんな姿も可愛い、とシリューは涼し気に笑った。


「ああ、どうやらお二人も戻られたようだ」


 シリューの肩越しに、こちらへ歩いてくるミリアムとハーティアを見つけたクリスが、「ほら」と手を向ける。


「早かったな」


「都合が悪かったですか?」


 シリューは何気なく尋ねたつもりだったのだが、ミリアムの返事にはどことなく棘があった。


「ミリアム、今は……」


「そ、そうでしたっ」


 ハーティアにちょんちょんと突かれ、ミリアムはシリューを押しのけるように前に出て姿勢を正す。


「改めまして。私は勇神官モンクのミリアムです。この度は誠にありがとうございました」


 ハーティアもミリアムの隣に並び、すっと背筋を伸ばした。


「私はハーティア・ノエミ・クラウディウスです。助けて頂いたこと、心より感謝いたします」


 ミリアムは神官式の作法で、ハーティアはカーテシーでクリスに向け頭を下げる。


「これはご丁寧に。私はクリスティーナ・アミィーレ・フェルトン。騎士としての責務を果たしたまでのこと、御二方とも礼には及びません」


 二人に倣い、クリスも右手を胸に添えて騎士流の礼を返した。


「しかし……神官殿と、まさかクラウディウス家のご息女とは……」


 クリスはミリアムとハーティアの顔を見比べた後、いかにも意味有り気な表情でシリューの顔をじっと見つめた。


「相変わらず……というか、さすがシリュー君、だね……」


「あの、クリスさん?」


 もちろん、シリューにその意味が分かるはずもない。


「いや、何でもない。気にしないで」


 クリスは肩を竦め、にっこりと笑い首を振った。


「そう、ですか。それならまあ……。ところでクリスさん、この後時間はありますか? できればお礼がてら久し振りに食事でも」


「ああ、それは、とても魅力的なお誘いだけど……どうしても今日中に戻らなければいけない所用があって……本当はハーティア殿をここに送り届けたら、すぐに帰るつもりだったんだ。でも、その……」


 クリスは少しだけ躊躇う様子を見せた後で、一歩二歩シリューに歩み寄るとミリアムたちに背を向けるように踵を返し、こっそりウィンクをして囁いた。


「……ちょっとでも、シリュー君の顔が見たくって……ねっ」


「え、あの、えっ?」


 うろたえるシリューを見て、クリスはいたずらっぽい微笑を浮かべる。


 幸い、こういったことには敏感なミリアムも気付いていない。


「冗談よ。いや半分は、かな? 実はあのオルタンシアの件で気になる事があってね。それをシリュー君に伝えておきたかったんだ」


「オルタンシアの?」


 クリスはゆっくりと頷く。


「私の祖父ジャーヴィス・フロイド・ギャレットは、剣聖と呼ばれ多くの弟子がいる。オルタンシアもその一人だ。いや、だったと言うべきかな」


「剣聖の弟子、ですか……」


 どうりでスピードもパワーも上のシリューが、まったく相手にならなかったわけだ。


「それで、気になる事、っていうのは?」


 シリューの瞳が、鋭く輝く光を映した。


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