【第241話】間違わない
「シリュー……さん?」
立ち止まったままぼんやりと空を見つめるシリューを振り返り、ミリアムは遠慮がちに声を掛ける。
流れる雲を追うその目は何処か寂しげで、見つからない答えを探す迷子のように思えた。
実際シリューには、ミリアムの声が聞こえていなかった。
風の音や人の声のせいではない。
呼びかけが耳に入らないくらい、意識を捕らわれていたからだ。
〝誰にも迷惑を掛けない……〟
同じように病魔に侵され、同じように死期を悟った美亜とハーティア。
その二人がまったく同じことを、まったく同じ表情で口にしたのは、単なる偶然なのだろうか。
「迷惑って……なんでっ……」
二人はどうしてそう考えたのだろう。
近しい人の命が消えようとしている時、悲しくはあっても迷惑なはずがないのに。
それ以上に、迷惑を掛けていると思われる事が寂しく悲しい。
「俺は……そんなに情けなく見えたのかな……」
病に侵された本人たちに、気遣われるほどに。
「シリューさん」
囁くようにミリアムが呼んだ。
「ん、ああ、どうした?」
今度はシリューも気が付き、ミリアムに顔を向ける。
「もしかして、ミアさんのこと、考えてたんですか?」
ミリアムは意外に鋭い。ハーティアと美亜を重ねて考えていたことも、すっかりお見通しのようだ。
「えっと……まあ……」
しばらく真剣な表情でじっとシリューを見つめていたミリアムは、ふっと口元を緩めて春の日差しのように暖かな微笑を浮かべた。
「ダメですよシリューさん、ハーティアの前でそんな顔しちゃ」
「え?」
「シリューさん、とっても苦しそうな顔、してます」
ミリアムにそう指摘され、シリューはハッと大切なことに気付く。
「そうだな……うん。俺が蒼い顔してちゃダメだよな。辛いのは、ハーティアなんだから」
「はい」
美亜の前で、自分はどんな顔をしていたのだろうか。
美亜に心配を掛けるような、そんなことは無かっただろうか。
もし、そんなことがあったとしても……。
「大丈夫。間違わないよ」
シリューは目を閉じて、独り言のように呟いた。
「シリューさん、気付いてました?」
「え?」
不意にミリアムがそんなことを尋ねる。
口元に手を添え、上目遣いにいたずらっぽい笑みを浮かべて。
「ハーティアは……」
「ハーティアは?」
ミリアムは狙ったように、ぴんっと人差し指を立て、
「ハーティアは、シリューさんのことが、好きですよ」
どうしますっ? と言ってミリアムはくるんと踵を返し、神教会の門を潜った。
「え? いや、え? ハーティアが? 俺を?」
王都に来て、一番の衝撃だった。
そして、それをミリアムが笑顔で語ったことが、二番目の衝撃だった。
いろいろな意味で。
◇◇◇◇◇
シリューとミリアムが、神教会の門を潜った同じ頃。
バルドゥール・ビショフの元に、騎士団により倒された災害級魔獣の人造魔石が届けられていた。
「やっぱりぃ、他の二つとまぁったく同じですねぇ」
透明な保護ケースに収められた魔石を覗き込み、ヴィオラが頬に指を添え首を傾げた。
「確かに……外見には、違いがあるようには見えませんね……」
ヴィオラの隣でローレンスは腕を組み、意見を求めるように正面のバルドゥールへ目を向ける。
「先の二つは、キッドたちが魔獣の体内から強引に引き剥がしたそうだが、これは……」
騎士団と魔導士団の波状攻撃により、魔石の魔力を使い果たした災害級の魔獣は、最後には黒い体色が灰色に変化し、燃え滓のように朽ち果てていったらしい。
「そう言えばぁ、最初の魔石も勇者様と白き翼の人が、魔獣の体から抜き取ったんですよねぇ」
「そうだね。そこに何かしらの差があるのか、それとも無いのか……その点も十分考慮して調査に当たろう」
「キッド君が戻って来るのを待ちますか?」
「ああ、そう……ん?」
あまりにも自然だったため、バルドゥールは一瞬聞き逃しそうになったが、改めてその言葉の意味気付きローレンスに目を向けた。
「彼がこの研究室に来たのは、研究補助員というより、魔石調査の安全性を確保すること。それが本来の目的……いえ任務といった方が適切かもしれませんね。違いますか?」
穏やかな笑みを浮かべたローレンスは、自分の意見に確信を持っているようだ。
「ええ~、そうだったんですですかぁ? 全然気づきませんでしたぁ」
ヴィオラが驚きの表情で、バルドゥールとローレンスを交互に見比べる。
バルドゥールはふうっと息を吐き、手のひらを見せ肩を竦めた。
「いや、さすがに鋭いな……まあ、もう誤魔化しても仕方がない。君の言う通りだよローレンス」
キッドの本名と正体については基本秘密厳守だが、誰かに気付かれた場合、無理に隠し通す必要はない。
バルドゥールはタンストールから、そう指示を受けていた。
「キッドくんってぇ、何者なんですかぁ?」
「さあ。それは私にも分からんよ」
そして、真の目的であるオルタンシアの捜索に関しては、バルドゥールにも明かされてはいなかった。
「では、キッド君が帰るまで、これは保管庫に入れておきます。ヴィオラ、手伝ってもらえますか」
「はぁい、扉あけますねぇ~」
ローレンスは魔石の収められているケースを抱え、それを先導するようにヴィオラが保管庫のドアを開けた。
◇◇◇◇◇
「治療院はこの奥の建物です。ほら、あれ」
神教会の敷地に入り中庭を横切る通路を歩きながら、ミリアムは見えてきた建物を指さした。
基本的にはレグノスのものと同じ様式の建物だが、規模としてはこちらの方がかなりに大きく立派だ。
入口のドアを入った一階のフロアは、シリューたちが住むクランハウスの敷地くらいはありそうなほど広く、入口に向かい合うように受付のカウンターが並んでいた。
時間も夕方に近いからだろうか、受付に並ぶ人は数人程度で、待合室を兼ねたフロア内にも人影は少ないが、一応ヒスイには姿消しを使ってもらっていた。
「とりあえず、受付で聞いてみますね。ここで待っててください」
治癒術師でもあるミリアムはさすがに慣れたもので、すたすたと歩いていき受付の女性に声を掛ける。
個人情報の保護など存在しないこの世界なら、ハーティアの状態や病室も教えてくれるだろう。
冒険者ギルドも宿もそうだが、基本この世界は個人情報はダダ漏れだ。
だからといって、特に日常生活に影響があるわけでもない。
〝ま、機密事項さえ守ってくれればいいんだけど〟
そんなことを考えながらふと目を向けた廊下の奥に、こちらに向かって歩いてくる人影を見つけた。
「あいつ……」
シリューは受付嬢と話すミリアムの肩を叩き、早足に廊下の奥へと進んだ。
「え、シリューさん? あっ……」
ミリアムもすぐに状況を把握したようで、シリューの背中を追って駆け出す。「廊下は走らないでくださーいっ」
後ろから聞こえた受付嬢の声に、ミリアムは「はーい、すみませんっ」と頭を下げつつシリューの隣に並ぶ。
「あ……」
シリューたちが近づくと、その猫耳の少女は少しバツが悪そうに俯いた。
「もう動いて大丈夫なんですかっ? ハーティア」
「え、ええ。平気よ……」
とはいうものの、顔色も良くはないし、とても平気そうには見えない。
「なあ、無理しなくていいん……」
「無理ではないわっ!」
シリューの言葉を遮ったハーティアの声は、彼女にしては珍しいほど感情が篭っていた。
シリューもミリアムも、思わず押し黙ってしまう。
「あ、ご、ごめんなさい。わざわざ来てくれたのに……でも、もう大丈夫だから。出来れば、これからも手伝わせて欲しいのだけれど……」
胸の前で手を組み、ハーティアは改まった表情でシリューを見つめた。
「そっか、大丈夫っていうんなら、良かった。これからもっと面倒なことになるだろうし、お前がいてくれと助かるよ」
「え?」
「人手不足だからな、うちのクランは」
シリューは涼し気な笑みを浮かべる。
「私、安くはないわよ?」
「払うのはロリエルフだ」
悪びれもせずに肩を竦めたシリューに、ハーティアはくすっと笑った。
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