【第240話】誰にも……

「あの、シリューさん……良かったんですか?」


 治療院の併設された神教会へ向かう道を歩きながら、ミリアムが思い出したように尋ねた。


「何が?」


「魔石ですよ、もうすぐ三つ目も持ち込まれるって……放って置いても、いいんですか……」


 ミリアムが疑問に思うのも無理はない。


 シリューの推察が正しければ、オルタンシアの正体はおそらくローレンスだ。


 最も怪しい人物がいる中に、浄化した二つはともかく、瘴気の詰まった三つ目を放置するのは、捕ってくださいと言っているようなものではないか。


「いいんだよ、それが狙いなんだから」


 そのことをミリアムが尋ねると、シリューはやけにあっさりと答えた。


「え……っと。どういうことですか?」


「魔石から瘴気を取り出すためには、何かの魔道具が必要なはずなんだ。だとすればオルタンシアは魔道具を持ち込むか、魔石を一旦持ち出すか、どっちかの方法を取らなきゃならない。で、二つの魔石は俺の探査目標に設定してあるし、研究室も監視中ってこと」


 三つ目の魔石は同質の物だから探査に引っ掛かり、持ち出せばその場所を特定できる。


 持ち出さないにしても、保管庫に長時間留まれば、誰かは分からないにしろその場を押さえればいい。


 つまり、これは罠だ。


 さすがに今夜というのは考えにくいが、オルタンシアは魔石を持出す方を選ぶとシリューはみている。


 その方が、魔道具を一式持ち込むよりリスクが少ないし、いざとなればそのまま逃げることができるからだ。


 もちろん、今度こそ逃がすつもりはないが。


「分かったか?」


「はいっ」


 ミリアムは、人差し指をぴんっと立てて、大きく頷いた。


「つまりっ、捕まえちゃうんですよね!」


「いや、めっちゃ端折ったな」


 最終的に、オルタンシアを捕まえるのが目的だから間違ってはない。ただ、ミリアムの朗らかな笑顔を見る限り、本当に理解しているのかどうか怪しい。


「あれ? でも、魔石を置いてきて良かったんですか?」


 質問が振り出しに戻った。


「おまっ……」


 これはシリューにも想定外だ。


 理解していないどころか、会話が通じていない気がしてならない。


「ちゃんと聞けっっ、人の話をっ! そして考えろ、このぽんこつ娘!」


 今までの説明が全て無駄だったと知ったシリューは、ふつふつと湧き上がる感情を抑えきれずに声を荒げる。


「ご、ごめんなさぁいっ、怒んないでくださいぃ。あとあと、ぽんこつじゃないですぅ」


 ミリアムは頭を抱えていやいやをするように首を振り、少し潤んだ上目遣いの目でシリューを見つめた。


 この期に及んでポンコツじゃないと言い張る胆力には、もはや感心するしかない。


 シリューは、大きな溜息を零すことで気持ちを落ち着かせた。


「……あのな……魔石は、オルタンシアを罠にかけるエサなんだよ。だから、あえて放っておくんだ」


 シリューはゆっくりと丁寧に、そして非常に簡単な言葉でもう一度説明した。


 最後まで一緒に戦っていくのだから、基本的な趣旨は共有しておく必要がある。


「な、なるほど、エサ……そういうことだったんですね」


 今度こそ理解したようで、ミリアムは立ち止まり、顎に手を当ててこくこくと頷いた。


「ほら、行くぞ」


「あ、はい」


 シリューは少し遅れたミリアムを振り返って、促すように声を掛ける。


 神殿の門はもう見えているので、置いて行ってもさすがに迷うことはないだろうが、神殿の中は勝手を知るミリアムに案内してもらった方が早い。(意外なことに、ミリアムは学院でもそうだが、建物内で迷うことはない。逆にシリューは建物内を覚えるのが苦手だった)


「……エサ……魔族のエサ……魔族って、魔石を食べるの……?」


 ぼそぼそと呟く声を、シリューはあえて無視する。


 個性的な思考回路のミリアムを納得させるよりも、聞いておきたいことがあったのを思い出したのだ。


「そういえばさ、ちょっと教えてほしいんだけど……」


 二人だけの時に尋ねようと思っていたのだが、午後からの魔獣騒ぎでそんな時間を作ることができなかった。


「私が、シリューさんに、ですか? 何でしょう」


「ハーティアの、病気のことなんだけど……」


 シリューはハーティアがいつも同じ時間に薬を飲んでいること、そしてその薬の成分をミリアムに伝えた。


 シリューの言葉を一つ一つ噛み砕くように聞いていたミリアムは、しばらく伏し目がちに考えた後、ゆっくりと深呼吸をして顔を上げた。


「ハーティアの病気は……魔素循環障害の、一種ですね……」


 独り言のように呟いたミリアムの声と表情には、今まで見せたことのない憂いが滲んでいた。


「魔素循環障害? えっと、どんな病気?」


 ミリアムは少し戸惑う素振りをみせ、訥々と語り始める。


「シリューさんは、この世界の無機物以外の全てが、魔力を内包しているというのを知ってますか?」


「ああ。この世界の生物は、活動するためにマナを魔力に変えて消費する。消費された魔力は魔素(=瘴気)として排出される……召喚された時に聞いたよ」


 少し端折ってはいるが、そんな意味だったと思う。


「はい、その通りです。簡単に言えば、それが魔素循環なんですけど、私たち人やこの世界を生きる者には、体内でマナを魔力に変え、魔法を使い、魔素を外に出す機能が備わっています」


〝つまり、内燃機関みたいなものか〟


 燃焼室に送られたガソリンを燃やして爆発させ、そのエネルギーを回転に変える。燃えて変質したガスは、排気としてエンジンの外に排出される。


 エンジンを人の体、ガソリンをマナ、回転エネルギーが魔法、そして排気が魔素(=瘴気)。


 概ね、そんなイメージでいいだろう。


「魔素循環障害は、魔素が上手く体の外に出せなくなる病気です。瘴気をため込んでしまう訳ですから、体にはかなり負担がかかりますし、主に内蔵の機能が低下します。ハーティアの場合は……」


「そんなに、悪いわけじゃないんだろ?」


 シリューの問いに、ミリアムは押し黙ったまま俯いてしまう。


「ミリアム?」


「……あの、シリューさん……私、前にレグノスの治療院で、ハーティアと会ったことがあるんです……」


「ああ、何かそんなこと言ってたな」


 たしか、再生(リジェネレーション)した両手の診察を受けに行った時だと、聞いた覚えがある。


「その時、ハーティアが出てきたのは、魔素循環障害治療の権威ニーリクス先生の診察室でした……」


「それが、何か問題なのか? 少しでも良い医者に診てもらおうっていうの、普通だろ?」


 ミリアムはまた口を噤み、瞳を潤ませてシリューを見つめた。


「ミリアム?」


 ミリアムは肩を震わせるだけで、何も答えない。


 だが、言葉にしないからこそ、その瞳が語るものはシリューの心に突き刺さる。


「……助からない、のか……」


 否定してくれることを望んで、おそるおそる尋ねてみた。


 ミリアムは、その望みを砕くかのようにゆっくりと頷く。


「魔素循環障害は、未だに治療法が確立されていません」


「なあ、でもさ。瘴気が病気の原因なら、浄化の魔法で……」


 シリューの言葉を遮るように、ミリアムは首を振った。


「浄化を使っても、ほんの少し病気の進行を遅らせるだけです」


 人は生きている限り魔力を使い、魔素を出し続ける。24時間、365日、休まずに浄化魔法を掛け続けることなど不可能だ。


 加えて、弱って機能不全を起こした内蔵を元に戻すこともできない。


「上位の治癒魔法でも、だめなのか?」


「ダメです。治癒魔法は絶対に使っちゃダメっ」


 ミリアムは不意に声を荒げる。


「原因は分かっていないんですけど、治癒魔法は病気の進行を異常に早めます。上位であればあるほど、強い魔力であればあるほどですっ」


 だから絶対に使うな、と。ミリアムは何度も念を押した。


 魔法が駄目ならば、医者でもないシリューには最早何もできることはない。


「……どれくらい、生きられるのかな、あいつ……」


 まるで溜息のようにシリューは呟いた。


「人によって症状は違います。病気を持っていても、天寿を全うする人もいます。でも……薬……ハーティアの飲んでる薬は……末期患者の、もの、です」


途切れ途切れの言葉でミリアムは答えた。


「誰にも……迷惑はかけない……か」


 非常階段の下での出来事が、もう随分前にも感じる。


 ふと立ち止まって見上げた空に、薄くなり消えかけた雲がゆっくりと流されていった。


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