【第238話】心にとどめて

「それじゃあ、俺は学院に戻って、ディックたちと合流するかな」


 ドクは一度大きく伸びをして、シリューたちに背を向けた。


「ハーティアは、いいのか? あ、いや……」


 そう問いかけたシリューだったが、すぐにそれが早計だったと気付いて口ごもる。


 だが振り向いたドクは気にした様子もなく、お道化たように肩を竦めて笑った。


「ティアはあんたに任せるよシリュー。俺が顔を出せた義理じゃないし、後でこっそり詩でも贈るさ」


「……そうか……」


 歯切れの悪いシリューの返事に何か思うところがあったのか、ドクは一度空を仰ぎ、それから少しだけ真面目な顔をしてシリューを見た。


「俺とティアは確かに婚約者どうしだった。だけど、それも昔の話さ。俺たちは、綺麗に終わったんだ。俺もティアも、今は別々の人生を歩んでるし、もう何の拘りもしがらみもない……」


 ドクはそこで言葉を切り視線を落とす。


「だからな……」


 もう一度顔を上げた時、ドクの目にはこれ以上ないくらいに真剣な光が灯っていた。


「これからは、あんたがティアを支えてやってほしい……。まあ、あんたにも都合があるだろうから、無理にとは言わない。けど、少しでも心に留めておいてくれると、ありがたいかな……ティアの友人としては、ね」


 そう言うと、ドクはシリューの返事も聞かずに踵を返した。


「……勝手なことを……」


 二人の間に何があったのか察することはできないが、今はそれでいいと、少しふらつきながら遠ざかるドクの背中を眺めて、シリューは小さな溜息を零した。


「あんたのこと、誤解してたみたいだな……」


 詩人を語る、軽薄なだけの男ではなかったようだ。


 調子の良いのは、終始一貫しているが。


 ふとミリアムに目を向けると、彼女は黙ったまま穏やかな顔で佇んでいた。


 こくんっと首を傾げて笑う仕草から、彼女の本心を窺うことはできない。


「さて、と。じゃあ、俺は魔石を研究室に預けてから、治療院に行くよ」


 シリューの言葉に、ミリアムの表情が一変する。


「あん、待ってくださいっ」


 空に飛び上がるためにぐっと身を屈めたシリューの腕を、慌てて駆け寄ったミリアムが縋るように掴んだ。


「私も、一緒に行きます」


 ミリアムの目は必死だ。


「いや、治療院に行くなら直接行けよ、その方が早いだろ」


 ただシリューは、肝心なことを忘れていた。


「ここからですか? 本気ですか? 私、泣きますよ」


 と言いつつ、ミリアムの瞳は既に潤んでいる。



「あ……ああっ」


 ここのところ、の姿を見ていたせいか、彼女の壊滅的な方向感覚の事がすっかり頭から抜けていた。


「……そうだな。じゃあ、一緒に行こうか」


「は、はい。あのお願いしまっ、ひゃん」


 遠慮がちに身を寄せようとしたミリアムは、シリューに倒れ込むようによろけた。


「ミリアムっ!?」


 シリューは咄嗟に肩を抱いて支え、ミリアムの顔を覗き込む。


 心なしか顔色が悪い。


 そういえば、ドクも少しふらついていたし、戦闘での疲労が激しいのかもしれない。それに加えて、ミリアムは魔獣の攻撃をもろに喰らっていたのだ。


 防具がある程度防いでくれたにしても、躰へのダメージは少なからずあったはずだ。


「大丈夫か? 少し休んでいこうか?」


 怪我は治癒魔法で治せるが、体力までは回復できない。


「ごめんなさい、少しくらっとしたけど、もう大丈夫です。なんか、ちょっと安心しちゃったのかな……」


 張り詰めていた緊張が一気に緩んだ、というところだろうか。


 しおらしく、俯き加減に佇むミリアムの姿を目にして、シリューはふとそう思った。


「いや、ちょっ、ミリアムっ!?」


 そして、すぐに目を逸らした。


 戦闘中は気にもしていなかったが、改めてよく見るとかなり不味い。いや、よく見るのは不味い。絶対に。


 制服の上着を着ていないくらいは何の問題もないが、長袖の白いブラウスはいたる所が裂けて腕は肌が露出してしまい、胸や腹の部分からは薄紫のビスチェが覗いている。


 もちろんそのビスチェはれっきとしたアウターの装備なのだが、他の誰かが見れば下着と勘違いされてもおかしくはない。そのことを知っているシリューでさえ、一瞬そう思ったのだから尚更だ。


 そして、どんな経緯でそうなったのか、スカートが無い。


 丈の長いブラウスの裾からは、辛うじてビスチェドレスの白いスカートがはみ出してはいるものの、短すぎて角度によっては何も履いていないように見える。


 むき出しに晒された太腿の肌色と、鮮やかに白いガーターベルトとのコントラストが、この場にそぐわない艶めかしさを増長して、危ういくらいに扇情的な姿になってしまっている。


「シリューさん?」


 ミリアムは、押し黙ったまま目を背けているシリューの顔を、不思議そうな表情で覘きむ。


「お前、それ……」


「え? あわわ、ひどいなぁ、ぼろぼろだ……。これはもう脱いじゃった方がましですね」


 指を差され改めて自分の姿を見直したミリアムは、シリューの心配などどこ吹く風といった様子で、ブラウスのボタンに手を掛けた。


「ち、ちょっとまてっ。こんな所で脱ぐなっ」


 そんなミリアムをシリューは慌てて止める。


「ぷふっ」


 その顔があまりに真剣すぎたため、ミリアムは思わず吹き出してしまった。


「や、シリューさん、何焦ってるんですか? ちゃんと装備は着てますし、別に裸になる訳じゃないですよ? それにほら、誰もいないじゃないですか」


 周りを見渡すミリアムの言う通り、住民は全て避難していてこの付近に人の気配は無いし、下着姿になるわけでもない。


 シリューが変に意識し過ぎているだけだ。


「あれぇ? シリューさん。何かえっちなこと考えてました?」


「うるっさいっ。そんな事より、着替えあるのか」


 当たらずとも遠からず。少しだけ図星を衝かれたシリューは、誤魔化すようにに言い放った。


「えっと、制服の上着はあるんですけど、替えのブラウスとスカートはお部屋です。あ、でもでも、法衣は持ってきてますから、これ着ますね」


「ああ、そうだな。法衣の上に制服の上着も着とけよ」


「はい。変装もした方がいいですか?」


「そうだな、学院も今は騒がしくなってるだろうし、余計な混乱は避けた方がいいと思う」


「はい」


 ミリアムがマジックボックスから法衣を取り出すと、シリューはすっと背中を向けた。


「手伝ってもらっていいですか?」


 ふと湧き上がった悪戯心。


「ああ、そうだな……って、手伝うかっっ」


 よほど焦ったのか、シリューはびくっと肩を震わせた。


 その姿が、益々ミリアムの悪戯心に火をつける。


「このビスチェって、一人だとちょっと大変なんです。脱ぎますから手伝ってください、ほら、あそこの建物の隅なら、誰にも見えませんよ、ね」


「ね、じゃないっ。お前いつも重ね着してるんだから、脱ぐ必要ないだろっ」


「今日はシリューさんにぃ、脱がせて欲しい気分なんですぅ、ほらぁ」


 ミリアムは花のような笑みを浮かべて、さあどうぞお言わんばかりに両手を広げた。


「お前……かんっぜんに遊んでるよな……」


「ん? シリューさん。顔、赤いですよ?」


 シリューは未だ、逆セクハラ攻撃に弱かった。


「あっそ。お前、一人で帰るんだ?」


 ただし、ミリアムに対しては反撃の方法も心得ている。


「ごめんなさい、ホントにごめんなさい、調子にのりました。置いてかないでください、お願いします」

 そして、ミリアムの方向感覚は最弱だった。




「換装」


 ミリアムがようやく法衣の袖に腕を通し始めたとき、シリューの身体が光に包まれ、一瞬のうちに制服姿に変わる。


「それ、便利ですよねぇ。いちいち着替えなくってもいいんですもん。私にもできたらなぁ……」


 ミリアムは、羨ましそうな目でその光景を眺めていた。


 着替えるのが面倒、という訳ではないのだろう。


 ただ、冒険者が寝るときと風呂にはいるとき以外装備を外さないように、ミリアムも常に防具であるビスチェドレスを身に着けている。


 問題は本来アウターである装備を、インナーとして着込んでいる事だ。


 いくら躰にぴったりフィットしているといっても、多少はきつくなるだろうし着心地も良くないのは察しがつく。


「暇になったら考えてみるよ」


 特に根拠があった訳ではないが、何となくできるような気がしていた。


「ほんとですか? やたぁっ」


「ご主人様、ヒスイもやってみたいの、ですっ」


 胸の前できゅっと両手の拳を握ったミリアムにつられて、ヒスイがポケットから身を乗り出してシリューを見上げる。


「うん、わかった。でも、二人とも、あんまり期待するなよ?」


「はいっ」


「はい、ですっ」


 返事をしつつも、二人の顔は期待に満ち溢れ、きらきらと星を散りばめた瞳でシリューを見つめている。


「……いや、だから、あんまりっ……」


 二人の無垢な笑顔の前に、否定する言葉は続かなかった。


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