【第237話】作戦終了
「瘴気……か」
この世界の生物すべてが活動の為にマナを消費し、消費されたマナは魔素として排出されそれが瘴気となる。
もちろん、魔法の場合も同じだ。強い魔法であればあるほど、発生する瘴気の量も多くなる。
更に人々の恐怖や怒り、妬みや憎しみの感情がより多くの瘴気を生む。
人造魔石も魔獣の中で魔力を消費する以上、それは変わらない。
変わるのは、そうして発生した大量の瘴気を、
「ミリアム」
魔石から目を離さないまま、シリューはミリアムの名を呼んだ。
「は、はいっ」
「瘴気って人の目に見えるのか?」
シリューは以前、レグノスでランドルフが魔人に変わる時、黒い霧のような物が集まるのを見た。
「瘴気、ですか……いえ、魔力と同じで、感じる事はできても、見る事はできないと思います」
余計な質問をせず端的に答えたミリアムの目の前に、右手に持った一つの魔石を差し出す。
「この魔石に、瘴気を感じるか?」
ミリアムしばらく魔石を見つめた後、すまなそうに首を振った。
「ごめんなさい……何も感じません」
「そっか、やっぱりな」
解析を掛けても瘴気を検出する事はできなかった。魔石の成分構造や製造時に使われた魔術式が、瘴気を外に漏らさない、一種の封印の役割を果たしているのだろう。
それならば、確認する方法は一つだ。
シリューはミリアムに背を向け、右手の魔石に意識を集中させる。
「セイクリッド・リュミエール!」
眩い銀の光が魔石を包む。
光系の浄化魔法。本来は勇者しか使えないはずの光魔法だが、シリューは自らのギフト【生々流転】の能力によって、一度見た魔法であれば正確に再現できる。
「なあおい、それって光……いや、聞くのは野暮かな。神秘的な謎を秘めているからこそ、詩の中の英雄は永遠に輝き続ける」
「ドク、うるさいです」
演技じみた大袈裟な身振りで語るドクを、ミリアムはたった一言でぴしゃりと諫めた。
「いや、あの……相変わらず辛辣だなミリアム……」
共に戦った仲だが、ミリアムの態度は変わらなかったようだ。
そんなミリアムとドクのやり取りを気にする事も無く、シリューは光魔法により浄化を続ける。魔石に蓄えられているはずの瘴気を、残さず焼き尽くすイメージで。
時間にして二分ほどだろうか。
シリューの放つ銀の光が消えた。
「ミリアム。もう一度見てくれ」
シリューは再度二つの魔石をミリアムに見せる。
右は浄化した物、左は何もしていない物。
シリューには、この二つに色の違いがあるようには見えない。
「あ……こっち……シリューさんの右手の物は、色が変わりました! 研究室でみたのと同じです!」
魔石を指さして、ミリアムは少し興奮気味な声をあげた。
「やっぱり、そうか……」
「どういう事だ? シリュー」
神妙な顔で尋ねたドクの隣で、ミリアムも興味深そうな表情を浮かべて首を傾げる。
「……この魔石は、瘴気を集めるために造られたんだ」
魔獣や魔人を生むのはあくまでも大量の瘴気を集めるための過程にすぎない。
そして、取り込める瘴気の量は消費した魔力に比例する。
マナッサでドラウグルワイバーンを勇者と戦わせたのも、魔力の消費が問題だったのだ。
当初オルタンシアは、レグノスにおいて魔人化させたランドルフを、魔力が尽きるまで暴れさせるつもりだったのだろう。
だが、シリューという予期しない介入があったせいで、魔石の魔力を使い切る事なく、瘴気も目標ほど集まらなかった。
だから、せっかく奪い返した魔石を、もう一度マナッサで使ったのだ。
勇者の手に渡っても、それはハーティアを介して、学院へと届けられるのを知っていたから。
今回のノワールとオルタンシアの目的も、戦いを長引かせる事だったのだろう。
オルタンシアの方はよく分からないが。
最終的に、魔獣を倒したシリューの手によって、魔石は研究室へと持ち込まれる。
全ては、オルタンシアの目論見通り、という訳だ。
「で、瘴気を集めて、オルタンシアは何をするつもりなんだろうな?」
ドクは腕を組んで眉をひそめる。
「ああ、それは……」
僅かに逡巡したシリューだったが、ここまで巻き込んだ以上本当の事を話すべきだと思い、ミリアムの顔を見る。
ミリアムもシリューの気持ちを察して、こくんっと頷く。
「まだ、俺の憶測でしかないんだけど……ヤツの目的は魔神の復活だ。瘴気はそのために必要なんだと思う」
ドクの目が大きく見開かれる。
「魔神だって? それは一部の者にしか伝えられていない情報……ああ、そうか、ミリアム。君は神教会の中でも特殊な立場ってわけか」
ドクは、シリューたちが思いもしないことを口にした。
「その言い方っ……あんたは魔神の話を知ってたのか? そっちの方が驚きなんだけど……」
「まあそれはほら、俺は詩人だから、いろいろと耳にするんだ」
にやっと笑って片目を瞑るドクだったが、胡散臭いことこの上ない。
「ディックたちも知ってるのか?」
「いや、二人が知ってるのは、御伽噺に出てくる悪魔くらいだと思う」
「じゃあ、二人にはあんたから説明しといてくれ」
ドクが頷いたのを見て、シリューは左手の魔石に目を移した。
研究のためには、このままの状態でバルドゥールに渡すべきだろう。
だが、オルタンシアの狙いはまさにそこだといえる。
「バルドゥール先生には悪いけど……」
シリューは躊躇せずに、左手の魔石にも浄化の光魔法を掛けた。
これで少しは、オルタンシアの計画を狂わせる事ができるかもしれない。
人造魔石の研究は遅れるかもしれないが、みすみす瘴気を回収されてしまうのはなんとしても防ぎたい。
もちろん、この結果については最後まで責任を持つつもりでいるし、なにより魔神に関わる事からは逃れられないだろうとは思っていた。
シリューは短い溜息をついて、二つの魔石をガイアストレージに収納する。
それから、顔を上げて辺りを見回した。
「……なあ……」
ここに来た時からずっと気になっていたこと。
「ハーティアの姿が見えないけど、何かあったのか?」
「ハーティアは……今、治療院です」
ミリアムは真っ直ぐにシリューを見つめた。
「治療院って、怪我したのかっ!」
その声はシリュー自身が思っていたよりも大きく、ミリアムの肩がびくっと震えた。
普通の傷なら、体力までは戻らないにしても大抵は治癒魔法で治せる。相当深刻な状況であれば別だが。
例えば出血多量であったり、手足や臓器を失うほどの重症だった場合だ。
やはり時間が掛かりすぎた。
もう少し上手くやることはできなかったのか。
シリューの脳裏にそんな思いが過る。
「いや、怪我はしてない。発作が出たんだ」
ドクの声にシリューは背後を振り返った。
「発作? 病気の?」
「ああ。多分魔法を使いすぎたんだろうと思う。すまない、ティアに無理をさせちまった……」
いつも飄々として軽口をたたくドクが、珍しく神妙な表情を浮かべている。
「いや、こんな状況だし、あんたが謝ることじゃないよドク。俺がもっと……」
もっと早く来ていれば……。
表情からシリューの考えていることを読み取ったのか、ミリアムがきっ、と眉を吊り上げて上目遣いにシリューをねめつけた。
「違いますよシリューさん。ハーティアは自分のなすべきことを全うしたんです。そんなに……弱い子じゃ、ありません。守られてばっかりの私なんかより……ずっと、強いです」
そしてシリューはシリューのなすべきことを全うした。
ミリアムのまっすぐな瞳が、そう訴えていた。
「あ、ああ……うん」
ハーティアも、もちろんミリアムも、守られる側ではなく守る側の人。そういうことだ。
「それじゃあ一先ず、作戦は無事成功ってわけだ」
ドクがにっこりと笑いながら右の拳を突き出す。
かなり際どいものではあったが、人的被害を出さずに済んだのだ。ドクの言う通り、十分成功といえるだろう。
「ああ、そうだな。お疲れ」
シリューはドクの拳に自分の右拳をこつんっとぶつけた。
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