【第234話】颯爽

「う、ぐっ……」


 魔獣を包む爆炎をまっすぐに見つめながら、ハーティアは歯を食いしばり痛みに耐える。


 気を抜くと崩れてしまいそうになる膝に力をこめ、必死に平静を装い顔を上げた。


 幸い、魔獣に集中しているドクにも、オルタンシアと対峙しているミリアムにも気づかれてはいない。


「薬……」


 魔力の流れを安定させる薬を飲んでから、それほどの時間も経ってはいないにもかかわらず、すでに効果が切れようとしている。


 立て続けに上級魔法を使ったせいだろうか。


 それとも、魔力を消費すること自体に耐えきれないほど、病が躰を蝕んでいるというのだろうか。


 どちらにしても、ハーティアの取るべき選択肢は一つしかない。


「ここで、倒れるわけには、いかない……快速の矢、瞬け。マジックアロー!」


 6発の魔力の鏃が、焼けた皮膚を垂らし、再生がまだ完全ではない魔獣の頭に突き刺さる。


 大した傷を負わせることはできないが、それでもドクの援護には十分だった。


「いいタイミングだっ、サンキュー、ティア!」


 ドクは隙のできた魔獣の触手を斬り飛ばし、振り下ろされる腕の攻撃を躱してすかさず後退する。


「大丈夫……まだ、やれるわ」


 ハーティアは自分に言い聞かせるように呟き、魔獣から一旦距離を取って剣を正眼に構えなおしたドクに目を向けた。


 口元には笑みを浮かべてはいても、額に滲む汗が表情ほどゆとりのないことを物語っている。


 ミリアムは未だ魔獣からオルタンシアを引き離しているが、それでも徐々に押され始めているように見える。


 非常にきわどいバランスで成り立っている、薄氷を踏むような戦い。


 誰か一人でもリズムを崩せば、一気に崩壊してしまうだろう。


 ハーティアは痛む胸を押さえ、魔法杖を魔獣へ向ける。


「魁偉の風刃、阻害の敵を断罪せよっ。ウィンド、カッター……」


 風の刃を撃ち出したその直後。


「あ……」


 躰に残った力が一瞬でなくなり、ハーティアはまるで闇に飲みこまれるかのように意識を失い、そしてその場にゆっくりと倒れた。


「くっ、不味いっ。大地よ……ストーンスパイク!」


 僅かな時間稼ぎにしかならないが、ドクは地面から石の棘を出現させ魔獣を縫い留め、ハーティアのもとへ駆け寄った。




「ティア!!」


 背後から聞こえたドクの悲痛な叫び声に、ミリアムは致命的なミスを犯してしまう。


 ほんの一瞬だったが、思わず振り返ってしまったのだ。


「いけませんねぇ」


 その僅かな隙を、オルタンシアが見逃すはずもない。


「雷震」


 雷を纏った鋭い突きが胸元を穿つ直前、ミリアムは辛うじて上体を捩り、戦鎚の柄で剣先を逸らそうとする、が。


「きゃああ、あっ」


 剣が柄に触れた瞬間、ミリアムは激しく痙攣し膝から崩れ落ちる。


 たった一度の僅かなミスが、ぎりぎりで維持していた戦況をあっさりと壊してしまった。


 いや、維持していたのではなく、維持させられていたのかもしれない。


 今の技を最初に喰らっていたら、ミリアムにはなすすべはなかっただろう。


「手を、抜いていたんですか……」


 ミリアムは震える両手を地面について半身を起こし、オルタンシアを見上げ睨みつける。


「いえいえ、お嬢さんに合わせていたんですよ。少しでも長く楽しんでもらうためにね」


 ふざけているのか、それとも本気で言っているのか。オルタンシアの意図がよめず、ミリアムは眉根を寄せて睨んだ目にいっそう力を込める。


「つまり……戦闘を長引かせたかったって、ことですか……」


「なかなか聡明ですね、お嬢さん。もう少しお相手したいところですが、そろそろ幕といたしましょうか」


 オルタンシアが剣を振り上げる。


 だが電撃によって、両手の痺れと躰の麻痺が残るミリアムには、もはや躱す余力もなかった。


「いいですねぇ、その顔!」


 愉悦に浸るような声をあげ、オルタンシアは一歩踏み込んで剣を振り下ろした。


 その瞬間。


 横凪に飛来する風の刃が、オルタンシアの剣を止めた。


「くっ」


 受けきれないと読んだオルタンシアは、上体を逸らし後方に飛んでそれを躱す。


 そこに、それまでのような余裕はない。


「シリュー、さん……?」


 ミリアムは、斬撃の飛んできた方を振り返った。


 だが。


「魔導学院の生徒だとお見受けしたのだが……まさかまさか、こんな所でシリュー殿の名を聞くとは」


「え?」


 そこにいたのは、シリューではなかった。


 長剣を手に悠然とした態度で歩いてくる、燃えるような赤い髪の女性剣士。


 前の空いた白いコートに、明るい青で丈の短い上衣とスカート。


 お腹や脚を大胆に露出しているが下品ではなく、洗練されたその所作からは、彼女がいずれかの騎士団に所属する、正規の騎士であることがうかがえた。


「陽炎斬!」


 横たわるハーティアと彼女を庇うドクに目を向けた女性剣士は、二人に襲い掛かろうとする魔獣へ高熱の斬撃を放ち、事も無げにその片脚を焼き切る。


「シリュー殿のお仲間、という事でよろしいかな?」


「え、えっと……はい」


 思いがけない問いに、ミリアムは訳の分からないまま頷く。


「困りますねぇ。飛び入りの参加は、認めていないのですが?」


 オルタンシアは珍しく不愉快そうな声音で肩を竦めた。


「そうか? だが、それはそちらの都合だろう」


 そう答えるや否や、女性剣士は素早く地を蹴り、瞬きのうちにオルタンシアへと詰め寄る。


 同時に右手の長剣を一閃。


 そのあまりの速さと圧に、オルタンシアは辛うじて剣を合わせたものの、たまらず後退って体勢を崩した。


「相変わらず、シリュー殿は面倒事に好かれているらしい」


 女性剣士は尻餅をついたままのミリアムを後ろに庇いつつ、振り向いて柔らかな笑顔を浮かべる。


「それに……こちらも相変わらず、か……」


 ミリアムの姿を眺めて独り言のように呟いたその言葉には、なぜか少しだけ溜息が混じっていた。


「え……?」


「さあ、ここは私が引き受ける。君はお仲間の所へ」


「は、はい。ありがとうございますっ」


 剣士に促され、ミリアムは自分自身に治癒魔法を掛ける。


 ミリアムが立ち上がるまでの間、女性剣士はまるで視線で縫い留めるかのように、オルタンシアを睨み牽制し続けた。


「あの男、魔族です。気を付けてくださいっ」


「承知した」


 痛みと痺れが消え戦鎚を拾い立ち上がったミリアムは、ふと剣士を振り返る。


「あのっ……」


「ん?」


「あ、いえっ。何でもありませんっ」


 聞きたい事はあったが、今はそんな悠長なことをしている場合ではない。


 ミリアムはぶんぶんと首を振って剣士に背を向け、ハーティアたちの元へと駆けだした。


「さて、そういう訳だ。ここからは私が相手になる」


 背後でミリアムが遠ざかっていく気配を察し、剣士はオルタンシアに向かって正眼の構えを取る。


「仕方ありませんねぇ。ではっ!」


 オルタンシアは鋭い踏み込みを見せ、剣士の喉元を狙い雷の突きを放つ。


 ミリアムの動きを止めた先ほどの突きだ。


 初見では躱すのは難しく、剣で受ければ躰が麻痺の状態になる。


 だが。


「雷震!」


 女性剣士は同じ技でオルタンシアの突きを弾いた。


「なにっ!?」


 表情こそ仮面に隠れているが、オルタンシアは明らかな動揺を見せた。


 雷の突き『雷震』への対処は、動きを読み相手以上の速さで左右に躱すか、もしくは今女性剣士が見せたように、同じ技で返すしかない。


 そして、その方法を知っていて、初見でそれができる者は……。


「あなたも、剣聖の弟子……という訳ですか」


 オルタンシアが剣を両手に握り直しながら尋ねる。


「思った通り、お前もそうだったか……」


 長剣の切っ先をオルタンシアに向けて立つ、女性剣士の赤い髪が風に踊る。


「私は、クリスティーナ・アミィーレ・フェルトン。剣聖、ジャーヴィス・フロイド・ギャレットの孫だ」

 



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