【第232話】火蓋切る

「そうか……あんたのことをすっかり忘れてたよ……」


 足を止めたシリューは、男の姿を目にして眉をひそめた。


「誰?」


「知ってるヤツか?」


 男の纏うただならぬ気配に、エマとディックは思わず息を飲む。


「ごめん、仲良く自己紹介って雰囲気じゃなさそうだ」


 男から目を離さず、シリューは口元に薄い笑みを浮かべる。だが、その横顔に張り付いた表情から、言葉ほどの余裕がないことは明らかだった。


「やれやれ……お前はいろんな所で敵を作っているという訳か……」


 シリューから漂う氷のような緊迫感に当てられたディックは、軽口を叩きながらも手にした魔法杖を握りしめる。


「一度、生き方を見直してみるべきね、シリュー」


 エマが一歩横にずれて、いつでも詠唱を始められる態勢に入る。


「忠告ありがとう、エマ。とりあえず、朝の二度寝を止めることにするよ」


 シリューは両腰の双剣を抜き、逆手に構えた。


「久しぶりだな、深藍の執行者」


 目の前に立ち塞がる黒い服の男が、ゆっくりと両手を広げる。


 それはまるで、シリューたちを歓迎しているようにも見える仕草だったが、男の顔には一切の表情も浮かんはでいない。


「ああ……あんたも元気そうでなによりだよ……ノワール」


 とは言っても、もちろんシリューにもノワールを気遣うつもりはない。


 最も会いたくない相手に、最も会いたくない場所で鉢合わせたのだ。嫌味の一つぐらいは言いたくなるのも、仕方のないことだろう。


「ノワール? お前の話してた糸使い、か」


「ああ……。俺がヤツに突っ込むから、二人は回り込んで魔獣の相手を頼む」


 シリューはディックとエマを交互に見やり、右脚に力を込めて身を沈める。


「行くぞ!」


 二人が頷いたのを確認して、シリューは一気に地を蹴った。


 糸使いのノワールに対して、必要以上に間合いを取るのは圧倒的に不利だ。ここは無理にでも懐に入った方がいい。


 ノワールは全く動ずることなく、シリューの前方へ網の目状に綱糸を広げた。


「くらえ! マルチブローホーミング!」


 十発の魔法の鏃は弧を描き、ミサイルのようにノワールを狙い定める。


「むっ!?」


 前回闘った時と同じ魔法だが、ノワールはその鏃が足元ではなく正確に自分を狙っている事に気付き、素早く鋼糸を戻してこれを迎撃する。


「少しは、やる気になったか」


「さあ、何の事かなっ?」


 ノワールがすべてを交わすのは織り込み済みだ。


 鋼糸の隙間をぬって、シリューはすかさずノワールとの間合いを詰める。


 だが、逆手に剣を握ったまま鳩尾を狙って突き出した右拳は、ノワールの展開した理力の盾に阻まれて止まった。


 右腕を伸ばしきり、隙のできたシリューの脇腹へノワールが蹴りを打ち込む。


 シリューは左へステップして地面を回転しこれを躱す。


 追い打ちを掛けるように次々と振り下ろされる鋼糸を、シリューは低く大きく飛びながら剣で捌く。


「くっ」


 ほぼ一瞬で詰めた間合いは、同じくらい一瞬のうちに広げられた。


「やはり、動きは素人だなっ」


 ノワールは自分の間合いを確保しつつ左手を繰り、間髪を入れず5本の鋼糸でシリューを追う。


「無駄だよ! 障壁放電エレクトロファレーズ!!」


 電撃の壁が鋼糸を飲み込む。


 が、糸はエレクトロファレーズを突き破り、そのままシリューに向かってくる。


「なに!?」


 シリューは咄嗟にジャンプした。


 その後を更に5本の鋼糸が迫る。


 翔駆で自在に動けるとはいえ、空中では3次元的に下方からも攻撃を受ける。鋼糸の動きが辛うじて見えているのは、地上でほぼ水平方向に留意すればいい場合だ。


「ユニヴェールリフレクション! ガトリング!」


 足元に理力の盾を展開して糸を防ぎつつ、シリューは弾幕を張ってノワールを牽制し着地した。


「参ったな……耐電撃系の装備か……」


 低い姿勢のまま、シリューはノワールを睨む。


「当然だ。貴様を相手に、同じ轍は踏まん」


「なんか……最初から俺が来るのが分かってた、みたいな言い方だな?」


 ノワールは何も答えなかったが、おそらくそれが正解なのだろう。


「やっぱ、オルタンシアの手の平の上ってか……」



◇◇◇◇◇



「エマっ、よそ見をするな!」


 シリューとノワールの闘いに、一瞬気を取られたエマを魔獣の鋭い尾が襲う。


「快速の矢、瞬け! マジックアロー!」


 ディックの放った五つの魔法の鏃がその尾を切り裂き、エマに体勢を整える猶予を与える。


「曇りなき荘重なる氷壁よ、戒めとなりかの者を捕らえよ。アイスプリズン!」


 続けて唱和した呪文により、ディックは魔獣を氷牢の中に閉じ込めた。


「魔獣に集中しろ! 糸使いはシリューに任せるんだっ」


「ええ、ごめんなさい」


 初めて対峙する人造魔獣に、戸惑いがないわけではなかった。


 体長は軽く4mを超え、グロムレパードを更に大きくした黒い体躯。


 頭の角はもはや原型を保たずに折れ曲がり、先端が刃となった鞭のように長い尾は、5本それぞれが別の生き物のように蠢いている。


「動く死体か……」


 鼻を衝つく腐臭と色彩を失った闇色の目には、思わず酷い嫌悪感が込み上げてくる。


 そしてシリューの話した通り、攻撃を仕掛けてその身体の一部を損壊させたとしても、瞬くうちに元通りに修復される。


 生前のように殺撃放電こそ使う事はないが、それでも剣や槍を使えないディックとエマにとっては、かなり厄介な相手だ。


「エマ!」


「波状する無数の火種よ、霧中へと誘い早暁に瞬く風となり猛威を振るえ。爆轟デトネーション!」


 氷の檻を強引に破壊した魔獣を爆炎が包む。


 吹き飛んだ魔獣の脚が即座に再生される。


「無情なる槍手の刃、その爪痕を残し、地の果てに轟け。メタルランサー!」


 再生されたその脚を、鋼鉄の槍が再度切断する。


 人造魔獣を倒すには、コアである人造魔石を体外に引き剥がすか、何度も再生を繰り返させて魔力を枯渇させるしかない。


 だが前者の方法は、圧倒的な身体能力を持つシリューか勇者くらいにしかできないだろう。


「静寂を貫く凛冽りんれつたる凍気、清き鈴音に導かれ白銀へ連なる扉を開け、氷結コンジェラール!!」


 再生しようとする魔獣の全身に、分厚い氷が覆う。


 もとより、消耗戦は覚悟の上だ。



◇◇◇◇◇



「こいつ、元はゴブリンかっ?」


 ドクは、そのあまりにも醜い姿に眉をひそめた。


 3mはあろうかという細い身体は黒い皮膚が所々爛れ、赤みを帯びた肉がのぞく。


 身体には不釣り合いな、丸太のように太い腕と異常に膨れ上がった腹。


 その腹からは、まるで腸がはみ出したかに見える6本の触手が生え、うねうねと気味悪く蠢く。


 真ん中に窪みのある剥げた頭に大きな鉤鼻が、辛うじて元の姿を残していた。


 魔獣からある程度の距離を置き、ドクは背後のハーティアを守るように剣をふるう。


 二人が一定の間合いを取れているのは、前線で戦うミリアムのお陰だ。


 石畳を砕き地面を抉る魔獣の腕は、たとえ獣人のパワーをもってしても防げるものではない。人がくらえば一撃で五体バラバラになるだろう。


 だがミリアムは、そのすらりとした細くしなやかな躰にもかかわらず、魔獣の力に押されることなく対峙していた。


 触手による鞭のような攻撃を、優雅なダンスさながらのステップで躱す。


「はあああああ!!」


 風を切り振り下ろされた魔獣の腕を、ミリアムは渾身の力を込め振り上げた戦鎚で跳ね返す。


 その勢いのままローブをなびかせて回転。一歩踏み込んだミリアムは、僅かによろけた魔獣の脚に戦鎚を叩きつけた。


「ディープ・インパクトォォォ!!」


 衝撃音と共に、魔獣の脚が跡形もなく吹き飛ぶ。


「離れて、ミリアムっ!」


 タイミングを計ったかのようなハーティアの声が響き、ミリアムは横に大きくジャンプする。


「全てを葬る慈悲の炎、天を焦がし邪なるものを灰燼に帰せ! クレマツィオ・ブルチャーレ!!」


 片脚を失い倒れた魔獣を、回転し燃え上がる炎の柱が呑み込む。


 魔法を維持する十数秒の間、ハーティアの意識は全て前方に注がれていた。


「ティアっ! 伏せろっっ!!」


 ドクの叫び声を聞き、ハーティアは条件反射的に身を伏せる。


 その頭上を、ドクの放ったダガーが風よりも速く飛び過ぎ、ハーティアに迫る男に狙い定める。


 甲高い金属音を鳴らし、ダガーを剣で防いだその男は、足を止めず再度ハーティアに向かって剣を振り上げた。


「三人は少し多いですね、お一人は退場願いますよ」


 背後を見上げたハーティアの目に映る、金の仮面。


 無慈悲に振り降ろされる剣を受けるには、魔法杖はあまりにも無力だ。


「させませんっ!」


 切っ先がハーティアに届く直前、先ほど魔獣の脚を吹き飛ばした戦鎚が、火花を散らし剣を受け止めた。


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