【第231話】ひとつの幕引き

 街の北東のターゲットに向かって走りながらも、シリューはずっと一つの事を考えていた。


 こうやって自分たちが人造魔獣に気付くのも、オルタンシアの狙い通りなのかもしれない、と。


「どうした、まだ気になる事があるのか?」


 隣を駆けながら、ディックが尋ねる。


「気になるっていうか……なんか、全部オルタンシアの手の平の上で踊らされてる気がするんだ」


 どう足掻いても、後手後手に回っているのがその証拠だ。


「ヤツの行動が読めない、次にどんな手を打ってくるのか予想ができない……ヤツの力が、分からない」


「不安なのか?」


 図星を衝かれたシリューは一瞬顔を強張らせるが、それでも素直にそれを認めて頷く。


「なるほどな……でも案外、向こうも同じ事を思っているんじゃないか?」


「え?」


 ディックはふっ、と笑みを浮かべた。


「あまり自覚がないようだが……模擬戦でお前の力を見た時、この僕ですらこの世のものとは思えなかった」


「神話に登場する、世界を滅ぼす悪魔だと本気で思ったわ……」


 あの時の事を思い出したのか、エマは蒼ざめた顔で首を振った。


「悪魔、ね……」


 当たらずとも遠からず、といったところだろうか。


 エマの言葉に、シリューは自嘲気味に口元を緩める。


「災害級のオルデラオクトナリアを、たった一人で瞬殺した『深藍の執行者』のはオルタンシアも知っているんだ。ヤツが余程の馬鹿じゃない限り、最大級の警戒をしてるさ」


「私もそう思うわ。は、時にはどんなに優れた知略も策略も、簡単に凌駕して打ち壊してしまうものよ」


「えっと……うん。そうだな、そうだといいけど」


 二人の言い方には少しだけ引っかかるものがあったが、シリューは苦笑いを浮かべて頷いてみせた。


「けっこう人が増えてきたわね」


 PPIスコープに映し出された地点へ近づくにつれ、避難する人々の数が目に見えて増え始める。


 ただ、三人とも魔道学院のローブを着ているお陰で、こちらに気付いた人たちは自然と道を開けてくれた。


「そろそろだ、二人とも十分……」


 ドオォォン。


 シリューの言葉は、突然の岩を砕くような破壊音にかき消された。


「きゃあああ!!」


「ま、魔物だ!」


「助けてえ!!」


 破壊音に続いて、三人の向かう通りの先で叫び声があがる。


「あの十字路の左だ! 急ごう!」


 シリューが指差した十字路からは、大勢の人々が雪崩を打つように逃げ出してゆく。


 そして、一気に人の波が引いた十字路を曲がった時。


「やはり来たか」


 シリューたちの行手を遮るように、黒づくめの男が立っていた。



◇◇◇◇◇



 ミリアムたちの向かった王都の南西地区は、住民には貴族や裕福層が多く、また王国騎士団の本部にも近いため、北東地区に比べいつも通りとはいかなくとも、今のところそれほどの混乱は見られなかった。


 だが実際は、守りの要である騎士団は、街道に現れた災害級に対処するためにほぼ出払っていたし、街に残る戦力である魔導学院の生徒たちは、避難する人々の誘導や退路の確保に街の北東地区へ集中していた。


 いってみればここは現在、最も守りの手薄な地区となっているのだ。


 身体強化の使えないハーティアに合わせて、ミリアムたち三人は息の上がらない程度の速さで走っていたが、ドクは隣に並んだハーティアの様子を気にしてか、ちらちらと何度も彼女の顔を窺った。


「どうしたの? 私の顔に何か付いているのかしら」


「ああ、いや。そうじゃなくて……」


 後ろをついてくるミリアムをさっと振り向き、聞こえないくらいには離れていることを確認してドクは続ける。


「今まで……有耶無耶にしてきたからな。君にちゃんと謝っとこうと思って、さ……」


「こんな時に? 今この状況で? もしかして、婚約解消の件? あれは以前話し合って、お互いに納得したでしょう?」


 ハーティアとドクは幼馴染であり婚約者だった。


 それはもちろん親同士の決めた事だが、貴族の間では本人の意志を無視しての婚約など珍しくもなかった。


 だから二人ともその事を特に意識した覚えはないし、それで何かが変わるという事もなく過ごしてきた。


 家どうしの付き合いもありハーティアとドクは、同じ年代の男女よりは仲が良かった方だ。


 改めて二人で出かけたり遊んだりすることはなかったが、同じ魔法学校に通い、一つ上のドクが勉強を教えたり、とりとめのない悩みなどを相談したりと、それなりに楽しい学校生活を送っていた。


 三年前、ハーティアに母親と同じ病が発病するまでは。


 婚約の解消は、病気を知ったドクの家の方から一方的に通達された。


 だがそれも、成人するまで生きられないと診断された女性に対しては、ごく当然の反応であるともいえる。


 見舞金と称して、かなりの額がポードレール家に支払われ、二人の関係は終わった。


 それからは少しづつ疎遠になり、ドクは一年ほど放蕩の旅を続けて、魔道学院で再会してからもごくたまに会話を交わす程度の接点しかなくなっていた。


「もう終わったこと、ではなかったかしら」


 ハーティアは訝し気にドクを見つめた。


「もちろん、今更蒸し返すつもりはないさ。ただ……」


「ただ?」


「……あれがキッカケで……親父さんとの関係が悪くなったんじゃないかって、思ってさ。本当に申し訳なかった」


 すまなそうに視線を外すドクに、ハーティアは小さく首を振って応える。


「そうだとしても、貴方に責任はないわ。父さまを落胆させたのは、騎士としての才能の無かった私自身よ。それに加えて、病気で長くは生きられないとなれば、私はポードレールのお荷物でしかない……」


「ティア、それはっ……」


「でも、貴方の謝罪は受け入れます」


 ハーティアは、もうこの話は終わり、とばかりに前を見据えた。


「一つ聞くけど……シリューは君の病気の事、知ってるのか?」


「知らないでしょうね、薬を飲むところは見られたけれど、何も話してはいないから」


 随分と不躾な質問だと思ったが、ハーティアは眉をひそめながらも即座にそう答えた。


「そうか……」


「いきなり何? 貴方らしくもない事を聞くのね」


 ドクは唐突に、真剣な眼差しを向ける。


「好きなのか?」


「は……?」


「シリューのこと、好きなんだろ?」


 思いもしなかったドクの言葉に、ハーティアは目を見開いて息を呑むが、取り乱した様子は見せずに大きく息をついた。


「質問が二つになっているわ」


「え、あ、そうか、そうだな……」


「お喋りの時間は終わりよ。前を見てっ」


 ハーティアが指差し目を向けた先には、叫び声を上げながら逃げ惑う人々と、それを追う体長3mはある二本足のどす黒い魔獣。


「我が力に呼び起されし清浄なる飛泉よ、連なる者を守り万物を退ける壁となれ。キャスケードウォール!」


 ミリアムの詠唱に呼応し、逃げる人々の背後に三重の滝が噴き上がり、襲い掛かろうとする魔獣の足を止める。


「なっ、この位置で!?」


 魔獣とドクたちの間には、まだ100m程の距離がある。


 普通の、いや優秀な魔導士でさえ、魔法の効果範囲を大きく超えた距離にもかかわらず、ミリアムは事も無げに水の上級魔法を発動させた。


「先に行きます!」


 戦鎚を手に、身体強化で一気に地を蹴りミリアムが駆け出す。


「俺も行く!!」


 間髪を入れず、ドクも身体強化を掛けミリアムに続く。


 だが、ぐんぐんと加速してゆくミリアムには追い付けない。


〝もしかすると貴方より強いかもね〟


 エマの言葉がドクの頭を過ぎる。


「もしかして、じゃなくホントに俺より強いぞ、彼女……」


 そうドクが呟いた時、魔獣が滝の壁を強引に割り裂いた。


 魔獣の目と鼻の先には、転んで泣き叫ぶ女の子と、その子を庇う母親の姿があった。


「ドク!」


「任せろ! 大地を成す石片、その堅牢さを以て敵を縫い留めよ。ストーンスパイク!!」


 ミリアムの意図を悟ったドクが、地面から突き出した石の棘で魔獣を串刺しにする。


 棘に射抜かれた魔獣は痛みを感じることもなく、石の棘から逃れようと激しく身体を捩る。


 ほんの数秒の足止めにしかならないだろうが、ミリアムにはそれで十分だった。


 逃げ遅れた母娘を両脇に抱いたミリアムは、二度三度大きく跳躍して魔獣から距離を取り二人を下ろした。


「打合せなしの連携にしちゃ、ばっちり決まったな。気が合うんじゃない? 俺たち」


 再度跳躍して隣に戻ったミリアムを、ドクは軽い言葉と爽やかな笑顔で迎えた。


 が……。


「いや、なにその嫌そうな顔っ!?」


 ミリアムは何も言わないまま、ジトっとした半開きの目でドクをねめつけた。

 


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