【第228話】擾乱の午後
アルフォロメイの王都から北へ延びる街道は、広大な穀倉地帯を抜けた後、王都の西に位置する山岳地帯を躱し、三つの都市を経由してヴィクトリアス皇国へ至る北西路と、まっすぐに北へ向かいエルフの国であるアストワールの森へ続く北路とに分かれる。
レグノスからエルレイン方面を望む南街道に比べ、交通量自体は少ないとはいえ、雨の上がった午後ともなれば行き交う人々の流れが切れることはなく、それなりの賑わいを見せていた。
「さあて、そろそろいいかねぇ」
王都から5Kmほど進んだ場所で、人の背丈ほどに伸びたトウモロコシ畑の一角に身を置き、街道を窺っていたエカルラートは、ある程度人通りが増えたのを見計らって立ち上がった。
「オルタンシアの言いなりってのは気に食わないけど……こんなことで魔神の復活ができるってんなら、やってみりゃいいさ」
成功すれば何らかの恩賞を受けられるだろうし、たとえ失敗しても責められるのはオルタンシアだ。
「ま、楽しめればどっちでもいいんだけど」
エカルラートは愉快そうに口元を緩め、両手を前に突き出し長い呪文を唱えた。
エカルラートの詠唱に呼応して、街道脇のトウモロコシ畑に魔方陣が浮かび上がる。
「お、おいっ、何だあれは!?」
街道を行き交う者たちが、その異様な光景に足を止めて声をあげる。
「あはは、運が悪かったねぇ」
詠唱を終えたエカルラートが両手を振り上げると同時に、魔方陣は黒い霧となって爆ぜ、その霧の中から一体の巨大な魔物が姿を現した。
二足歩行で太く長い尾、巨大な顎と全身を覆う鱗。
C級(災害級)の地竜、サウラープロクスのように見えるが、どす黒い鱗には艶がなく、左右の腕は合わせて5本あり、それぞれ長さが違っている。
胸と腹から歪に生えた昆虫のような12本の脚は、よく見ればイグゾディアシスのものと分る。
体高10mを超えるその魔物の目に光はなく、所々崩れ落ち爛れた鱗の奥からは腐食した肉が覗く。
「ま、魔物だっ」
「で、でかいぞ!」
「逃げろ! 災害級だ!!」
大慌てで馬車を反転させようとする者。
馬の腹を蹴り、一気に駆け抜けようとする者。
馬車を捨て走り出す者。
だが、エカルラートの言葉通り、彼等には運がなかった。
間近にいた彼らの命は、振り払われた尾の一閃により、慈悲もなく刈り取られてしまった。
「ふぅん。あんなグズグズの肉片と灰の塊が、ここまでの魔獣になるのか……いっそのこと、こいつらを大量に作って戦を仕掛けた方が楽しそうだけどねぇ。オルタンシアのヤツ、何を考えているのやら……」
エカルラートは、禍々しい瘴気を纏う巨大な魔物を眺めて首を傾げる。
数日前、ソレス王国から回収されて持ち込まれたのは、勇者によって倒された災害級の死体だった。
死体といっても原型をとどめているものはなく、手足の一部やどの部位かも分からない肉片と焼き焦がされた大量の灰。
それらをトウモロコシ畑に掘られた穴へ投げ込み、黒い人造魔石を投入した後で魔方陣によりカモフラージュの封印を掛けた。
それが昨日の夜。
「ま、なんでもいいか。あたしの役目はここまでだしさ」
魔獣の封印を解いたら、後は好きに暴れさせればいい。オルタンシアの指示はそれだけだった。
「面倒なのは『深藍の執行者』だけど、そっちはノワールとオルタンシアが相手するってことだから、あたしは高見の見物といこうかねぇ」
ちらりと王都の方角に目を向けたエカルラートは、薄笑みを浮かべてその場を離れた。
◇◇◇◇◇
災害級出現の第一報は、『鳳翼闘将』クラウディウス・ポードレールの元へ、速やかにもたらされた。
「災害級か……まさか、王都のこれほど近くに出るとはな。よし、騎士団を集め緊急出動だ。運用可能な『魔導榴砲(エクスプレームス)』は? 10基か、ならば7基を騎士団へ帯同させ、残りを城門へ配備せよ。それから神殿と冒険者ギルド、および魔導学院に伝令をだせ。例の人造魔獣の可能性もあるので、そのつもりで動くようにと伝えろ。現地の指揮は私が執る」
迷う事なく部下たちに命令を下し、クラウディウスは椅子から立ち上がり、壁に掛けられた剣を手に取った。
「王都に仇なす事がどれほど愚かな行為であるか、身をもって知らしめてやろうではないか」
◇◇◇◇◇
「あ、キッドっ」
カフェテラスの入口の前で、シリューとハーティアが歩いてくるのを見つけたミリアムは、声を弾ませてにこっと笑い手を振った。
「なんだ、先に入ってればいいのに」
あっさりとそう言ったシリューには、もちろん悪意も何もない。それは分かっていても、ミリアムの笑顔は不自然に固まる。
「むぅ……」
「え? な、なに?」
頬を膨らませたミリアムが、ジトっとした半開きの目で睨めつけるのだが、シリューにはミリアムがむくれた理由が分からない。
「や、だって、席は一緒なんだし、わざわざこんな所で待ってることないだろ?」
同意を求めるように顔を向けたシリューに、ハーティアは手の平を見せて肩を竦める。
「言っている事は間違ってはいないけれど……貴方はもっと……そうね、状況を考慮するべきだわ」
「えっと……なんの状況?」
ミリアムは一瞬だけシリューの顔を見つめ、諦めたようにがっくりと肩を落とした。
「事件とか戦闘とかには、あんなに鋭いのに……それ以外は相変わらずダメダメです、アホの子です……ポンコツです」
たった一言「ありがとう」とか、そうでなければ「お待たせ」とかでもいい。そんなちょっとした気遣いが欲しいと思うのは、なにも特別な事ではないはずだ。
それとも、多くを望み過ぎているのだろうか。
「はぁぁ」
大きな溜息がミリアムの口から零れる。
「もういいです。お昼ご飯、食べましょう……」
ミリアムはぷいっと踵を返してカフェテラスの入り口を潜ると、振り向きもせずにビュッフェへと歩いていった。
「なんか、怒ってる?」
「私に聞かないで。自分で考えなさい」
首を捻るシリューを横目に、ハーティアはすたすたとミリアムの後に続いた。
それから三人は各自のトレイに料理をよそい、いつものようにディックたちの陣取るテーブルに向かう。
「そういえば、ローレンスは今日、休暇を取っているそうだ」
シリューたちが席に着くと、開口一番にディックが職員室で聞き込んできた情報を伝えた。
「なんか、昨日の今日って感じでさ、計ったようなタイミングだと思わないか?」
ドクの疑念はその場の全員が感じている事だった。
教室の仕掛けを発見された以上、いかにオルタンシアでもゆとりはないはずだ。
「もしかして、今日中に何かしてくるんでしょうか……」
「そうかもな、ジェーン。でもさ、昼食を食べ終わるまでは、待たせておいてもいいんじゃない?」
そう言って、シリューがトレイの上のサンドイッチに手を伸ばすと、ミリアムも自分のトレイから同じサンドイッチを手に取り、ぱくっとかじりついた。
「いや~さすがは深藍の執行者。余裕だねぇ」
「本当、年下とは思えないわ」
ドクとエマが、感心したようにも、呆れたようにもとれる笑顔を浮かべる。
だが、シリューの望むほど、事態は緩やかではなかった。
けたたましいサイレンの音が鳴り響いたかと思うと、一人の教官が慌てた様子でカフェテラスに駆け込んできたのだ。
「生徒諸君に告げる! 王都に緊急事態が発生した。これより当学院は臨時戦闘態勢に入る。全員装備を整え、ヒトフタサンマルに大講堂へ集合せよ! 以上だ」
それだけ叫ぶと、その教官は来た時と同じように慌ただしく出ていった。
「言った傍からこれか。残念だったなキッド、ゆっくり食後のお茶を楽しむ時間はなさそうだ」
ドクは紅茶のカップを置いて肩を竦めた。
「そうだな。でも、あんたの詩の朗読を聞くより、マシかな」
「じゃあ、それは後日改めてってことで」
シリューは手に残ったサンドイッチの欠片を口に放り込み、トレイの料理に未練を感じつつ立ち上がった。
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