【第226話】確信

 クラウディウスが帰っていった後。


 ソファーに深く背を預けしばらく思案に耽っていたシリューは、ふと顔を上げ向かい側に背筋をのばして座るミリアムに目を向けた。


「見えた、な……」


「……見えた……?」


 くんっと頷き片方の口角を上げて笑うシリューの真剣な眼差しのせいで、その言葉の意味が上手く飲み込めなかったミリアムは、戸惑いの浮かぶ瞳でシリューを見つめた。


「見えた……見え、た……みゅっ!?」


 何を思ったのかミリアムは突然変な声を漏らし、シリューの視線から逃れるように身を捩る。


「お前……何してんの?」


 シリューは首を傾げる。


「みっ、見たんですかぁっ、またっ……」


 正面で躰を逸らすミリアムの両手はそれぞれ胸と下腹部に当てられ、服の上からというのにしっかりとガードされているのはなぜだろう。しかも顔が赤い。


「え? ちょっ。なんの話し?」


「どこまで見えるんですか……下着ですか、それとも……全部、ですか?」


 恥じらいの表情を浮かべるミリアムの瞳は、みるみるうちに涙で潤んでゆく。


「や、待て。ホントなんの事だ」


「見えるんでしょう、壁とか服とか透かして……もうやだぁっ。えっちっ!」


 壮大な勘違いだった。


 シリューはあまりの馬鹿馬鹿しさに、大きな溜息を零し肩を竦める。


「あのなぁ、そんなわけ……」


 何気なく隣のハーティアに目を向けると、彼女もミリアムとまったく同じように躰を捩り、胸と下腹部をひしっと押さえたのだった。


「……」


 黙り込んで横目にねめつけるハーティアの目には、明らかな疑いの色が浮かんでいる。


「あ、いや、ちょっと、ハーティア?」


 ハーティアはぽつりと一言。


「……変態……」


「なっ!? ちょっまてっっ。勝手な想像で人を変態扱いするなっ! 透視なんて能力ないからな!!」


「ご主人様」


 それまでテーブルの端に腰掛けて静かに様子を窺っていたヒスイが、矢庭に立ち上がりシリューの目の前に飛ぶ。


「ヒスイはご主人様になら見られてもいいの。ううん、むしろ……見て欲しいの」


 それから、胸を持ち上げるように腕を組み、恍惚の表情を浮かべてふわりと回った。


「うん、ヒスイ。誤解を受ける発言は控えようか」


「わ、私だって……別に、ま、負けないですからっ」


 なぜかミリアムはそう呟いて、顔は背けたまま躰を正面へ向け、両手を腰の脇に添えて下ろした。


「ミリアム……なに張り合ってんだ……」


「私も加わった方がいいのかしら?」


 胸を覆った腕をずらし、ハーティアがちょこんっと首を傾ける。


「頼むからお前は冷静でいてくれハーティア……」


「冗談よシリュー。服や壁を透かして見る能力があれば、人造魔石を探すのにあれ程手間も人手も要らなかったでしょう」


 揶揄ってみたくなっただけ、とハーティアは少し楽しそうに続けた。


「ええと……そうなんですか?」


「そうだよっ、お前が勝手に勘違いしたんだろ」


 目を丸くして首を捻るミリアムに、シリューは大きな溜息を零す。


「あのぉ、じゃあ、見えたって、何が見えたんですか?」


「お前……」


「はい?」


 クラウディウスがやってきて、一緒にローレンスやカルヴァートの話を聞いたはずなのに、なぜ透ける透けないの話になるのかと、シリューはミリアムの顔を眺める。


「……いいか? クラウディウスさんの話で、何が分かった?」


「えっと、ローレンスさんが魔力を募集して、カルヴァート様が増援を出して、開拓専門の存在感が増した?」


「ぜんぜん違う!」


 相変わらずのトンデモ解釈だった。


 頭は良いはずなのに、空間能力とともに推理力とか考察力は壊滅的だ。


「要点は3つだ。ローレンスは魔力集積・増幅機関の開発に携わっていた。その部門の責任者はカルヴァート伯爵。開発に使われた機器の処分を担当した者は事故死した。ここまではいいな?」


「はいっ」


 ミリアムは髪を揺らして頷く。


「その3つと、レグノスでオルタンシアが起こした事件とを結びつけると、どうだ?」


「はいっ、びっくりですっ」


 その表情から察するにミリアムは本気だ。


「いや、うん、こっちがびっくりだわ……」


「天才的過ぎてついていけないわミリアム……」


 慣れているシリューはともかく、ハーティアは驚きの色を隠しきれていない。


「ち、違うんですか……じゃあえっと……」


 ミリアムは向かい合う二人を交互に見比べて、困ったように眉をハの字にして考え込む。


「や、とりあえずお前の感想はいいかな」


「そうね。レグノスの件は詳しくは分からないけれど、貴方の見解を教えてシリュー」


「むう……」


 なんとなく蚊帳の外に置かれたようで、ミリアムはぷくっと頬を膨らませたが、そんなミリアムに構わずシリューは続ける。


「オルタンシアはたぶん魔族の情報によって新兵器の秘密を知り、その開発部門に入り込んだ。そして開発が終わった後、機密情報と機器を横領してレグノス城に運び入れた」


「で、邪魔になった処分担当の女性研究者を、口封じのため事故に見せかけて殺したのね」


 シリューはしっかりと頷く。


「レグノスでの計画と学院での計画は、ほぼ同時進行だったんだろうな。レグノスでは捕らえた人から強制的に搾取する方法をとり、学院では不特定多数から気付かれないくらい微量に集める方法をとった。転移魔法陣を使えるから、2箇所の移動にも問題ないってわけだ」


「どちらかが駄目になっても、どちらかが無事なら良いってところかしら?」


「いや、たぶん本命は学院の方だ。回収された人造魔石が持ち込まれるのも計算ずくで、バルドゥールさんの研究室に潜り込んだんだろう」


「なるほど。それが分かっていたから、せっかく奪った魔石を勇者相手に使った、というわけね」


 つまり、しっかりと保険をかけていたという事だ。


「って感じだ。分かったか、ミリアム?」


 いきなり話を振られたミリアムは、ぴくんっと肩を揺らしていかにも落ち着かなげに視線を漂わせる。


「えっと……あっ」


 それから、はっと何かに気付いたように顔の横で人差し指を立てた。


「完璧ですっ。つまり、バルドゥールさんがオルタンシア!」


「なわけないだろ」


「今の話の流れで、なぜそう断言できるのか……ごめんなさい、私には理解できないわミリアム……」


 シリューは呆れて肩を竦め、ハーティアは驚愕の表情でミリアムを見た。


「へ? じゃあ……カルヴァート様……?」


「お前さ……」


「はい?」


「もう何度も言うけど……相変わらずポンコツだな」


 シリューの目が、憐みの色を帯びる。


「やあああ、やめて、そんな、かわいそうな小動物を見るような目で見ないでくださぁいぃぃ」


 ミリアムは悲鳴に近い声をあげ、シリューの視線を遮るように両手の平を突き出した。


「オルタンシアの正体についてだけど、可能性の高い順からローレンス、ローレンスに化けた誰か。後は……いや、まあこれはいいか」


「ローレンス確定ではないのかしら?」


 ハーティアが首を傾げて尋ねる。他の可能性があるようには思えなかった。


「ああ、まあね。ただ、ディックも言ってただろ? 結論を急ぎ過ぎると、状況を見誤るって。ここまで来たら、確実に正体を掴んで今度こそケリをつけたいんだ。ただ……」


「ただ?」


「ヤツの目的が魔神の復活だとしても、その方法が分からない。なぜ人造魔石が必要なのかも、魔力が空になった魔石をどう使うのかもね。そのあたりが分かれば、先手を打てるんだけど……」


「シリューさんシリューさんっ。いっそのこと、ローレンスさんを捕まえて、ヒスイちゃんの『精神浸食』にかけちゃうっていうのは、どうですか?」


 ミリアムは屈託なく笑いながら、ぱんっと手を打った。こういう時のミリアムは驚くほど容赦がない。


「や、それは、うん、そうだな……」


 ただし、ローレンスがオルタンシアなら、シリューの正体をとうに見破っているだろう。そして、いかなる場合でも無事逃走できるように準備しているはずだ。


「それは最後の手段だな。下手に動けば、また逃げられるかも」


 それに気になる事が二つ。


 旧市街に入る度に襲ってくる息苦しさに胸を締め上げられるような感覚。


 もう一つは、この王都に入った時に聞こえて来た声。


〝お前は、我になる〟


 その声の主、『我』が魔神である事だけは、もう疑いようがなかった。



◇◇◇◇◇



「教室の仕掛けに気付きましたか。さすが、深藍の執行者ですね」


 朝から降り続く雨がぽつぽつと路面を叩く様子を、オルタンシアはいつものように部屋の窓辺に立ち眺めていた。


「ずいぶんと余裕があるじゃないか」


 ソファーに座ったエカルラートが、呆れたように肩をすくめる。


「いえいえ、私も焦っていますよ。きわどいタイミングでしたからね」


 そう言ってオルタンシアは黒いグローブをはめた手で、机の上に置かれた金属製の箱を開いた。


 中には、真っ黒に染まった魔石が三つ。


「これを回収できたのは、本当に幸運でした。幽霊扱いも、甘んじて受け入れるべきでしょうね」


「じゃあ、いよいよやるのかい?」


「ええ。ソレス王国で使った、災害級の体の一部と灰も届いていますから。一晩あれば、形になるでしょう」


 黙って聞いていたノワールが、ゆっくりとソファーから立ち上がった。


「ならば明日。手筈通りに」


「長らくお待たせしました。皆様、パーティーの始まりです」


 オルタンシアは、ボウアンドスクレイプで恭しくお辞儀をした。

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