【第222話】壊そう!
その日は朝からどんよりとした雲が空を覆っていた。
「なんか、降りそうだなぁ」
空を眺めてシリューは溜息を零す。
元の世界でもそうだが、休み明けの日に天気が悪いと何となく気分も乗らない。
「傘もっていきましょうか」
ミリアムは玄関口の傘立てから3本の傘を抜き、シリューとハーティアに渡した。
この世界では、傘は女性が使う物という認識が一般的で、男性はレインコートとブーツが常識とされていたが、異世界人であるシリューはそんな常識に関係なく普通に傘を使っている。
「朝一でタンストールさんの所へ行くんでしたよね」
「うん、まあ、そうなんだけど……」
シリューはタンストールから、学院内で自由に行動する許可をもらっている。
ただそれはあくまでも常識の範囲内であって、今日シリューがやろうとしている事は、その範疇を逸脱するものだった。
そのために、一応タンストールに話を通しておく必要があると思ったのだが、どうしても一人で会いに行くのには抵抗がある。
「えっと、一緒に……」
「ごめんなさい、私は無理」
ハーティアはシリューが言い終わる前にきっぱりと断った。
「ああ、ね。気持ちはわかるよ」
タンストールの正体がアレだった事に未だ気持ちの整理がつかないのか、ハーティアは虚ろな瞳を漂わせる。
「じゃ、私一緒に行きますね」
ミリアムは屈託のない笑みを浮かべたのだが、
「ありがと。あんなのが平気なんて、お前ってホント変態だよな」
その笑顔もシリューの余計な言葉で台無しにされる。
「へ、変態じゃないもんっっ! なんで今蒸し返すんですかそれっ!!」
「いや、なんか、ちょっと思い出して」
「変なタイミングで思い出さないでくださいぃっ!」
「ねえ、ミリアムが変態って……どういう事?」
訝し気に眉をひそめてハーティアが尋ねる。
「聞かないでくださいぃっ」
「ああ、それ。初めて会った時さ、こいつ紫のパンツを……」
「答えないでぇっ!!」
「紫の、パンツ……?」
「ええ、ええそうですっっ。見せました見せつけました紫のパンツっ。ついでにっ、そのパンツ脱いで目印にしましたぁっ。それからそれからっ、そのパンツをシリューさんの鼻に押し付けたのも私ですぅっっ!!」
ヤケクソだった。
「いやお前……それはお前の名誉のために黙っておこうと思ってたのに……」
「いやあああああんっ、もうっ、なんで、こうなるんですかぁ」
「ミリアム……とってもその……大胆、なのね」
ハーティアは恥じらうように頬を染めて、ついっと目を逸らす。
「ち、違いますっ、違わないけどっ、違いますからぁ! もお、シリューさんのばかぁぁ」
自爆とはいえ、原因を作ったのはシリューだ。
涙目になりながら、ぽかぽかとシリューの胸を叩くミリアムには、そうするだけの権利はあるだろう。
「や、なんか、ごめん」
ミリアムにとっては、今日の空のようにスッキリとしない朝となってしまった。
◇◇◇◇◇
「おはよう、キッドくん、ジェーンちゃん。こんなに早い時間に訪ねてくれるなんて、どうしたのかしら?」
まだ登校してくる生徒も職員もまばらな時間、挨拶をして入った院長室で二人を迎えたのは、いつものように変態的な白タイツに身を包んだタンストールだった。
最近では、もしもの時に連絡が取れるよう、この院長室か魔調研の長官室を離れる事はほとんどないのだという。
「いたのか変態……」
探す手間がかからないわけだから居てくれた事は都合がいいのだが、それでもこうして顔を合わせるのは、何となく背筋が寒くなる。
執務机で書類に目を通していたタンストールは、ねっとりとした笑みを浮かべてひょいひょいと手を振り、シリューたちを傍に招いた。
「いや、朝からきっついなコレ……」
「シリューさんっ」
心の声がダダ洩れのシリューを、ミリアムが慌てて小突く。
「あら、顔色が良くないわね。気分でも悪いの?」
タンストールは机の向かいに立ったシリューの顔を見上げて、心配そうに尋ねた。
「あ、はい。ちょっと吐き気が」
「まあ、それは大変。ソファーで話しましょうか?」
「いえ、ここでいいです。同じ目線で話すと、余計に気持ち悪くなります」
「シリューさんっっ」
ミリアムは、顔をしかめてずけずけと思った事を口に出すシリューの袖を、引きちぎらんばかりに引っ張った。
「あははは、正直な子は好きよぉ。で、何の要件かしら? まさか、あたしの顔を見に来てくれたって訳ではないでしょう?」
当然です、と言いたかったがシリューはなんとか我慢した。単刀直入に要件だけ伝え、さっさと話しを切り上げる方がいくらかマシだ。
「今日、授業が終わった後、各教室を徹底的に調べたいんです。もしかしたら、壁や床や天井を壊す事になるかもしれないんで、その許可をもらっていいですか」
言葉では伺いを立てているが、シリューの口調には有無を言わさない押しの強さが滲み出ていた。
もちろん、拒否されても勝手にやるつもりではいたが。
「魔族がらみね……いいわ、許可しましょう。好きなようにやってちょうだい」
「ありがとうございます。それで、この件は誰にも話さないでください」
タンストールから笑顔が消え、鋭い光がその目に宿る。
「ええ、それも、承知したわ」
「じゃあ、放課後に」
今度こそ先手を打つ。
シリューは心の中で誓い院長室を後にした。
「ねえ、シリューさん。やっぱり教室に何か仕掛けがあるんですか?」
教室へと向かう渡り廊下で、ミリアムは並んで歩くシリューの顔を見上げた。
思案するシリューの表情は、今朝ミリアムを揶揄った時や、先ほどタンストールを相手にした時とは別人のように真面目で凛々しく見える。
「ああ、たぶん」
「それって、レグノスのお城にあったような物ですか?」
「規模はもっと小さいだろうけど、基本的な機能は同じじゃないかな」
ただ、それがどんな形で、どれくらいの大きさなのかは見当もつかない。
「床か壁、それか天井裏に設置されてるとしたら……かなり小さな物なんだろうけど……」
「そっかぁ、まあ、壊してみれば見つかりますよねっ」
「え?」
どことなく不穏な言葉に、シリューは思わずミリアムの顔を見つめた。
「えっと、壊すんですよねっ。教室っ」
ミリアムの声は、楽し気に弾んでいる。
「や、お前、なんでそんなウキウキなのっ?」
「私っ、壊すの得意でっす♪」
そう、確かにミリアムは壊すのが得意だ。
それが、意図したものでも意図しないものでも関係なく。
「俺が指示した物だけだぞ、壊していいの」
「ええっ? そうなんですか!?」
ミリアムはさも以外と言いたげに目を見開いた。
「徹底的に、やっちゃっていいのかと思ってましたぁ」
「アホかっ! それもう破壊だろっ。建物ごと破壊するつもりかっ!!」
「や、だってシリューさん、そう言ったじゃないですかぁ」
困ったように眉をハの字にして、ミリアムは縋りつく瞳をシリューに向ける。
「徹底的に調べる、って言ったんだ! 何をどう聞いたらそうなるんだよ、このポンコツっっ!!」
「お、怒らないでくださいぃ」
ミリアムが、咄嗟に両手で頭を押さえたのは、レグノスでのバザーの際、シリューから怒りの鉄拳を脳天に喰らったのを思い出したからだった。
◇◇◇◇◇
シリューが教室に入ると、もう大半の生徒たちが登校していて、思い思いのグループに分かれ談笑していた。
「それで、許可はもらえたの?」
気にはなっていたのか、すぐにハーティアが近づいてきた。
「ああ。好きなようにやっていいってさ」
「そう、徹底的にやっていいのね。どの教室からいく? いっそ、建物ごとやっちゃう?」
爛々と目を輝かせて、ハーティアはぐっと握った拳を掲げる。
「や、まて。なんか違う」
「え? 違うの? 壊さないの?」
そう尋ねるハーティアは、さっきのミリアムとまったく同じ表情をしていた。
「……あの……なんか、ストレスでもあるんでしょうか、君たち……」
ミリアムにもハーティアにも、解消させたいストレスがある事に、当のシリューだけが気付いていなかった。
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