【第220話】シリューとミリアム

「ちょっとここに寄っていこう。来る時に見つけてたんだ」


「え」


 シリューが指差したのは、王都でも有名なスイーツの店。


 場所柄から客層のほとんどは貴族か裕福な商人で、店に並ぶ菓子も高級なものばかりだ。


「待てせてるミリアムにさ、手ぶらで帰るのもあれだし」


「貴方にも、そんな気遣いができるのね」


 ハーティアは揶揄うでもなく、素直な笑顔を向けた。


 カラン、というベルの音と共にドアを開けると、店に漂う甘い香りが二人を包む。


「それで、彼女、何か好きなのかしら?」


「……え?」


 極めて当然の問いに、シリューは目を見開いてハーティアを見つめたまま固まる。


「いえ、あの、なにその顔? ミリアムの好みの話しよ?」


「あ、うん……そうなんだけど……」


 ハーティアに聞かれて、シリューはようやく気付いた。


「ねえまさか……知らないの? 彼女の好み……」


 ミリアムは特に何が好きなのか。


 改めて考えると、潔いくらいに何も浮かんでこない。


「付き合いはそこそこ長いのでしょう?」


「いや、まあ、そうなんだけど……」


 知っているつもりでほとんど何も知らない事に、シリューは焦りを感じた。


「……ぬいぐるみ……?」


 レグノスを旅立つ前、雑貨屋で買ったぬいぐるみを、ミリアムは嬉しそうに抱いていたのを思い出す。


 が……。


「売っていないわよ、ここには」


 そう、ここは雑貨屋ではなく菓子の店。


「あ、甘いもの、かな?」


「……馬鹿なの、シリュー」


 呆れたような、それでいて憐れむような表情のハーティアは、シリューを押し除けレジに進むと店員にこの店のお勧めを幾つか見繕ってもらった。


「はい、これでいいでしょう?」


 綺麗な袋に入れられたスイーツを手渡しながら、ハーティアは小さな溜息を零す。


「あ、ああ。ありがとう、助かったよ」


「貴方にしてはいいアイディアだけど……これって浮気を誤魔化したい男の常套手段ではないかしら?」


 当然ながらシリューにそんな意図はなかったし、ハーティアもそれくらいの事は分かっているつもりだ。


 ただ、少しばかりのいたずら心がハーティアの胸をくすぐり、なんとなく揶揄ってみたくなったのだ。


「え……? いや、ちょっとまった……ってか、そう、なの?」


「くすっ……さあ、どうかしら」


 予想以上に動揺しているシリューの表情がおかしくて、ハーティアは思わず吹き出しそうになり口元を押さえた。


「……ったく、なんか渡し辛くなったじゃないか」


「あら、ごめんなさい。でも、気にしないで普通に渡せばいいと思うわ」


「普通に、ね……」


 シリューは大きく息をついて、ハーティアを横目で見る。


 澄ました顔で流し目を使うハーティアは、どことなく楽し気な表情をしていた。


「ねえ……シリュー。貴方は……」


「ん?」


 笑顔だったハーティアの声のトーンが、ほんの少しだけ低くなった気がした。


「ああ、いえ、何でもないの。ごめんなさい」


 何かを振り切るかのように「早く帰りましょう」、と歩き出したハーティアにシリューが並んだ時には、もういつもの無表情な彼女に戻っていた。


◇◇◇◇◇


「あ、シリューさんハーティア、お帰りなさいっ」


 クランハウスの玄関を開けると、すぐさま奥にあるキッチンからミリアムが駆けてきてシリューたちを迎えた。


 聞き耳を立てていたという訳ではなく、玄関のドアに連動して各部屋のベルが鳴る仕組みになっているのだ。


「ああ、ただいま」


「ちょうど昼食の準備ができた、ところ……」


 寄り添うように並んだシリューとハーティアを見て、ミリアムは僅かに戸惑い言葉を詰まらせた。


「そっか、じゃあ昼飯の後で、これ」


 シリューが差し出した袋を受け取り、ミリアムは首を傾げる。


「これ、は?」


「途中で買ったお菓子だよ。まあ、お土産?」


 そっと袋を開けたミリアムは一瞬嬉しそうな表情を浮かべたが、すぐに眉をひそめてシリューとハーティアを交互に見つめた。


「これ……シリューさんが?」


「あ、うん。えっと……」


 余計な事を説明しようとするシリューの腕を、ハーティアが咳ばらいをして小突く。


 店員に見繕ってもらったのはハーティアで、シリューは金を払っただけだが、今その事を正直に話す必要はない。


「ふ~ん、そうですか……シリューさんが……ありがとうございます」


 敏感に何かを察したのか、ミリアムの口調には抑揚がない。


 袋の中身を確かめるように俯いた後、ミリアムは顔を上げないまま、上目遣いにシリューを見つめた。


「嬉しいですけど……何かやましいコトでもあるんですか?」


「や、まってっ。何? やましいコトって!?」


 ミリアムの思わぬ鋭い指摘に、シリューは若干焦りを覚えた。


 ただ、ミリアムを置いていった事に後ろめたさは感じていても、けっしてやましいコトがあった訳ではないのは確かだ。


「何を動揺しているのシリュー。別に、何もなかったでしょう?」


 困ったように眉をハの字にして、それでもハーティアは冷静に助け船を出した。


「そ、そう。別にやましいコトなんてないからっ」


「その言い方……余計な誤解を招くでしょう? バカなの、シリュー……」


「えっと……」


 いつもと変わらないような二人のやり取りだったが、ミリアムはそこに見える僅かな変化に気付いてしまった。


 シリューの、という訳ではなく、ハーティアの変化に。


「ごめんなさい、今のは忘れてください……昼食の後で、皆でいただきましょうねっ」


 無理に作ったミリアムの笑顔に気付いたのは、ハーティアだけだった。


◇◇◇◇◇


「それじゃあ、私は少し調べものがあるから図書館へ行くわ。夕方までは戻らないから」


「ヒスイも、ハーちゃんと一緒に行くの、です」


「そうね、一緒に行きましょうヒスイさん」


 昼食を終えると、ハーティアとヒスイはそう言ってさっさと出掛けて行った。


 しんっと静まった部屋のソファーに、ミリアムとシリューは向き合う形で座る。


「なんか、二人だけになっちゃいましたね……」


「あ、うん……」


 二人きりになるのはけっして珍しくもないのだが、お互いの息づかいさえ聞こえそうなほど静かで、シリューもミリアムもなんとなく落ち着かない。


 ヒスイはどうだか分からないが、ハーティアは明らかに気を利かせたつもりだろう。


 それが分かっているから、なおさら変に意識してしまう。


「お茶……淹れましょうか?」


「いや、いいよ。さっき飲んだばっかりだし……」


「そ、そうです、ね。あのっ、お菓子、美味しかったです」


「そ、そうか。よかった」


 不自然でぎこちない会話は、二人が思うほどには続いてくれない。


 シリューもミリアムも、相手を視界に入れないように顔を背けて黙り込む。


「あの……」


 気まずい沈黙が暫く続いた後、ミリアムは意を決したように口を開いた。


「……ハーティアと……何か、ありました?」


「えっ? いや、別になんにもない、けど」


 屋敷に行って、クラウディウスにローレンスの経歴を調べてくれるよう頼んで、帰り際には兄のエドワールと挨拶をした。ただそれだけだ。


 強いて言えば、ハーティアと並んで歩いたぐらいだろうか。


「今日の事じゃ、なくて……」


 消え入るような声はシリューには聞き取れず、言いかけた言葉をミリアムはぐっと飲み込んだ。


 ミリアムがその変化に気付いたのは、数日前ハーティアが倒れたと言った日の事だ。


 それまでも、少しづつ打ち解けていく感じのあったシリューとハーティアだったが、あの日からはなんとなく雰囲気が変わった。


 表情にこそ出さないが、ハーティアのシリューを見る目が、僅かに熱を帯びているのを感じるようになった。


 ただ、その変化にシリューは気付いていない。


 もし気付いたら……。


 ミリアムの心の中に、小さく芽吹く感情。


「ミリアム……?」


 話しの途中で黙り込んでしまったミリアムをシリューはそっと見つめる。


 名前を呼ばれたミリアムは一瞬だけ顔を上げシリューを見つめるが、その視線は迷子のように宙を彷徨う。


 それからほどなく、シリューはミリアムが感じている不安に思い至った。


「あの、ミリアム……」


「は、はいっ、なんでしょう」


 それはシリューなりの決意。


「そっちへ行っても……いいかな?」


 そして今できる精一杯の誠意。


「はい……どうぞ」


 三人掛けのソファーに座ったミリアムは、膝に置いた両手をぐっと伸ばし、髪と同じ色に染まった頬を隠すように俯いたまま、吐息混じりの声で答え瞳をとじる。


 シリューが立ち上がり、ソファーの軋む音。


 こつこつと静かに響くシリューの靴音。


 ミリアムの耳に聞こえるのは、シリューの立てる音と、浅くなった自分の息、そしてとくんとくんと早鐘を打つ心臓の音。


 止まってしまったかのように思える、ほんの短い時間。


 やがて靴音はすぐ傍で消え、自分の座った左側がゆっくりと沈み込むのを感じる。


 そして、ぴったりと触れるシリューの肩と腕。


 いつもなら必ず一人分の隙間を空けるシリューが、しっかりと体温を感じ取れるくらいに躰を寄せた事に、ミリアムの鼓動は一段と早く大きくなる。


「ミリアム、前に言ったけど……俺は、多分……いや、きっとこれからも、美亜の事を忘れないと、思う……」


 触れ合ったシリューの躰からは、温もりの他に、痛いほどの戸惑いも伝わってくる。


「はい……分かってます」


 だからミリアムにはそう答える事しかできなかった。


「だけど、俺は……でも、それでも……」


「シリューさん」


 ミリアムは、シリューの言葉の続きを遮るように、その名を呼んだ。


「なに?」


「シリューさんは……私のこと……嫌いじゃ、ないですよね?」


 ミリアムは俯いたまま尋ねる。


「……うん……嫌いじゃ、ないよ」


 シリューもまた、ミリアムを見ないまま答える。


「私……シリューさんの傍にいても、いいですか……」


「うん、いいよ」


「……仲間として、じゃないですよ」


「うん……」


「予言の乙女として……でもありませんよ」


「分かってる」


 ミリアムは浅い呼吸をして続ける。


「一人の女の子として、ですよ」


「うん。俺も、お前の傍に、いたい」


 シリューはミリアムに顔を向けて、優しく見つめた。


「今は……それだけで、十分です……」


「うん、俺もだよ、ミリアム」


 それからそっと、唇を重ねた。


 二人だけの長い午後。


 風に吹かれて踊る蝋燭の灯にように、二人の心は儚く、そして危なげに舞っ

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