【第219話】ハーティアとシリュー

「厳しいけど話しの分る、って感じの親父さんだな」


 館の門を抜け通りに出たところで、シリューは隣を歩くハーティアには顔を向けないまま、まるで独り言のように、それでもハーティアにしっかり聞こえる声で感想を零した。


「そう……ね……話す人に、よっては……」


 どこか曖昧に答えるハーティアにちらりと目をやると、彼女は立ち止まり俯いたまま陰りのある表情で口を噤む。


 何があって拗れたのかは分からないし想像もできない。ただ、じっくり話し合えばお互いの誤解も解けるように思えるが、シリューは他人の家族関係についてとやかく言うつもりはなかった。


「ま、何にしても、無事に終わってほっとしたよ。こういうのは、なんか苦手だし」


「あの……ごめんなさ……」


「ありがとうなっ」


 シリューは、謝罪を口にしようとしたハーティアを遮る。


「え?」


 想いもしなかった唐突な感謝の言葉に、ハーティアはきょとんとシリュー顔を見上げた。


「これで一つ疑問が解消されそうだ。お前のおかげだよ、ありがとうハーティア」


「あ、あの、いえ……いいのよ、そんな事……私も、仲間……なのでしょう?」


 少し戸惑いうように、ハーティアは遠慮がちな問いをシリューに投げかける。


 シリューはなんと答えるのか、自分はなんと答えて欲しいのか。


 一瞬、そんな考えがハーティアの頭を過ぎる。


「そうだな……」


 僅かに間をおくシリューの笑顔に迷いはない。


「お前は仲間だよ、ハーティア。だから、してる」


 以前シリューからその言葉を聞いたのは、ミリアムとエマが模擬戦を終えた時だった。


「信用?」


 あの時、シリューはミリアムの事を「信用している」と言った。


「じゃあ……あのっ、ディックやエマは?」


 自分でも馬鹿げた質問だと思った。そんな事を聞いて何の意味があるのかもよくわからない。それでもハーティアは聞かずにいられなかった。


「そうだなぁ、してる、よ」


 シリューは、躊躇せずにそう答えた。


 信用と信頼。


 シリューの中で、その二つは明確な違いがあるように思える。


 そして、はっきりと分かれるその輪の中に自分が入っている事に、ハーティアの心は穏やかに揺れた。


「……シリュー………一つ聞いてもいいかしら……」


 それからハーティアは、どうしても確かめておきたいもう一つの疑問を口にした。


「なに?」


「私には、貴方に助けられた事はあっても、貴方を、その……助けた覚えがないのだけれど……」


「そうか? じゃあ俺の勘違い、かな……」


 シリューはぴんっと人差し指を立てて空を仰ぎ、軽く深呼吸をした後「でも……」と続ける。


「レグノスで倒れた時……お前は俺が目覚めるまで傍についててくれた。それから、王都に入ってすぐ、心臓の痛みで蹲った時はさ、ミリアムと一緒に抱きしめてくれたろ? お前はそのつもりじゃなくても、俺はけっこう助かったよ。ってか凄く安心した。だからさ、勘違いでも何でもいいから、そういう事にしといてくれ」


 何の気負いもなくいつものように涼し気に笑って、「行くぞ」とシリューは歩き出す。


「……信用……」


 数歩離れたシリューの背中を見つめ、ハーティアは吐息にも似た声を零した。


 後を振り向く事もせず、すたすたと勝手に歩いているように見えるが、シリューはけっしてハーティアを置き去りにするような事はない。


 その証拠に、ハーティアが歩を緩めても、二人の間隔が開き過ぎないように速度を合わせている。


 だからと言って、少し傍に寄ったとしても、それ以上速足になる事もない。


〝好きなように歩けよ。俺はそれに合わせるから。隣に並びたきゃ、そうすればいい〟


 シリューの背中がそう言っているように見えた。


 選ぶのは、ハーティア自身という事だ。


「ばか……ばかシリュー……」


 誰にも聞こえない声で呟いて、そっとシリューの右側へ並ぶ。


「わ、私はっ……貴方がっ……きら、い……」


「うん。知ってる」


 あっさりと答えるシリューの横顔が、ハーティアにはなぜか遠くに見えて、不意に焦りに似た思いが湧き立つ。


「う、嘘、よ……別に、嫌いじゃ……ない」


「うん、そっか。よかった」


 どこか余裕ありげなそのさりげない態度には釈然としない。


 だが、ハーティアの心を占めた感情は、腹立たしさとは別のものだった。


「……ばか……」


 桜色に染まった頬で俯いたハーティアの呟きは、髪を優しく揺らすそよ風に流れて消えた。


◇◇◇◇◇


「うんっ。綺麗になりましたね!」


 ミリアムは満足げな顔で腰に手を当て、ぴかぴかに磨いた執務机やローテーブル、それから木目の美しい飾り棚に金属製のポールハンガーを見渡しながら、額に滲んだ汗を拭った。


 床の絨毯にはもちろん、小さな塵一つ落ちていない。


 といっても、日頃から掃除を欠かさないおかげで、それほど汚れている訳でもなかったので、軽く掃いた後に隅の埃をふき取り木製の家具を布で磨いた程度で済んだ。


 毎日の掃除は、学院から帰って来てからという約束だった。


 最初からそう決めていた訳ではないが、ここで暮らし始めて数日たった朝、いつものように掃除を始めたミリアムを、シリューは何も言わず手伝うようになった。


 それから、学院生活が始まると、「朝は忙しいから」という理由で、夕方にする事に二人で決めた。


 そして、一緒に住むようになって気付いた事が一つ。


 シリューは、割と几帳面だ。


 使った物はきちんと元に戻すし、洗い終わったカップなども綺麗に棚に並べる。その並べ方にも何か拘りがあるのか、ミリアムが適当に置いたものが、いつの間にか並べ替えられていた事もある。


 その度に、ミリアムはちょっと可笑しくなって笑ってしまう。


「もうちょっと、だらしなくってもいいのに……」


 世話好きのミリアムにすれば、そこが少しだけ不満だった。


「ミリちゃん。ミリちゃんは、ご主人様にぴったりなの」


「え? えっと、そ、そう、かな? えへへ」


 屈託なく笑うヒスイの言葉に、ミリアムはついつい頬が緩む。


「でもなのっ。ご主人様の一番はヒスイなの」


 腰に手を当ててぴんっと胸を張るヒスイの顔は、自信満々だ。


「あ、あははは、そ、そだね」


 いつも一緒の部屋、一緒のベッド、一緒の枕で寝ているヒスイだから、それは当然なのかもしれないが、なんとなく納得のいかない自分がいて、ピクシーであるヒスイを相手に意味のない嫉妬心を抱いてしまう。


「ミリちゃんも、ご主人様と一緒に寝てもらうといいのっ」


「みゅっ」


「ミリちゃんなら、ご主人様はいつでも大丈夫なのっ」


「えっ、え!?」


 いつも驚かされているヒスイの爆弾発言だが、今日は一段と破壊力を感じる。もちろん意味ではないのだろうが。


〝……でも……〟


 自分の鼓動さえ聞こえてきそうなほど静かな部屋で、そっと胸に手を添えて立ちすくむと、できるだけ考えないように心の奥底にしまっていた思いが、堰を切ったようにあふれ出してしまう。


 はたして、シリューはそれを求めるのだろうか。


 自分が望めば、シリューは求めてくれるのだろうか。


 答えは……。


「それは……シリューさんが……決める事、だから……」


 ミア・モリサキ。


 シリューが本当に求めているのは彼女一人だ。


 もう何処にもいないその人を、シリューはこれまでも、そしてこれからもきっと、心の隣において生きるのだろう。


 顔はこちらに向けていても、シリューの心は違う場所を向いている。


 ずきんっと、切ない鼓動が胸を打つ。


 そして思い出したように、首をもたげて顔を出す不安。


 最近、その不安にもう一人が加わった。


「ちょっと早いけど、お昼ご飯の準備、しましょうかっ」


 できるだけ明るい声で、ミリアムは心に広がりそうな黒い陰りを振り払った。


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