【第218話】娘と父と兄

 顔を上げ、押し黙ったままハーティアを睨みつけるクラウディウスと、身じろぎもできずに俯くハーティアとを交互に見ながら、シリューはこの親子の関係を量れず成り行きを見守った。


 家族を知らないシリューには、世の中の父娘がどういうものか想像できなかったし、加えて異世界の貴族となればなおさら理解するのは難しかった。


「申し訳ありません……私は……けっして、ポードレール家の名を汚すような真似はしません……私は……」


 堪え切れずに、ハーティアがか細い声で続けようとした言葉を、


「お前がそのような事を考える必要はない」


 と、クラウディウスはにべもなく遮るのだった。


「はい……申し訳ありません……」


 どうにも気まずい空気にシリューは逃げ出したい気持ちになったが、まだ本来の目的を果たしていない以上そんな事もできず、ただどちらかが口を開くのをじっと待った。


「いや、すまない、恥ずかしいところを見せた。本題に入ろう。誰かの経歴を調べてほしい、という事だったな」


 そして、ようやく気付いたかのように、クラウディウスが切り出した。


 シリューは、存在を思い出してくれた事にほっと胸を撫で下ろす。


「はい。詳しく説明します……」


◇◇◇◇◇


 休日の魔道学院には生徒の姿もなく、柔らかに降り注ぐ日差しの中でそよぐ風が奏でる、花壇の花を揺らす音さえ聞こえてきそうなほどに静かだった。


 学院の建物を過ぎ、四つある魔調研の研究棟の一番奥、魔道器課の三階へ上がったヴィオラ・エナンデルは、ビショフ研究室の扉にかけた手をふと止めた。


「あら~、誰かいるのかしらぁ」


 研究室の中に人の気配を感じ、鍵を開けるまでもなく扉が開く。


「おや、ヴィオラじゃないですか。どうしたんですか? 休日だというのに」


 背中を丸めて顕微鏡を覗くローレンスは、ちらりとヴィオラを見遣ったかと思うと、すぐに視線を研究の対象物へと戻した。


「暇だったのでぇ、研究レポートの続きを書こうかなぁって、思ったんですけどぉ。ローレンスさんはぁ、どうしてぇ、ここにいるんですかぁ~?」


 休日のせいかどうかは分からないが、いつにも増して間延びしたように聞こえる話し方に、ローレンスは少なからず苛立ちを覚えた。


「ちょっと思いついた事がありましてね。それを確かめたかったんですよ」


 だがもちろん、そんな感情を面に出すほど青臭くもなかった。


「ほんとにぃ、ローレンスさんはぁ、せっかちですねぇ~」


「私に言わせれば、あなたがのんびりし過ぎだと思いますけどね」


「よく言われるんですぅ。どういう意味なんですかねぇ~」


 言葉通りの意味、と言いかけてローレンスは止めた。


 自覚がないのなら、言い聞かせるだけ時間の無駄だ。この性格でよく研究者になれたものだと思うが、それこそ生まれ持った才能という事なのだろう。まったくもって羨ましい限りだが、そう納得する事にした。


「お手伝いぃ、しましょうかぁ?」


 ヴィオラはそれほど研究熱心には見えないが、それでも他人を気遣う事にかけては、まるで母親のように細かなところにまで目が届く。


 その点では、観察力に優れていると言えるのかもしれない。


「いいえ、お気遣いなく。これは私の個人的な興味で、今回の研究に役立つかどうかは怪しいところですから。あなたはどうぞ、構わずにレポートを書いてください」


「そうですかぁ……」


 その後は二人とも、時々お互いの存在を思い出したように言葉を交わす事はあったが、それ以外はほぼ無言のまま自分の作業を続けた。


「じゃあ、私はこれで失礼しますよ」


 昼前になってローレンスが帰った後も、ヴィオラは研究室に残り一人でレポートの作業を続けたのだった。


◇◇◇◇◇


「なるほど。ではそのローレンス・マーフィーという男の経歴を知りたい、という事だな」


 レグノスの事件から王都での魔道学院での異変に至る、それまでの経緯を聞いたクラウディウスは、腕を組み静かな声で尋ねた。


「はい。今のところ彼がオルタンシアかどうかは分かりません。ですが、その可能性の高い人物の一人である、と言えます」


 クラウディウスは目を閉じ、腕組みをして暫く考えた後、


「わかった、時間もあまり残されていないようだしな、早急に調べてみよう。結果については……そうだな、君のクランハウスへ使いの者をよこそう。それでいいか?」


 と、全面的な協力を約束した。


「はい、助かります」


 シリューの返事を聞いて、クラウディウスはゆっくりと席を立った。


「では、私はこれで失礼する。急な来訪だったのでな、何のもてなしもできず申し訳ない。きっと改めて招待するので、必ず礼をさせて欲しい」


 軽く会釈をするクラウディウスの言葉には、有無を言わさない押しの強さが滲み出ていた。


「ああ、それから……」


 入り口の扉へと向かう途中で、思い出したように立ち止まり振り返る。


「……用をなさない無能の者だが、雑用程度はこなせるだろう。娘の事……よろしく頼みたい」


「分かりました。でも、娘さんは天才ですよ? それに、雑用どころか、何度も助けられてますから」


 シリューは立ち上がって涼し気な笑みを浮かべる。


 隣で座っているハーティアが僅かに頬を染め、驚いたように目を見開いて見上げていたが、それにはあえて気付かないフリをした。


「……そうか……」


 それ以上答える事はなく、クラウディウスは貴賓室を後にした。


「はあ~、なんとか終わったな。ああ緊張したっ」


 硬くなった身体をほぐすように、大きく伸びをして軽く首を回す。


「緊張しているようには、見えなかったけれど?」


 どこか大袈裟なシリューの仕草に、ハーティアはくすりっと笑う口元を手で覆った。


「見た目だけだよ。よく言われる」


 たしかに人よりも冷静だったり、そうそう取り乱すような事は少ない。


 ただし、それも時と場合による。


 特に、免疫の無い事。具体的にいえば、女の子関連についてはその限りではない。


「そう? そうね。貴方にもそんな人間らしい部分があるのね、安心したわ」


「いや、人間らしいって……」


 いたずらっぽく流し目を送るハーティアを、シリューは溜息まじりに見つめ返す。


〝研究対象の実験動物扱いよりはマシ、か〟


 ハーティアの中で、若干格上げされたのは確からしい。


「さ、ミリアムが待ってるし、帰ろっか」


「ええ。あまり待たせて、闇落ちされたら怖いわ」


「それな」


「貴方が言わない」


「はい……」


 二人揃って貴賓室を出て階段を降りる。


 まるでどこかで見ていたのかと思うほど、タイミングよく執事長のベネティクトがすっと傍に寄った。


「お帰りでございますか、シリュー様。またのお越しを楽しみにしております」


 深々と頭を下げてお辞儀をしたベネディクトは、顔を上げるとシリューに向かってにっこり微笑んだ。


「お嬢様の事、よろしくお願いいたします」


「あ、はい」


 意味ありげな言葉だったが、シリューは首を傾げながらあやふやな返事で答えた。


 ベネティクトが開けてくれた玄関のドアを潜った時、今度はフロアの奥から響く声に呼び止められる。


「ああ、ちょっと待ってくれ!」


 慌てる様子もなく、優雅に駆け寄ったのはハーティアの兄、エドワールだ。


「呼び止めてすまない。俺はハーティアの兄のエドワールだ。君が深藍の執行者?」


「ええ、そうです」


 シリューの意志に関係なく、もうすっかり『深藍の執行者』で定着してしまっているようだ。


「一度、直接礼を言いたかった。妹を助けてくれてありがとう。心より感謝する、シリュー・アスカ殿」


 エドワールはシリューの右手をがっしりと両手で握り、上下に強く揺らした。


 毎日剣を振っているのだろう、麗しい見た目からは想像もできない、ごつごつとして力強い手だ。


「……我が姫の事、大事にしてやってくれ。泣かせるような事があったら、たとえ勝てないまでも、君に一太刀浴びせるからな?」


「兄さまっ!!」


 本気とも冗談ともつかないエドワールの態度に、ハーティアは顔を真っ赤に染めて抗議する。


 なかなか興味深い家族だな、とシリューは思ったが、口には出さなかった。



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