【第217話】クラウディウス

「お館様」


 乾いたノックの音が四回、その後に聞こえた執事長の声に、この館の主クラウディウスは読みかけの本にしおりを挟み机に置いた。


「ベネディクトか。構わん、入れ」


 失礼いたします、とドアが開きベネディクトが一礼して部屋に入る。


「お客様がお見えです」


「客?」


 クラウディウスは訝し気に首を捻った。


 今日は休日で、面会の予定は入っていなかったはずだ。


「ハーティア様が、お連れの男性を紹介したいとの事でございます」


「男? どんな男だ?」


 クラウディウスの眼光が、突として鋭い光を孕む。


「それはもう凛としたなかなかの好青年ですよ。さすがはハーティア様ですな、お目が高くていらっしゃる」


 温かな笑みを浮かべるベネディクトは、どこか納得した様子で穏やかに答える。


「そんな事を聞いたのではない。素性の話しだ」


「ああ、そちらでしたか」


 もちろんだが、ベネディクトもそれを分かった上で言っているのだった。


 先代の当主から仕えているベネディクトは、クラウディウスが生まれた時からこの館の執事長で、クラウディウスにとってはもう一人の父親のような、また兄のような存在であった。


 厳しかった父親には話せない事も、この執事長にはよく相談もした。


 気ごころの知れた、最も信頼のおける友人、と言えるかもしれない。


 ただ、少々お節介が過ぎるきらいはあるが。


「たしか、冒険者のアスカ様、とおっしゃいました。人となりはその目でお確かめになってはいかがでしょう。貴賓室で、ハーティア様とご一緒にお待ちです」


「……分かった……。まて、貴賓室?」


「はい。このポードレール家の威厳を見せる必要があるかと思いまして」


 驚いたように目を見開いて尋ねるクラウディウスに、ベネディクトはにこにこと頷いたが、どこかその笑顔がいたずらっぽい。


「……お前……楽しんでいるだろう」


 クラウディウスはあきれ顔で肩を竦める。


「さて、これはまた異なことを。ですが、ハーティア様が初めてお連れになったかたですから、興味は尽きません」


 さも心外だと言いたげに、ベネディクトはお道化て見せた。


◇◇◇◇◇


「なんか……暇……ですね」


 ミリアムはしんっと静まった事務室兼リビングのソファーに、寝転ぶような形でぐったり身をあずけ、ひじ掛けに置いた腕に顎を乗せたままぽつりと呟いた。


「どこかに、お出かけでも、なの」


 ヒスイは気を遣ってか気晴らしをすすめるのだが、ミリアムは眉根を寄せて「う~ん」と気の無い返事をするだけだった。


「ここって、こんなに広かったかなぁ……」


 シリューがいないだけでこんなに広く感じるのは、もちろん気のせいだと分かっている。


 自分の小さな呟き声が、やたらと大きく耳に響くのも同じだ。


 考えてみれば、このクランハウスに来てから、一人置いて行かれるのは初めての事だった。


「あれ……まって……」


 そうではない。


 シリューと行動を共にするようになって、レグノスを旅立ったあの日以来、常にシリューは傍らにいた。


 シリューがミリアムを一人にするような事はなかった。


「やだ、ちょ……なにコレ……」


 得体のしれない不安が心に覆いかぶさり、ミリアムはいやいやをする子どものように首を振る。


「ミリちゃん?」


「あっ、ごめんねなさいっ、何でもないんですっ」


 不安を振り払うようにミリアムは立ち上がり、「うんっ」っと拳を握った。


「とりあえず、こことお庭の掃除をして、それからっ、お昼ご飯の用意をしますっ」


 シリューは昼には戻ると言った。約束を違えた事のないシリューなら、言葉通り昼にはお腹を空かせて戻って来るだろう。


「余計な事は、考えませんっ」


 ただ、ミリアムはその不安の正体を考えたくはなかった。


◇◇◇◇◇


 貴賓室に入って来たクラウディウスに向かい、シリューはハーティアと共に立ち上がってお辞儀をした。


 ハーフエルフとは聞いていたが、耳はそれほど長くはない。


 ハーティアと同じプラチナブロンドの髪と琥珀の瞳。顔もどことなく似ているような気がする。特に目元が。


 人間の血が色濃く出ているせいなのか、40半ばの年齢よりもやや若く見える程度で、エルフのように極端に若いという事もない。


 凛々しく厳しそうだが、ハーティアの言った通り特に変わったところのない、ごく普通の人物。


 それが、クラウディウスに対するシリューの印象だった。


「私はポードレール家の当主、『鳳翼闘将』クラウディウス・ポードレールだ」


『鳳翼闘将』とわざわざ名前の前に付けたのは、それがこの国の礼儀で、言ってみれば『代表取締役の何某です』、と名乗るのと同じようなものなのだろう。


 元の世界で、養護施設を訪ねて来た人物がそう名乗っているのを、シリューは何度か聞いた事があった。


「父さま。こちらは冒険者のシリュー・アスカ殿です」


 これもこの国の礼儀らしいが、こういった場合、ハーティアが紹介した後に本人が名乗るのが正しいという事だった。


「お初にお目にかかります、シリュー・アスカです。どうかお見知りおきを」


 ハーティアに教わった、これも形式通りの言葉とお辞儀で挨拶をする。


「うむ、固い挨拶はもうよい。先ずは掛けたまえ」


 クラウディウスが座るのを待って、シリューはソファーに腰掛けた。


「それで……今日はいったい何の要件だ、ハーティア」


 口調こそ穏やかだが、クラウディウスの纏う空気には、ぴりぴりと肌を刺すような威圧感があった。


「一つ……お願いがあります、父さま」


「言ってみろ」


「ある人物の、経歴を調べていただきたいのです」


「なっ!?」


 今の今まで、一切表情を変えなかったクラウディウスが、ここで初めて感情を露にした。


「そんな事のために、お前はっ……」


 あからさまな不快感をその顔に浮かべ、クラウディウスはハーティアをねめつける。


 二人の仲が上手くいっていないのは本当のようだ。


 そう思ったシリューは、ハーティアに代わって説明を始める。


「この王都で、魔族の関わる陰謀が進行中です。俺は、冒険者ギルド本部長のエリアスさんに頼まれて、その魔族を追っています」


「魔族、だと?」


 思いもしなかった言葉に、クラウディウスは目を見張り、まるで値踏みするかのようにシリューを眺めるのだった。


「それに、エリアス様から直接の依頼とは……君はいったい何者なのだ……」


 クラウディウスが驚くのも無理はない。エリアス直々の依頼もそうだが、魔族を一人で追うなど並みの冒険者や騎士にできる事ではない。たとえAランクであってもかなりの危険を伴う際どい任務だ。


 そんな事ができるとすれば、それはエルレインに召喚された勇者か、或いは……。


「……シリュー・アスカ……そうか、どこかで聞いた名だと思った。では、君があの『深藍の執行者』か」


、が何を指すのか分かりませんが、世間ではそう呼ばれています」


 クラウディウスは膝に置いた拳を固く握りしめ、わなわなと身を震わせ、


「ハーティア!」


 大声で怒鳴りつけた。


「は、はいっ」


 そのあまりの剣幕に、ハーティアは息も止まるほどに慄き、背筋をびくんと伸ばして硬直した。


「この馬鹿者! なぜそんな大事な事を先に言わんのだ! シリュー殿はお前の命の恩人、その恩人を前に素知らぬ顔では、ポードレール家の沽券に関わる!」


「は、はい。申し訳ありません……」


 しゅんと小さくなるハーティアをよそに、クラウディウスはシリューに向きなおり深々と頭を下げた。


「誠に失礼した。このような愚か者ではあるが、ポードレール家の者である事に変わりはない。娘を救ってくれた事、感謝する。シリュー・アスカ殿」


 何かを堪えるような、そして棘のある言い方だったが、その低く唸る声には言葉ほどの棘はないようにシリューは感じた。


 


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