【第215話】役割

 付き合う……。


 例えば、男女が恋人同士になる……。


 シリューの頭の中を思考が巡る。


〝なんでハーティアが? たしかに、最近少し打ち解けた感はあるけど、こいつは基本俺を嫌ってるはずだよな……〟 


 それに、シリューと一緒にいるのは、その能力を観察・研究するため、ついでに恩を返すためだと、ハーティア本人がそう言った。


 それならば、答えは一つ。


「何の嫌がらせだ」


「どうして、その発想になったのか、理由を聞いてもいいかしら」


「それ以外に思いつかない。お前が本気で言ってるとは思えない。いったい何を企んでる?」


 まるでAIのような無機質な声でシリューは答える。


 ハーティアの感情は、そのあまり変化のない表情からは読み取る事が難しい。シリューにとってはある意味、オルタンシアよりも強敵といえた。


 ありありとした不信感を漂わせて疑惑の目を向けるシリューに、ハーティアは腕を組み溜息を零す。


「はぁ……なぜ私がそんなこ、と……っ!?」


 が、いきなり言葉を詰まらせると、少しつり目気味の瞳を大きく見開き、みるみるうちに白い頬を赤く染めてゆく。


 シリューの言葉の意味が分かった、というより、自分の言葉の意味にようやく気付いたようだ。


「なんだ?」


「にゃ、にゃんでもにゃいっ! そ、そういう意味じゃないわっ」


 慌ててかみかみになりながらそう言ってはみたものの、さっきのは明らかに女から男への告白。そう捉えられても仕方のない言い方だったし、シリューが勘違いするのも当然といえば当然だ。


 ハーティアは素直に自分の非を認めた。


「ば、馬鹿なのっ、シリューっ」


「や、まて。俺じゃないよな……」


 真っ赤な顔でわたわたとするハーティアを目にしてしまうと、シリューもそれ以上追及する気になれなかった。


 それに、そんなハーティアを可愛いと思った事も本当だ。もちろん永久の秘密だが。


「とりあえず、落ち着いて、ちゃんと話せよ」


 余裕を見せるシリューが少しだけ腹立たしく、ハーティアは一瞬シリューをねめつけ心の中で「シリューのくせにっ」と毒づいた。


「……そうね、言い方が悪かったわ、それは認める」


「うん、まあいいけど。それで、何の話? ああ、座る?」


 椅子から立ち上がろうとしたしたシリューに首を振り、「こちらでいいわ」と、ハーティアはベッドの端に腰掛けた。


「話しはオルタンシアの正体についてよ。貴方はローレンス先生が怪しいと睨んでいるのでしょう?」


 シリューは無言のままゆっくりと頷く。


 ただ、怪しいとはいっても今のところ確証はない。経歴が不明というだけでは証拠に乏しく、あくまでも疑わしいというレベルだ。


〝結論を急ぎ過ぎると、状況を見誤るぞ〟


 ディックの言葉が頭を過ぎる。


 結論ありきでは、間違った答えに辿り着く事もあり得る。それに、疑わしいというのなら、調査した教職員八人全員が疑わしいわけだ。


「ローレンス先生の経歴、明らかにできるかもしれないわ」


「え?」


 ローレンスは国家機密に関わる機関に属していた。分かっているのは、、というだけで、それを裏付ける資料は残っていない。それに、王国魔導士団のディックたちにも、現存していない組織の事を調べる術はなかった。


「一つだけ……方法があるの……」


 ハーティアは少しだけ表情を曇らせ俯く。


「うん?」


 その様子から、あまり気乗りのしない方法なのだろうと思ったシリューは、ハーティアが続きを口にするのをゆっくりと待った。


「父に……私の父なら、おそらく……」


 アルフォロメイ王国の英雄にして、『鳳翼闘将』の称号を授けられた名門ポードレール家。


 その当代当主であるクラウディウス・ポードレールがハーティアの父親である。


 ただしここ数代、英雄と呼ばれるにふさわしい傑物は現れておらず、クラウディウスにおいても優秀ではあるが、英雄に手が届くほどの実力者という訳ではなかった。


「名前だけの『鳳翼闘将』でも、国家機密の情報に触れる事ができるだけの権限はあるわ。それに、魔族の目的が魔神の復活なら王国の、いえ世界の危機よ。貴方が頼めば、断りはしないわ」


「え? 俺が頼むの?」


 今度はシリューが目を見開く番だった。


「ええ。貴方の名前にはそれだけの重みがあるの、『深藍の執行者』シリュー・アスカ。必要なら『断罪の白き翼』である事も明かしなさい。自覚を持ってシリュー、貴方は紛れもない英雄よ」


「自覚……か……」


 それはミリアムにも言われた事だったが、簡単に受け入れられるものではない。


「お前が頼んでくれるのかと思ったよ……」


 シリューは机に頬杖をついて大きな溜息を零す。


 改まって他人に頼み事をするのは得意ではない、ましてや相手が初対面の名門貴族となればなおさら。


「ごめんなさい。私は父とは上手くいっていないの」


 顔を背けたハーティアの表情が、より一層暗くなるのがはっきりと分かった。


「それって……お前の病気に関係があるのか?」


 聞いてはいけない事かもしれなかった。


 ハーティアがそれに触れてほしくない事も分かっていた。


 だがシリューは真っ直ぐに見つめて尋ねた。


 ハーティアは一瞬、挑みかかるような鋭い目をしたが、それもすぐにいつもの無表情に戻り、そして少しだけ、それから明らかに分るくらい、哀しい色を滲ませた瞳でシリューを見つめた。


「……それは……残酷な質問ね……」


「そう、か……」


 二人ともそれ以上口を開かず、重たい沈黙がその場の空気を支配する。


 お互いに見つめあったまま、身じろぎもしない。


 と、ハーティアが薄っすらと微笑んでベッドから立ち上がった。


「少し、重たかったわね」


「いや、俺の方こそ……」


 不躾な質問を謝ろうとしたシリューを、ハーティアは自分の口元に人差し指を添えて止めた。


「明日、午前中のうちに行くから、そのつもりで」


 ああ、とシリューは返事をして、部屋を出てゆくハーティアを見送る。


「それにしても、嫌がらせ、は酷くないかしら?」


 ドアを閉める瞬間、ハーティアはそう言って笑った。


◇◇◇◇◇


 明けて次の日。


 休日という事もあり、ミリアムはいつもより遅い時間まで朝の微睡(まどろみ)を楽しみ、日が少し高くなってからようやくベッドを抜け出した。


 学院が休みの日は、シリューが朝食を作ってくれる事になっている。


 のんびりと着替えを済ませ、顔を洗ってリビングに入ると、すっかり出掛ける支度を終えたシリューとハーティアがソファーに向かい合って座り、紅茶を飲みながら寛いでいた。


「おはようございます。二人とも早いですね。どうしたんですか?」


 ミリアムは不思議そうに尋ねながら、ごく自然にシリューの右隣へ座った。


 ハーティアがここで暮らすようになってもう十日以上が経つ。


 初めのうちは、思うところがなかった訳ではないミリアムだが、この光景にも少しは慣れてきた。


「ローレンスの経歴について調べてもらおうと思ってさ、ハーティアの親父さんに会いにいく」


 シリューはカップを口に運びながら笑顔で答えた。


「ハーティアの? あ、クラウディウス・ポードレール様に?」


「ええ」


 少し驚いた表情のミリアムに、ハーティアがこくんと頷く。


「朝飯は用意してあるから、ちょっと温めてから食べな。お湯も沸かしてあるから、のんびりしててくれ」


「え? ひょっとして、二人で行くんですか? 私、は?」


 ミリアムの目には、はっきりとした動揺の色が浮かぶ。


「ちょっと、かたっ苦しくてややこしい話しになりそうなんだ、お前はヒスイと残ってくれ」


「あ、あのっ、でもっ」


「心配いらないよ、別に取って喰われたりはしないだろう? 昼には戻ってくる」


 シリューは涼し気に微笑んで立ち上がった。


 が、当然ミリアムが心配しているのはそんな事ではない。


「大丈夫、本当にローレンスの事をお願いに行くだけよ。それが済んだらすぐ帰るわ」


 ミリアムの気持ちに気付いたハーティアはミリアムの隣に立ち、宥めるようにそっと肩に手を置く。


「う、わ、分かり、ました……」


 ぷくっと頬を膨らませたミリアムは、なんとかそう答えたが、目には薄っすらと涙を滲ませている。


 じゃあ行ってくる、と二人が出て行ったドアを見つめながら、ミリアムは胸に手を当てて、込み上げてくる嫌な感情をぐっと飲み込んだ。


「ミリちゃん。これは、役割分担、なの」


 ヒスイがミリアムの肩にのり、まるで慰めるように声を掛ける。


「うん、そうですよね、役割分担、ですよねっ」


 ミリアムは、まるで宣言するかのように、自分の心にそう言い聞かせた。





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