【第214話】敵対者

「なかなか、面白くなりそうですねぇ」


 午後の日差しが西に傾き、部屋の中を照らす光も赤味を帯びてきた頃。


 オルタンシアは執務室の机に頬杖をつき、来客用のソファーに座るノワールとエカルラートに向かって、楽し気に語る。


「あんたが面白がった事で、あたしらが面白かったなんてのは記憶にないけどね」


 エカルラートは心底呆れたように肩を竦めた。


「おや、そうでしたか? それは、私の配慮が足りませんでしたねぇ」


「下らん前置きはいい。貴様と談笑したい訳じゃないからな」


 オルタンシアと真向いになるようソファーに浅く腰掛けたノワールは、グレー系のスーツのポケットに手を入れたまま、その金の仮面を睨んだ。


「これは失礼。では本題に入りましょう」


 両手のひらをノワールに見せて無手である事を示した後、オルタンシアは椅子からゆっくりと立ち上がり、いつものように背後の窓を向いた。


「ようやく場所が分かりました。それに、そこへ入るための封印された扉と、その封印を解く方法もね」


「本当にあるのかい? そんなものが」


 訝し気な顔でエカルラートが尋ねる。


「まあ、1500年も前の話ですからね、疑いたくなるのも分かります」


 魔族に残る伝承。


 1500年前、戦いに敗れた魔神の肉体は灰と化し、聖弓の矢によって射抜かれた心臓だけが残り封印された。


 魔神とともに一度滅んだ魔族たちは、それから500年のちに再び集結し現在の魔神教団を作り上げたが、封印された魔神の心臓に関する記録は既に消失し、言い伝えだけが残るのみとなっていた。


「我らが神はこの地で戦い敗れ、地下深くにその心臓は封印されました。その封印の真上にアルフォロメイ王城が造られ、入り口を封鎖する学院が建てられました。冒険者ギルド本部でハイエルフの王女エリアスが睨みを利かせるのも、全てはこの封印を守るためだったのです!」


 オルタンシアは、自分の声に陶酔しきった表情を浮かべ、まるで演壇の上で観衆に向けて演説するように語った。


「心臓が封印されたってのは、知ってるけど……よくそれがここだって分ったねぇ……」


 信じられない、といった表情のエカルラートは、何度も聞いたその伝説をただの御伽噺だと思って信じてはいなかった。もちろん、それを他の仲間に喋った事はないが。


「いろいろと苦労しましたが、それもようやく報われる時が来ましたよ」


「なるほど、他人に成りすますのは、骨が折れるだろうからな」


 労いのようなノワールの言葉に、一切の感情は含まれていない。


 それでも、オルタンシアは頷いてその言葉を肯定した。


「それで……貴様の苦労話にも、干からびた心臓にも興味はないが、俺は何をやればいい?」


 ノワールは表情を変える事なく、突き放すように言い放った。


 実際1500年もの間、封印という形で放置されてきた魔神の心臓を手に入れたとしても、それが今更何の役に立つのか。そもそも魔神の復活など魔族たちの愚かな夢想にすぎず、単なる現実逃避だとしかノワールは思っていなかった。


 それに、言葉通り興味もなければ、信用も信頼もない。


 金払いの良い上顧客、ノワールにとってオルタンシアはただそれだけの存在だ。


「相変わらずだねぇ、あんたもさ」


「慣れあうつもりは無いんでな」


 一年以上一緒に行動してきたにもかかわらず、まったく打ち解ける様子もないノワールの姿に、エカルラートは溜息を零して肩を竦める。


「それは残念。私はもっと親交を深めたいと思っているのですが……」


「さっさと要件を言え、時間の無駄だ」


 睨みつけたノワールにわざとらしく怯えてみせ、オルタンシアは今後の計画を話し始める。


 ノワールとエカルラートが去った後、一人窓の外を眺めたオルタンシアは仮面を外し、この状況を心から楽しむように満面の笑みを浮かべた。


「さぁてさて。私の計画が成就するのが先か、深藍の執行者が見破るのが先か……楽しみですねぇ……」


◇◇◇◇◇


「ねえ、あんたはどう思う、ノワール?」


 夕時の街を並んで歩きながら、ふと思いついたようにエカルラートが尋ねた。


「なぜ俺にそんな事を聞く? 俺は魔族ではないし、魔神の復活にも興味はない。ただ顧客の依頼通りに動いているだけだ」


 ノワールは隣のエカルラートを振り向きもせず、ただ淡々とした声を返す。


 裏の社会を牛耳る闇ギルド『リプサリス』。


 暗殺ギルドと呼ばれる事もあるが、それは正しくない。


 アルフォロメイ王国を中心に活動する彼らは、合法違法を問わず、積まれた金次第でどんな依頼にも応える、いわば裏の冒険者ギルドだ。


 当然の如く犯罪にも手を染める彼等を官憲が本気で取り締まらないのは、リプサリスの存在が、官憲でさえ手の届かない夜の社会の秩序に貢献する必要悪と認めているからだ。


 そして、顧客の依頼に主義や思想を問わないリプサリスは、魔神教団とも少なくない繋がりがある。

 ノワールはそのリプサリスの構成員の一人で、ギルド内でも有数の実力者だった。


「まあ……そうだよねぇ……」


 魔神の心臓という朗報を聞いても、エカルラートの声も表情もけっして明るいものには見えない。


「随分と浮かない顔だな? 魔神の復活はお前たち魔族の悲願じゃないのか」


 一年以上行動を共にしてノワールが気付いた事が一つ。この赤い目の魔族の女は感情の浮き沈みが激しく、その変化が顕著に表情として現れる。


 いや、エカルラートに限った事ではない。これまでに何人かの魔族に会ったが、その誰もが感情の起伏を隠そうとはしなかった。


「魔神の復活自体は、まあ、あたしも望んでるんだけどさ。ただ、それをやるのがあのオルタンシアかと思うと、なんだかねぇ……」


「気に入らん、か」


「気に入らないね。言っても仕方ないけどさ」


 ノワールは複雑な表情で呟くエカルラートを眺める。


 気に入らない、と口にはしたが、腹立たしさは伝わってこない。


「お前……もしかして……」


「ん? 何だい?」


 ある考えが頭に浮かんだノワールだったが、最後まで口にはしなかった。


「……いや、何でもない。俺の思い違いだ」


「へえ、あんたでも迷う事があるんだねぇ」


 エカルラートは、滅多に見せないノワールの困惑した表情を目にして「何か得した気分だよ」と笑った。


◇◇◇◇◇


 コンコン。


 その日の夜。


 夕食の片づけも終え、机に広げた革表紙の本に集中していたシリューの背後で、部屋のドアを遠慮がちにノックする音が聞こえた。


「どうぞ、開いてるよ」


 足音には気付かなかったが、夜に弱いミリアムはもう寝ている時間だ。


「失礼するわね」


 シリューの思った通り、ドアを開けて入って来たのは部屋着に着替えたハーティアだった。


 綺麗に櫛で梳かされた風呂上りの洗い髪は、まだ乾ききっていないため真っすぐサイドに落ち、そのせいでぴんっとした猫耳がいつもよりも目立っている。


「何を読んでいるの?」


 ハーティアは机の上の本に気付いて尋ねた。


「ああ、ミリアムに勧められた、この世界の歴史の本だよ。いろいろ知らない事が多いから」


「そう、それは良い事だと思うわ。ねえ、ところでヒスイさんは?」


 シリューはにっこりと微笑んでベッドを指さす。


 ヒスイは大きめの枕の端で丸くなり、すうすうとかわいい寝息を立てている。


「ベッドに寝ているのがミリアムでなくて良かったわ」


「いや、お前っ……何言ってんの!?」


 シリューは顔を真っ赤にして取り乱したが、ハーティアは内心でほっと胸を撫で下ろした。


 聞き耳を立てている訳ではなかったが、今までシリューの部屋からもミリアムの部屋からも、そういった物音や熱のある声が聞こえた事はない。


 つまり、二人はまだそんな関係ではないという事だ。


 ただ、なぜ自分が安心したのか、その理由がハーティアには分からずに、少しだけ胸がざわつくのを覚えた。


「で、何か用?」


 揶揄われたシリューは、ぶっきらぼうに口を尖らせる。


「ごめんなさい、少しいいかしら?」


「ん……」


 ハーティアは一度目を閉じ、大きく深呼吸をした後、決意を込めた瞳をシリューへと向けた。


「シリュー、私と付き合って」


 シリューはまばたきも忘れ、人形のように固まった。

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