【第213話】鉄甲
「じゃあ、まずは私たちから……」
エマはソファーの隣に座るディックに目配せをする。ディックが頷いたのを見て、鞄の中から手のひらよりも少し大きめの紙束を取り出した。
「実をいうと、それほど有益な情報は得られなかった。すまないな」
ディックが律義に頭を下げたのを、「どんな情報でもありがたいです」とシリューは返した。
重要な情報というのは、得てして何気なく見過ごしてしまうような事柄に隠れているものだ。
「この2年で魔調研と学院に入った職員は8人、これが彼らの経歴よ。一応一人ずつ纏めてみたわ」
意外に少ない数だが、それは調べる対象を教員と研究員に絞るようシリューが指示したからだ。
はじめに疑ったのは警備員で、そちらは職員とは別に調べてもらった。彼らの内の誰かが魔族である可能性は低いだろうが、何等かの形で買収されている事も考えられるからだ。
その結果全員がシロ。
彼らは必要十分な額の収入を得ていたし、その収入を超えて派手な生活をしている者も、大きな借金を抱えている者もいなかった。もちろん、金だけが動機になるわけではないだろうが、思想的な背景もなく、今の安定した生活を壊してまで魔族と繋がる危険を冒そうという者は見当たらなかった。
それは教員や研究員にも同じ事がいえた。
シリューは立ち上がってエマから紙束を受け取り、ぱらぱらと捲って目を通してゆく。
特に目立つような人物はいない。そう思いつつ、最後から二枚目で手が止まった。
その一枚に記された名は、ヴィオラ・エナンデル。
ヴィオラはビクトリアス皇国出身で、かの国の魔導学校を優秀な成績で卒業後、数年間自国の魔導学校で教鞭をとり、その後アルフォロメイ魔導学院の補助講師兼魔調研の研究助手として採用された。それが 1年前。
幼少の頃エナンデル家の養女となり、養父母は既に他界。現在は王都のアパートに一人暮らし。年齢は26歳で種族はエルフ。
「26歳か、もっと歳だと思ってたけど、見た目通り若いんだな」
性格はあの通り、見事なまでのおっとりマイペース。シリューの中では『トロエルフ』で確定している。が、彼女の見た目からは想像できなくとも、色々と苦労はしているようだ。
そして、最後の一枚。
「ローレンス・マーフィー……」
ローレンスが研究助手として魔調研にやってきたのは2年前。
アルフォロメイ王国出身の27歳。
若くして自分の研究室を与えられるほどの才能の持ち主だが、
「経歴が……」
「ああ、ローレンスについてはそこに書いてある通りだ」
経歴欄には『不明』、と一言だけ書かれていた。
「王国に関係する機関にいたらしいが、記録は開示されていない。その機関も今はもうないという事だから、本当かどうか僕たちでは確かめる方法がない」
ディックは、お手上げだ、とばかりに肩を竦めた。
魔調研が経歴の不明な者を入れる筈はない。当然だが、ローレンスの経歴を把握したうえで、何等かの理由により公表していないと考えるのが自然だ。
国家機密に関わるようなものであれば、易々と外に漏らすような事はないだろう。
「信用できるっていえばできるけど、怪しいっていえばめっちゃ怪しいよな、これ……」
なにせ、この世界の身分証明はザルだ。
それらしい書類を揃えさえすれば、簡単に他人に成りすませるような気がしてならない。
実際、シリューは『明日見僚』の名を捨てて、『シリュー・アスカ』という架空の人物として生きているので尚更だ。
「ローレンス先生は研究熱心だけど、それ一筋って感じではないわね。社交的で明るいし、生徒からの人気もあるわ」
特に女生徒からはね、とエマは笑った。
「ああ……同じタイプか……」
シリューがぽつりと呟いてドクを眺める。それに合わせたように全員がドクへと目を向けた。
「いや、なんだ……?」
五人からの視線を浴びたドクは、どう対処していいのか分からず挙動不審な声を漏らす。
「ジョシュアから胡散臭さを除いた感じかしら」
ハーティアの言う通り、ドクはどことなく胡散臭い。自称詩人というのも含めて。
「言い得て妙だな」
「上手いわねノエミ」
ディックもエマも、納得したようにうんうんと頷く。
「あ、でもでもっ。私はどっちも苦手ですっ」
右手をぴんっと上げ、ミリアムはにこやかに宣言した。「嫌いです」と言わないところが、彼女の優しい性格を如実に表している。
「お前、
ミリアムの基準がシリューにはよく分からない。
「いや、ちょっと……ディックやティアはともかく、俺ってそんな目で見られてんのか?」
ドクは助けを求めるような目で、ミリアムとエマを交互に見つめた。
「ともかくって事は、少しは自覚があったのね?」
いたずらっぽく笑ってエマは片目を閉じる。
「大丈夫です。どっちかというと、ドクの方が苦手ですよ? あんまり、話しかけられるのはヤです」
「まってミリアム、俺なんか嫌われるような事した?」
「いえいえ、最初の印象が最悪だっただけですっ」
ぴんぴんっと人差し指を振って、ミリアムは満面の笑みを浮かべた。
その屈託のなさが、逆に残酷さを醸し出す。
「お前、もうその辺にしてやれ。さすがに気の毒になってきたわ……」
シリューがそう言うと、ミリアムはシリューの前に立って後ろ手にちょこんと腰を屈め、右手で髪をかき上げ少し上目遣いに見つめ、
「……そうですね……シリューさんが良ければ」
と、何となく意味深な言葉を囁いてすいっと身を翻し、まるでステップを踏むように自分の椅子へと腰を下ろした。
「ま、横道に逸れたけど、本題に戻そう。ドク、ミリアム、その後何か分かったか?」
シリューも自分の椅子に腰掛け、ドクとミリアムを促す。
「ああ。各クラスに一人二人、数は多くないが同じような症状の生徒がいた。共通してるのは、やっぱり他人の魔力を認知できるってところだ」
もちろん、一人も該当者のいないクラスもある、とドクは続けた。
「その症状について、ですけど……」
胸に手を添えるミリアムは、あまり自信がなさそうだ。
「いいよ、何でも。些細な事でも、気付いた事があるなら話してくれると助かる」
ミリアムはこくんっと頷く。
「……ホントに何となくなんですけど、普通の生活で消費される魔力量が、いつもよりちょっと多いかなって、感じたんです……」
「ああっ、それかっ。それだっ!」
ドクが膝を叩き声を弾ませる。
「ずっと考えてたんだけど、そうだ、消費する魔力量だっ」
この世界のすべての生あるものは魔力を持ち、魔法だけではなくその生命活動においても魔力を使う。だが、シリューや直斗たちのような異世界からの召喚者でなければ、魔力や魔力量を数値(ステータス)として見る事はできない。だから感覚としてしか自覚できないし、微量な流れを感じ取る事ができるのはミリアムやドクなど一部の者だけだ。
そして消費される魔力量の微弱な変化に受ける影響を、ミリアムたちは敏感に感じ取っていると考えられる。
「それは、この学院の敷地内じゃなくて、教室でって事?」
「はいっ、そうです」
ミリアムは、今度は自信をもって答えた。
「魔力量、か……」
シリューは静かに立ち上がり、口元に手を添える。壁に向けられた目は、見えない敵を捕らえたかのように鋭く光る。
「オルタンシア……」
方法は分からない、だがそれは、シリューの推測を裏付けるのに十分な情報だった。
「ヤツはたぶん、レグノスの時みたいに生徒たちから魔力を集めてる。しかも、誰にも気づかれないように極々少量ずつを……」
それによって体調に異変を感じる者がいたとしても、それは想定の範囲内だろう。
だが、消費される魔力の変化を認識できる者が現れたのは、おそらくオルタンシアも計算外のはずだ。
〝なめるなよオルタンシア……ミリアムは天才だ……〟
シリューは心の中でそう呟き、片方の口角を上げて不敵に笑った。
それから、ディック、エマ、ドクを順に見渡し尋ねる。
「みんな、実戦経験者だったよな?」
「ああ。三人とも、王国魔道士団だ。実戦は慣れてるから心配はいらん」
ディックが挑むようにシリューをねめつけた。
「俺たちとティアはともかく……ミリアムは、大丈夫?」
ミリアムを気遣うドクは僅かに不安げな表情を浮かべる。
「彼女の実力は私よりも随分上よ、もしかすると貴方より強いかもね」
エマは笑ってドクを指差す。
「それで? 僕たちが聞きたい事と、お前が言いたい事が一致していればいいがな」
ディックが立ち上がり、それに倣って全員が腰を上げシリューの言葉を待った。
「たぶん、これからは命懸けになると思う。それでもいいか?」
静かな決意を込めてシリューは言った。
「私は、ずっとそうでしたよ? これからも、そうです」
ミリアムは笑った。
「それ以上は怒る、っていわなかったかしら? シリュー」
ハーティアの目は、怒ってはいない。
「野暮な事を聞くのね。貴方はもっとスマートだと思っていたわ」
エマが肩を竦める。
「いいね。命の輝きと尊さ、それこそが最高の詩になる」
口元の笑みとは逆に、鋭い眼光を放つドクの目はいつになく本気だ。
最後に、ディックは顔を伏せてふっと笑った。
「これで満足か?」
「ああ……それで、あんたはどうなんだ? ディック」
シリューの問いにディックはゆっくりと顔を上げる。
「満点とはいかないが……合格だキッド。いや、『深藍の執行者』シリュー・アスカ」
ディックが右の拳を突き出す。
「じゃあ、次は満点を目指すよ」
シリューは涼しげな笑みを浮かべ、自分の拳をディックの拳に当てる。
全員が輪になり、二人の拳にそれぞれの手を重ねた。
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