【第212話】自覚

 誰もいない廊下にかつんかつんと自分の靴音だけが響く。


 昼間ならほとんど気にならないその音も、こんな深夜の静寂の中ではやけに耳につく。


 白髪の目立つ歳になったサイクスが、魔導学院の警備員になったのは今から5年前の事だ。


 長らく冒険者として生計を立てていたサイクスは、娘に孫が生まれたのをきっかけに引退し今の仕事に就いた。


 一流とは程遠い冒険者生活だったが、結婚して子どもをもうけ家族を食べさせていくのに困った事はない。


 それに、サイクスよりもランクが上の者たちの多くが、若くして命を落としていったのに比べれば、「生き残った自分は相当上手くやれた方だ」、と口にこそ出さないが内心では誇りに思っていた。


 冒険者は生き残ってこそ。英雄になったとしても、死んで花実が咲くわけではないのだ。現に、サイクスはこうしてほぼ危険のない仕事にありつき、休日は孫の子守りをする平和な日々を過ごしている。


 いつものように、日付の変わる時間に学院内全ての棟を巡回する。


 魔法光もランプも灯っていないのにかかわらずぼんやりと明るいのは、廊下の壁や床のあちらこちらに埋め込まれた発光石のおかげだった。


 教室棟の階段を昇り、いつも通りの順路で二階へ向かう。


「巡回なんて、ほんとに必要なのかね」


 サイクスは口元に笑みを浮かべて、口癖になってしまった言葉を呟いた。


 もう何年も繰り返してきたが、未だ侵入者などに出くわした事はないし、異変が起こった事もない。


 高度な魔法結界の施された夜の学院に入れるのは、サイクスのように登録された警備員たちか学院長であるタンストールくらいで、結界を破ろうと思えば相当の労力と危険を伴うだろう。ただ、サイクスにはそこまでする価値があるとは思えなかった。


「大層なお宝が眠ってるわけじゃなし」


 せいぜい、生徒の置忘れた荷物程度だ。まあそれでも生徒には貴族や豪商の子息が多いから、たかが置忘れの荷物の中身もサイクスのような庶民の手には届かないお宝かもしれないが。


 ただ、その日は少しだけいつもと違った。


 二階の渡り廊下を渡り、次の棟の扉を開けて中に入ったとき、何となく人の気配がしたように感じた。


 その気配の方へ眼を向けたサイクスは、はっと息を呑む。


 ゆらゆらと漂う朧げな黒い影が、足音も立てずに奥の階段へと消えていったのだ。いや、正確には奥の階段の手前で消えたという方が正しい。


 サイクスは急いで後を追うが、階段を駆け下りた先に何かを見つける事はできなかった。


「人、じゃあないな……」


 かといって、魔物でもない。


 そもそも、魔法結界が生きている状態で、警備員以外の者が入れる筈もない。


「……幽霊……?」


 咄嗟にそう口にした自分のバカげた発想に、思わず苦笑いが零れる。


 そういえば、若い警備員たちの間で、まことしやかに囁かれている噂があった。


 卒業の直前に事故死した生徒の幽霊が、夜な夜な校舎の廊下を彷徨い歩く。


 そういった類のものを信じていないサイクスは、おおかた月明かりを過る雲の影が見えないものを見せているのだろう、と考えていた。


 ただ、影にしてはやたらと立体的だったようにも見えたが……。


「錯覚か……そろそろ目にもガタがきちまったかな……」


 出掛けのウィスキーをコップ一杯から半分に控えよう、とサイクスはアルコールに罪を被せて巡回を続けた。


◇◇◇◇◇


 それから数日後。


 半日だけで授業が終わり魔調研での実験も休みの週末、ディックたちはシリューのクランハウスに顔を揃えていた。もちろん、なかば強引に引き込まれたドクも一緒だ。



『救いを求める者よ喚起の声をあげよ。

 天に背き者よ正しく脅えよ。

 彼の者は深き藍を纏う疾風(かぜ)。

 希望を友に、絶望を僕に、暁もたらす深藍の執行者なり。』



 そのドクがリビングの中央に立ち、左手に持った上製本の詩集を胸に添え、情緒豊かに詩を読み上げる。


「どう?」


「悪くないわね、でも疾風が暁をもたらすの? そこは光の方がいいんじゃないかしら」


 感想を求められたエマは、率直に推敲の提案をした。


「深い藍と光か……対比としては面白いな」


 ディックは良いとも悪いとも口にしない。


「私は疾風の方を推すわ」


 ハーティアも含めて、旧知の三人は誰もドクの詩を褒める事はなかった。


「どっちもカッコいいです!」


 おそらく、ミリアムはよく考えていない。要はどっちでも同じという事だ。


「もっともっと、称えるの、です! ご主人様は世界一なの、です!」


 ただでさえシリュー全肯定のヒスイに至っては、詩の出来などそっちのけでシリューを絶賛している。


「まて……」


 ただし、納得がいかず、渋い表情を浮かべた者が一人。


「なんだ……それ」


「詩だよ? 俺は詩人だって言ったろ?」


 ドクは朗らかな笑顔で答えたが、もちろんシリューは質問したわけではない。


「あのさ、俺は詩には疎いけど、今のが魔法の呪文じゃないって事くらいは分るよドク」


 一瞬『人権標語』と言いかけて止めた。おそらく通じないし、説明に余計な時間を取られそうだったからだ。


「あれ、気に入らなかったか? 噂の『深藍の執行者』に会えた気持ちを、素直に表現したつもりなんだけどな」


 大袈裟な身振り手振りは、詩人というよりも舞台役者のようだ。


「若者は常に新しい英雄を求める。語り尽くされてカビの生えた世代よりも、な。勇者ナオト・ヒュウガはもちろん、今絶賛売り出し中の『断罪の白き翼』然り、そして『深藍の執行者』然り、ってわけさ」


 椅子に跨いで座ったシリューは、背もたれに肘をついて手のひらに顎を乗せたまま「はあ~」と大きな溜息を零す。


 絶賛売り込んだ覚えもないし、ましてや英雄になりたいわけでもない。


 勇者召喚に巻き込まれる形でこの世界にやって来たが、意図しないところで世界に仇なす者として一度殺された。運良く復活してからの目的は、転生しているかもしれない美亜を探す事で、縁もゆかりもましてや義理もないシリューには、この世界を救おうなどと大それた志などなかった。


 それなのに、気が付けば魔族と関わり、意思に反して命がけの戦闘を繰り返したあげく、いつの間にか英雄扱いだ。


 そしてそれは、これからも当然のように続いていくのだろう。


「シリューさん。シリューさんはそろそろ自覚するべきですよ。本当はもう分かっているんでしょう?」


 ミリアムの向けた眼差しは、全てを包み込むような優しさに満ちていた。


 シリューの不安も、シリューの悩みも、そしてシリューの痛みも、全て受け止める覚悟をもって。


「そうね、貴方には力がある。その力をどう使うべきなのか。貴方は知っているはずよシリュー?」


 ハーティアはいつになく柔らかな表情でほほ笑む。


「たしかに……そうかな」


 きっかけはただの行きがかりだったかもしれない。だが二人の言う通り、今シリューを動かしているのは、紛れもないシリュー自身の意志だ。


「だから俺は、あんたの傍で、あんたの活躍を詩に綴って世に残す。それが詩人の務めさ」


 ドクは左手の詩集を顔の横に掲げ、右手でぽんっと叩いた。


「その詩集、いつも持ち歩いてるのか?」


「ああ、これは俺の魂みたいなものさ。詩は人生を豊かにしてくれる。それに、きっといつか役に立つ。俺にも、あんたにも、な」


 ドクは冗談や悪ふざけで言っているわけではなさそうだ。


「なんか……もういいか……」


 上手く乗せられたような気がしないでもない。


 だが、ミリアムやハーティアはもちろん、ここにいる皆を巻き込んだのはシリュー自身だ。多少の事は目を瞑る事も必要だろう。


 そもそも、今日はそんな話をするために集まってもらったのではない。


「じゃあ、本題に入ろうか」


 気を取り直し、シリューはその場の全員を見渡した。




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