【第209話】タンストールは変……?

「だがそれがどうだと言うんだ? 何となく身体が怠いと感じるだけで他に症状はないんだろう?」


 ディックが訝し気に尋ねる。


「ああ、まあ、な……」


「はあ……はい……」


 要点だけの鋭い指摘にドクは眉をひそめ、ミリアムは申し訳なさそうに頷いた。ディックの言う通り、はっきりした症状がある訳でもなく、生活に支障が出ている訳でもない。ミリアムの食欲不振も、学院から出て暫くすると嘘のように解消されていた。


「ディックっ。言い方!」


 冷めた話し方はいつもの事だが、それでもエマは諭すようにディックをねめつける。


「それだから貴方は色々と誤解を受けるのよ、ディック。もう少し、人との接し方を考えないとっ」


「くだらん。なぜ僕がそんな事に気を遣わなければならない。勝手に誤解させておけ」


 ディックはにべもない。


「それに、今のところジェーンを入れて、ドクともう一人の三人だけだ。結論を急ぎ過ぎると、状況を見誤るぞ」


「ああ、たしかに……」


 ディックの言い分は正しい。


 敵が強かなオルタンシアだと分かっているだけに、シリューは些細な事でもオルタンシアに結び付ける思考に陥っていた。


 自分でも気付かない焦りがあったのかもしれない。


「三人だけ……ってのはなぁ……」


 シリューは伺うような目をハーティアに向けた。


「残念だけれど、私は何も感じないわ。それに私は個人の魔法の特徴が分かるだけで、他人の魔力自体を認知する事はできないの」


ハーティアは肩を竦めて、実にあっさりとそう答える。


 似ているようで、その二つの能力にはまったく違う要素が求められる。と続けた。


「魔力を認知できる人は、魔力の流れに敏感というわね……それが関係してるのかしら? 例えば、そういう人たちだけがかかる未知の病気、とか」


 エマが遠慮がちに呟く。


「まあ、あり得なくはないがな」


 だからシリューを含めた大勢には何の影響も症状もない。


「おいおい、未知の病気って……」


「それは、困りますぅ……」


 ドクとミリアムの表情が急激に曇る。


「エマ……言い方」


 ハーティアが目を閉じて静かに、それでも力強い口調で言った。


 ある意味、ディックの冷徹な言葉よりも、エマの発言の方がもっと辛辣だ。未知の病気などと言われれば、誰しも相当な不安を抱いてしまうだろう。


「あ、いえっ、ご、ごめんなさいっ。そんなつもりじゃ……」


 ハーティアに指摘され、エマはようやくその事に気き慌てて謝罪した。


「魔力……流れ……敏感……病気?」


何かがシリューの頭の隅に引っ掛かった。


これは、本当にミリアムやドクたちだけに起こっている事なのか。


 魔力の流れに敏感だったから、ミリアムやドクは何らかの変化に気付いた、とは考えられないだろうか。そして、多くの者は気付かないだけで、実は同じ変化が起こっていると。


例えば、まったく同じウィルスに感染したとしても、重症化する人もいれば全く症状の出ない人もいるように。


 思い過ごしかもしれない。だがやはり、すでに何かを仕掛けてきていると想定して動くべきだ。


 間違いなら笑って済ませばいい。だが、そうでなければまた後手に回る事になる。オルタンシアを相手に、それは悪手だ。


「ジェーン、それからドク。その症状について、もっと詳しい情報が欲しい。自分なりにでいいから、少し分析してみてくれないか?」


「はいっ、キッドっ」


「それから、他にも同じ症状を訴えている者がいないか、それとなく調べてくれ」


「ああ」


 シリューの指示に、全員が頷く。一人を除いて。


「なあ、俺の返事は聞かないのか……」


 ぼやいたのは、状況についてゆけず、一人取り残される形になったドクだ。


「関わった以上、あんたにも手伝ってもらうぞ、ドク」


 シリューはびしっと人差し指を突きつけて、にやりと笑った。


「え?」


「ようこそ地獄の入口へ。お前は運がいいなドク、扉はもう開いてる」


 片方の口角を上げて、ディックが招くように手を振った。


「挽肉にされないように頑張るのよ、ドク」


 エマはいたずらっぽく笑った。


「いや、ちょっと待った、あの……」


 状況の飲み込めないドクは、全員から向けられた視線の圧力に慄く。特に、涼し気に笑うキッドの射殺すような目には、背筋が冷たくなるのを感じた。


「大丈夫よジョシュア。貴方が詩人で節義を重んじる男なら、ね」


「雲は風に流され風に消える……全ては風任せ、か……」


 ハーティアの言葉に含まれた言外の意味に気付き、ドクはがっくりと肩を落とした。






「あらまあ、きみがキッド君? なかなかいいオトコじゃなぁい」


「誰だこの変態」


 シリューの率直な感想だった。


 午後のビショフ研究室で、しなを作りにっこりと笑ってシリューたちを迎えた男は、バルドゥールでもローレンスでもなかった。


 顔は非常に整っていて、紳士然とした好青年に見える。が、まるで特撮ヒーローのようなオフホワイトの全身タイツに薄い緑のスカーフと、一目で上質とわかる濃紺のマント。


 細く整えられた眉に、つけまつげでバサバサな切れ長の目が気持ち悪い。


 肩にかかる碧い髪をかき上げる仕草と、しゃなりしゃなりとした動きがその気持ち悪さに拍車をかけている。


 そしてよく見ると、耳が尖っている。


「あたしはタンストール・ダーレーよ。よろしくねキッド、ジェーン」


「あ、よろしくお願いします」


「エロ、ロリ、トロときて今度は全身タイツのオカマジジイか。強烈だなエルフ」


「ばっ、キッドっ!!」


 ハーティアはシリューの腕を掴み引っ張るが、完全に後手に回ってしまった。


「ホント……キッドって、エルフ相手には歯に衣を着せませんよね」


 ミリアムは目を閉じ、困ったように眉をハの字にしてこくこくと頷く。


「ほぉんとっ、エリアス様の言ってた通り、面白い子ねぇ」


 そして、エルフは総じて大らかな人物が多いようだ。


「変態だって先に聞いてれば、依頼も断ってました。よろしくタンストールさん」


 シリューは極力タンストールと目を合わせないように、それからタンストールが出した手に気付かないフリをするために、大きくお辞儀をして誤魔化した。


 死んでも握手はしたくなかった。


「もう……いいわ……」


 ハーティアは遂に諦めた。


「じゃあ、皆揃ったところで、始めましょうか。いい? バルドゥール」


「はい。では……」


 黒板を前にバルドゥールが立ち、6人が彼を囲む形で扇状に椅子を並べた。


 シリューには好都合な事に、タンストールはほぼ無駄話をせずに、人造魔石の安全性の分析結果や、今後の調査計画について説明を求めた。


 調査計画の内容は、ほとんど理解できない事ばかりだったため、シリューは終始聞いたフリをしていた。


「わ、私、科学は苦手なんですぅ……」


 隣の席で船を漕ぐミリアムを肘でつつくと、とろんとした目を擦りながら顔を赤くして笑った。


「ま、俺たちの目的は魔石の解析じゃないから、適当に聞いてりゃいいさ」


「は、はい……」


 成分の解析をして、魔石の素材や構造、さらに製造方法が分かったとしても、求める答えが出るのかどうかについてシリューは懐疑的だった。


 魔族であるオルタンシアの目的が何なのか。


「魔族……」


 魔族の最終的な目的が魔神の復活であるのなら、オルタンシアの一連の行動も、当然その目的に則ったものである可能性が高いのではないか。


「……人造魔石が……魔神の復活に関係がある、って事か……」


 闇の中で触れた小枝に、確かに指先が掛かった。



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