【第208話】共通点

「あれ? お前、やっぱりまだ気分よくないのか?」


 シリューはミリアムのトレイに盛られた料理に目を向けた。


 小皿二つに、サラダと少量のパスタ、それから切り身の焼き魚が一切れ。しかもほとんど手をつけず、フルーツジュースだけがコップの半分に減っている程度で、それ以上口にしようとしない。


 大食いというわけではないが、いつも栄養のバランスを考えて適度な量をしっかりと食べるミリアムが、こう続けて食欲をみせないのは気がかりだ。


 ただ、顔色は悪くはないし、学院にくるまでは体調も良さそうに見えた。


「はい……なんとなく、身体が怠い感じで……いえ、ホントなんとなくなんですっ、だから心配はっ……みゅっ」


 シリューはそっと伸ばした手を、ミリアムのおでこに当てた。


「うん、熱はなさそうだけど……ホントに大丈夫?」


「ひゃあ、は、はいっ。ホント、平気ですっ」


顔を傾けて覗き込むシリューの真剣な眼差しを受けると、ミリアムの胸の中でどくんっと心臓が跳ねた。もちろん、シリューが特に意識などしていない事はミリアムにも分かっている。それでも、こうして手が触れるだけの、何気ないスキンシップにミリアムはどぎまぎとしてしまう。


「朝はなんともなかったんだろ?」


 涼し気な瞳は、引き込まれそうなほど深く、そして限りなく優しい。


「……はい……」


 ミリアムは頬を桜色に染めて頷いた。


 ただ、当然ながらシリューはそんな事には気付かない。


「もしかして、学院の敷地内に入るとそうなる、とか?」


 あくまでもミリアムの体調が気になるシリューには、思い当たる事が一つだけあり、それが最優先事項だった。


 旧市街、特にこの学院の敷地内でシリュー自身が感じる息苦しさや圧迫感と、同じものが原因なのではないか。


「あ、いえ……んと、どっちかっていうと……教室に、入るとって感じで……」


 眉根を寄せるミリアムも、はっきりとは把握できているわけではない。


「もしかして、壁の塗料とかが、体質に合わないんじゃないかしら?」


 正面に座ったエマが、口元に手を添え気遣うように見つめる。


「それなら、教室だけというのはおかしいだろう」


 ディックの指摘した通り、壁の塗料はこの食堂にも使われているもので、クランハウスや良質の宿など、資産価値の高い建築物には広く利用されているため特に珍しくもなく、それが原因という可能性は低い。


「ようディック。意外な組み合わせじゃないか」


 いつの間に近づいてきたのか、通路側のエマの後からドクがひょいと手を上げる。


「お前、いつの間に……」


 背を向けていたディックはもちろん、対面のシリューもミリアムを気にかけていたせいでドクの姿に気付かなかった。


「いや、普通に歩いてきたんだけどな? あ、ここ、いいか?」


 誰の返事も聞かず、ドクは隣のテーブルから椅子を一つ引き寄せ、エマの斜めに陣取る。


「ちょっと、気になる話が聞こえたんだけど……」


 ドクの何気ない言葉に、一瞬だけ空気が張り詰め、シリューたちは警戒から僅かに顔をこわばらせた。


「おいおい、そんなに身構える事ないだろ? 秘密の相談には聞こえなかったぜ」


 その場の緊張が伝わったようで、ドクは肩を竦めて苦笑いを浮かべる。


 たしかに、ドクの言う通り聞かれて不味い話をしていたわけではない。


「教室に入ると、なんとなく体調が悪くなる、って話だよ。ね、ジェーン?」


 人懐っこい笑みで、ドクはミリアムに向かって手のひらをすいっと上げた。馴れ馴れしいのは、この男の性質なのだろう。


 ただ、ミリアムはこの手の人物が苦手だった。


「はあ、まあ……」


 一応返事はしたものの、眉をひそめ明らかに嫌そうな表情で目を背ける。


 そんな事を気に掛ける事もなく、ドクは続けた。


「俺の知り合いの女の子の中にも、同じような事を言ってる子がいるんだ。それに、実をいうと俺もね」


「お前が?」


 ディックは訝し気な視線をドクに向ける。


「ああ。はっきり自覚したのは2カ月ほど前なんだけどな。ジェーンの言うように、身体の怠さを感じるようになった。まあ、最初は気のせいかとも思ったんだけど、どうやらそうでもなさそうだ。だろ? ジェーン」


 憎らしいほどさまになるウィンクをされたミリアムは、きゅっと顔をしかめてもう一度目を逸らし、助けを求めるようにシリューを見つめた。


 ふざけているようには見えないが、シリューはドクの真意が読めずディックに目配せをする。


「ま、見た目通り軽薄なヤツだが、信用はできる」


 続けて目を向けたハーティアも、こくんと頷いて同じようなニュアンスで答えた。


「そうね、少なくとも、女の子の気を引くために詩は朗読しても、嘘はつかないわ」


 ハーティアもディックも、揃って肩を竦めて手のひらを見せ、笑っているのか呆れているのか微妙な表情で首を傾けている。


「ああ、俺は詩人なんだ」


 ドクはサマーコートのポケットから取り出した、上製本の詩集をひょいと掲げた。


「詩人ね……」


 少なくとも、ミリアムの気を引きたくて適当な事を言ったわけではなさそうだ。


「……だ、そうだジェーン」


 少しくらい話を聞いても問題ない、とシリューはミリアムの耳元に口を寄せて囁いた。


「ドク。一ついい事を教えてあげるわ」


 それまで黙って様子を窺っていたエマが、ドクに向かって指をぴんっと立てた。


「いい事?」


「ええ。知っておいて損はないわ。いい? もしジェーンに手を出したりしたら、貴方のご両親は、貴方自身がひき肉になった塊と対面する事になるでしょうね」


 エマは快活な笑顔を浮かべているが、その言葉は殆ど脅しに近い警告だった。


「いや。肉も骨も残らない。おそらく一滴の血もな。ほんの瞬きの間に、お前の痕跡はこの世から消える」


 ディックがそれに追い打ちを掛ける。


「ちょっと、待った……それって……そういう、事か……?」


 ドクはちらりとシリューに目をやり、すぐにディックとエマへと向き直る。


「そういう事よドク」


「だから、真面目に話せ。分かっている事をな」


 二人はまるで子どもを諭すようにゆっくり、そしてしっかりとドクに言い聞かせた。


 頬を桜色に染めて俯くミリアムの横顔が、ディックたちの会話とどう関係しているのか良く分からずに、シリューただ腕を組んで首を傾げた。


「ジェーン、ちょっと真面目な質問なんだけど、君ってもしかして他人の魔力を認知できる?」


 ドクの意外な質問に、ミリアムは驚いたように両目を見開く。


「な、なんで、分るんですか?」


「俺も認知できるんだ。それから、さっき言った女の子もね。」


 同じ能力を持った者に、同じような症状が起こっている。


 シリューには、それがただの偶然とは思えなかった。



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