【第202話】研究室

 その日の授業を終えて、シリューたちは魔導学院と同じ敷地内にある、魔法調査研究機構『魔調研』の研究棟へ足を運んだ。


 今回の警護の対象であるビショフ研究室は、四つある三階建ての研究棟の端、学院の正門から見ると敷地の一番内側にあり、屋外訓練場に面している。


「随分離れてるけど、あんまり待遇が良くないのか? それとも、期待されてないとか」


 先端の研究や期待度の高いものなら、もっと本部に近い所に研究室を与えられそうに思える。


「そうではないわ。ビショフ研究室は、アーティファクトを含めた魔道器課にあるの。魔道器の多くは安全性が保障されていないから、あえて本部からも敷地外からも一番遠い所に建てられたのよ」


「ああ、そうか。もし事故があっても他に被害が出ないように、って事か」


 事故、という言葉に、ミリアムの肩がぴくっと震え、眉をハの字にして唾を飲み込んだ。


「大丈夫よ。魔調研がここに出来て以来、大きな事故は一度も起こっていないわ」


「は、はあ、そうですか……」


 そう聞いても、ミリアムは不安を拭いきれなかった。


「ま、それを防ぐのが俺の、ってか俺たちの仕事だ」


 シリューはミリアムの肩をぱんっと軽く叩いた。


「は、はいっ。そうですよねっ」


「たまにはまともな事を言うのねキッド。逆に何か起こりそうで怖いわ」


「ホント、お前はゆるぎないな」


 魔道器課の建物に入り、右手の階段を三階まで上がる。幅が3mほどの廊下を一番奥まで進んだところに、ビショフ研究室はあった。


「貴方たちの事を知っているのは、マスター・バルドゥールと長官のタンストールだけよ。くれぐれも注意して」


「ああ、わかってる」


「はい」


 ミリアムとハーティアは、ドアの前で振り返りシリューの顔を覗き込んだ。


「え? なに?」


「くれぐれも、注意して」


「注意、してください」


 二人とも、揃ってぴんっと人差し指を立て、まるで子どもに言い聞かせるように、ゆっくりはっきりと言った。


「あ、うん、はい……あの、ごめん」


 思い当たる節があり過ぎるシリューは、二人の視線に耐えきれなかった。


◇◇◇◇◇


 分厚い金属性のドアを開けて研究室へと入る。


 魔法による空調が効いているのか、外より若干温度が低いようだ。


 入り口のある部屋は、書類や図面のような物が広げられた机が並び、右側に置かれた移動式の黒板には雑に書かれた図形と、意味の分からない単語が掛かれている。


 部屋の右奥は保管庫、左が実験室とその前室。


 研究室など元の世界でも見た事の無いシリューの目には、たとえ異世界とはいえ全てが新鮮に映った。


「私がここの責任者のバルドゥール・ビショフだ。よろしく頼むよ、ウィリアム・ヘンリー・ボニー君に、マーサ・ジェーン・カナリー君」


 長めの金髪に細く整えられた口髭。研究主任のバルドゥールは、穏やかな壮年の紳士といったところだ。


 主任のバルドゥールの他には、研究助手のヴィオラ、同じく研究助手のローレンス・マーフィー。


「初めまして。私はローレンス・マーフィー。一緒に研究をするのは僅かにはなると思いますが、それまではどうぞよろしく」


 ローレンスは優雅な所作でお辞儀をした。


「彼は来年に自分の研究室を与えられる事になってね。若干27歳でだ。まさしく天才だよ」


 バルドゥールは、まるで自分の事のように、誇らしげな表情で目を細める。


「いえいえ、これも全てマスター・バルドゥールのご指導あればこそです」


 慇懃な態度だが、そのローレンスの笑顔に、シリューはどこか冷めたものを感じた。


「昨日会ったわねぇ~。キッドくんにぃ、ジェーンちゃん」


 そのローレンスとは対照的に、くだけた笑顔でヴィオラがゆっくりと一歩進み出る。


「覚えてはいるんだ……」


「キッドは口を慎みましょうね」


 相変わらず間延びした喋りのヴィオラに対して、心の声がダダ洩れなシリューを、ミリアムはジトっとした半開きの目でねめつけた。


「キッドくんはぁ~正直なのねぇ~」


 当のヴィオラはまるで気にする様子もない。


「君たちの経歴書は読ませてもらったよ。二人とも、かなり優秀な冒険者だそうじゃないか」


 経歴書は冒険者ギルドのエリアスが作ったものだが、部外者の目に触れる事も考慮して、本当の事は記述されていない。


「それは私も保証します。冒険者としての実力はCランクの私よりも上。それに、キッドは模擬戦でリチャード・ブリューワーに引き分けました」


 ハーティアはバルドゥールへ向けてではなく、ヴィオラとローレンスに聞かせるため、あえて昨日の模擬戦の結果を口にした。


「ほう、あのディックに……それは期待できますね」


「キッドくんはぁ、ホントに優秀なのねぇ」


 そして、ハーティアの目論見は概ね成功した。


「さて、お互いの顔合わせも終わったところで、早速本題に入ろうか。ローレンス、ヴィオラ。すまないが、二人に例の魔石を見せてやってくれないか」


 ローレンスは軽く頷いて、「ではこちらへ」と二人を促し保管庫へと入る。


 ヴィオラは最後に保管庫へ入り、ドアを閉めた。


「何と言うか……」


 ハーティアと二人だけになったバルドゥールが、保管庫のドアを眺めて呟く。


「噂とは随分印象が違うね……」


「キッドですか?」


「ああ、災害級を一人で瞬殺するような豪傑には……あまり、見えないというか、意外に華奢というか……」


「私も、目の前で見ても信じられませんでした」


 ハーティアは、バルドゥールの顔を見上げて微笑む。


「でも、彼は『深藍の執行者』です。マスター・バルドゥール」


 そこには、知らず知らずのうちに芽生えていた、信頼の気持ちが込められている事に、ハーティア自身も気付いてはいなかった。




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