【第199話】仲間
厳かな静寂に包まれた、予言の間。
明かりがないにもかかわらず、部屋全体がほんのりと明るく、壁も床も天井も、境目が分からないほどの白一色に染め上げられ、ともすると、自分がどこを向いているのかさえ見失ってしまいそうになる。
「その少年の顔も名前も未だわかりません。見えているのは黒髪である事」
白いフードを目深に被った聖女が、膝をついたミリアムに語り掛ける。
「ミリアム、その少年を救う事が貴方の使命。いいえ、これは、貴方の運命であるともいえます」
「私の……運命……」
「ミリアム、レグノスに向かいなさい」
「そこにいるのでしょうか、その少年が」
聖女は静かに首を振る。
「分かりません。私に見えているのは、世界を破滅へと追いやる一人の少年。そして、その未来を変え少年を救う五人の乙女たち。一人は高貴なる血を持つ者、一人は純粋な心をもつ者、一人は熱き情熱を持つ者、一人は飽くなき探求心を持つ者、そして一人はミリアム、深き愛情を持つ者……貴方です。さあ行きなさいミリアム、貴方はきっと、運命に導かれるでしょう」
ミリアムはこの時、聖女の言葉の意味を理解してはいなかったと思う。
「今ならはっきりとわかります。聖女様の予言の少年は、シリューさんです」
ミリアムの瞳は、確信の色に満ちていた。
「……予言、か……」
ミリアムの言う通り、世界を破滅させる少年がシリューである事は、もう疑いようがない。
ならば、未来を変える五人の乙女が、シリューを魔神になる運命から救ってくれるという事だろうか。
シリューは、マナッサでの戦いの後に聞こえた女性の声を思い出す。
〝貴方はもう、一人ではありません。わたくしは……わたくしたちは、貴方をけっして同じ結末に進ませはしません〟
心を包み込むように温かく嫋やかな声は、かつて龍脈の中で消えてゆこうとするシリューの魂をいざない、この世界に繋ぎとめた
そして、今ようやく繋がる二つの事実。
あの声の女性は、おそらく夢の中で弓を放った水色の髪のエルフだ。
心臓を貫く光の矢が一つの結末だとすると、彼女は違うもう一つの結末にシリューを導こうとしている。
彼女もまた、五人のうちの一人だろう。
「お前は……それでいいのかミリアム」
ミリアムは少し眉根を寄せて、鋭い視線を隣に座るシリューに向ける。
「シリューさん……」
その声は明らかに怒っていると、自ら主張するように響いた。
「いつまでそんなくだらない質問をするんですか……」
「え、いや……」
なぜ怒っているのか、シリューには理解できずに口ごもる。
「何度言っても分からないなら……」
ミリアムは俯いて暫く間をおいた後、ゆっくりと顔を上げて、そして笑った。
「何度だって言います。私はどんな時だってシリューさんの味方です。私は、絶対に、シリューさんを一人にはさせません。私たちは……仲間、ですよ」
その笑顔は、春の日差しの中で風に揺れる、満開の菜の花のように、シリューの心を光で満たす。
「ああ、ありがとう。ミリアム」
それは心から溢れた感謝の気持ち。
それからシリューは、テーブルの向かいに座ったハーティアを見据える。
「ハーティア」
選択を促されたハーティアは「そうね」と目を逸らしたが、迷う素振りも見せず、すぐにシリューの目を見つめ返した。
「そのうちの一人が私かどうかは怪しいけれど、最後まで付き合ってあげるわシリュー・アスカ。私も、今は仲間らしいしね。でも勘違いはしないで、これは貴方に借りを返すためよ」
ああそれと、とハーティアは続けた。
「研究の論文も書きたいわ」
口元は笑っているが、目は笑っていない。
ハーティアは本気でそう思っているのかもしれない。
だが、シリューにとって結果は同じ事だ。
「お前はホント、ブレないのな……ありがとう、ハーティア」
「どういたしまして」
ハーティアは目を細めて、今度は柔らかな笑みを浮かべた。
「ヒスイ」
シリューは右の手のひらを上に向け、ヒスイを呼んだ。
「はい、です」
星を振りまき、ゆらゆらとかげろうのように舞いながら、ヒスイはシリューの手のひらに降り立つ。
「ヒスイは……」
「待つの、ですっ」
シリューの手のひらの上で、ヒスイはぴっ、と人差し指を立てる。
「ヒスイはこれからもずっと、ご主人様にお仕えするの、です。そして、ご主人様と一緒に、五人の乙女を探すの、です」
「そっか、うん。ありがとう、ヒスイ」
「あ、当たり前……なの、です……ヒスイも、仲間……なの、です」
ヒスイはほんのりと顔を桜色に染め、くねるように太腿をすり合わせる。
「そういえば、ヒスイは人を探してたんじゃなかったっけ?」
「はい、なの。あ、でも、人を探しているのは、ヒスイじゃなくてアリエル様なの、です。ヒスイはアリエル様のお手伝いをしていたの、です」
「その人の事はいいの?」
ヒスイはすうっと飛びあがってシリューの目の前でとまり、そっと招くように両手を掲げた。
「もう、見つけたの……です。その人は、ご主人様なの、です」
「うん、ヒスイ。また、とんでもない告白をさらっと言っちゃったね……」
しかも、ヒスイには戸惑う様子が微塵もない。
アリエル……。
ハイエルフの王女で、冒険者ギルド本部長エリアスの妹。
シリューの中で、全てのピースが合わさり、はっきりとした形をとる。
「そうか……なんで今まで、気付かなかったんだろう……」
全く失念していた。
「ねえ、ヒスイ。そのアリエル様って、水色の髪?」
姉妹なら、同じ髪色でもおかしくはない。当然ながらヒスイは頷いた。
「そっか……」
間違いなく、アリエルはあの声の主で、おそらく全てを知っている。
「会いに行きましょう。これが終わったら、ね、シリューさん」
ちょこんっ、と首を傾けたミリアムの髪がひと房、流れるように肩から落ちる。
「そうね、会う必要があるわね」
頬杖をついたハーティアの琥珀の瞳が、楽し気な光に揺れる。
「ヒスイが、案内するの、ですっ」
ヒスイはぴんっと背筋を伸ばし、自信満々に胸を張った。
シリューはゆっくりと席をたち、返事を待つ三人を順にみつめる。
「仲間、か……」
一歩も引くつもりはない、譲るつもりもない。
柔らかな三人の笑顔には、強い意志が込められていた。
「ほんと、厄介だな……仲間っていうのは」
そしてシリューは、涼し気に笑った。
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