【第198話】四人の朝

 目覚め自体悪くなかった。


 昨夜、あれこれと考えてしまって、結局は答えを出せずに不安だけが心を占めた割には、いつもよりも早くすっきりと起きる事ができた。


 シリューはまだ暗いうちにベッドを抜け、着替えを済ませて洗面所に向かう。


 おそらくミリアムたちも、遅くまで話し込んでいたのだろう。いつも早起きのミリアムも、まだ起きてくる気配がない。


 顔を洗ったシリューはキッチンに入り、竈に火を起こしてお湯を沸かす。


 ついでに、ガイアストレージから出したグロムレパードの肉を、手のひら大に薄切りにして、すっかり具の無くなった昨日のシチューの鍋に放り込み火にかける。


 棚から出したテーブルロールのパンを竈の火で焦げない程度に軽く炙り、上下二つに切り分けて、ちぎった葉野菜と一緒に、シチューの鍋で温めた肉を挟む。


 料理ともいえない、適当なサンドイッチを三つ作り、もう一度ガイアストレージに収納して、ミリアムたちが起きてくるのを待つ。


 事務所兼リビングのソファーに腰掛け、入れたての紅茶をカップに注ぐと、しんと静まった部屋に、爽やかなジャスミンのグリーン香が広がる。


 ゆっくりと紅茶の香りを楽しむうち、がたがたと二階から音が聞こえ始め、やがて階段を下りてくる足音も届く。


 完全な防音にはなっていないが、人の動く音が騒がしくないくらいに聞こえるのは、家としては悪くない。


「ミリアムの足音じゃないから、ハーティアか」


 ずっと一緒に過ごしてきたせいか、いつの間にかシリューは、ミリアムの足音を聞き分けられるようになった。


「あら、おはよう。もう起きていたのね」


 ガチャリとドアを開けて、予想通りハーティアが事務所に入ってきた。


「ああ、朝は割と早いんだ。おはよ」


 新聞配達のバイトをしていたシリューは、朝は得意だった。


 ハーティアはソファーの向かいに腰掛け、「私もいいかしら」と用意されたカップに紅茶を注ぐ。


「安心したわ。下着姿でうろうろしていたらどうしようかと思っていたのよ」


「いや、どんだけだらしないイメージ持ってたんだそれ」


「そんなものではないの? 私はいつも下着だけよ」


 カップを口元に運ぶシリューの手が止まる。


「冗談よ。いやらしいわねシリュー・アスカ」


「お前が通常運転で安心したよ」


 ハーティアの顔からは、昨夜の蒼ざめた表情が消え、いつもの無表情にも戻っている。ただ、出会ってすぐの頃のような冷たさを感じることはない。


 そうしているうちに、少し慌てたような物音が響き、ぱたぱたと階段を駆け下りてくる。


「お、おはようございますっ。ごめんなさい、寝過ごしちゃいましたっ」


 ミリアムは身支度もそこそこに降りてきたのだろう、後ろで束ねた髪は乱れて所々ではね、寝間着代わりの大きめのシャツはボタンがいくつも外れ、下はショートパンツのままだった。


「なかなか、刺激的な恰好ね……下着よりはマシだけれど。いつもこうなの?」


「いや、初めて……かな」


 ミリアムはいつも、シリューが起きる前に準備をこなし、隙を見せる事なく服装も髪も完璧に整えている。


 基本的に、寝間着姿で部屋の外を歩き回る事はないし、ミリアムがどんな格好で寝ているのか、シリューは今初めて知った。


 二人の話声が聞こえたミリアムは、「ごめんなさい」と頭を下げながら、シャツのボタンを掛けてゆく。


「今、朝食の準備しますねっ」


 わたわたと事務所を出ていこうとしたミリアムを、シリューは穏やかな声で呼び止める。


「ミリアム、朝メシなら俺が準備したから、慌てなくていいよ。とりあえず着替えて、顔洗ってきな」


「は、はぁい。ありがとうございますぅ」


 少しだけ声が掠れて低いのは、寝起きのミリアムにはありがちだが、シリューはそれをかわいいと思っていた。


「シリューさんっ、美味しいですっ」


 三人で食卓を囲み、シリューの用意したサンドイッチもどきを口にして、ミリアムは嬉しそうに微笑む。


「まあ、ほぼほぼお前の作ったシチューだから。美味いのは当然っちゃ当然だよ」


「みゅっ」


 シリューにはもちろん、ミリアムにも他意はないのだが、朝も早々から繰り広げられる甘目の寸劇に、ハーティアは隣の椅子の背もたれに座ったヒスイを見つめ、小声で尋ねる。


「いつもこうなのかしら?」


「はい、なの。二人はラブラブなの」


 こちらも、すっかりいつも通りのヒスイだった。


 朝食を終え、それぞれのカップに紅茶を注ぎ、ミリアムが姿勢を正す。


「あの、私の話を、聞いてもらえますか?」


 いつになく真剣で凛々しい表情に、シリューも背筋を伸ばして応える。


 ハーティアはしっかりと頷く。


「お前の持ってる密命について、か?」


 ミリアムは隣に座ったシリューを、目を丸くして見つめた。


「し、知ってたんですか……?」


「いや、何となくそんな感じはしてた。悪い、話の腰を折ったな。続けて」


 ミリアムは一度大きく深呼吸をした。


「私には、聖女様から与えられた使命があります」


 聖女とは、エターナエル神教における最高位である教皇に並び称される存在で、精神的支柱でもあり、予言の巫女とも呼ばれる。


 一介の勇神官、しかもミリアムのような新人が、直接使命を与えられるなど前代未聞である。


 黙って頷くシリューとハーティアを見て、ミリアムは続ける。


「私の使命は、ある少年を探しだす事」


 ミリアムは、その時の事を思い返し、ゆっくりと言葉にする。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る