【第189話】取引

「これからが、お前の全力……という事か?」


 シリューは、無言のまま頷く。


「面白い……それなら、僕も本気を出してやる」


 ディックは笑った。


 その目からは怒りの光が消え、どこか楽しそうに煌めいた。


「降り注げ水流、我が力の連動に跪け。ウォターバレットぉぉぉ!」


 ディックが放ったのは、初級の水魔法。


「え?」


 高位の魔法が来ると予測していたシリューは、一瞬拍子抜けしてしまい、僅かに初動が遅れる。


 次々と発射される、バレーボール大の水の弾丸は十数個。前後左右、一定の間隔で飛んでくる。が、感覚が広い為、その隙間へ逃れるのは、シリューの身体能力なら難しい事ではない。


「大地の怒りよ、仇なす者を撃ち砕け。メタルバレット!」


 またも初級の弾丸。だが狙いはシリューではない。


 六発の弾丸は、シリューの周りを飛ぶウォターバレットを撃ち抜き、弾けた水の飛沫がシリューに降り注ぐ。


「うっぷっ」


 シリューは口に入った水を吐き、濡れた顔を右手で拭う。


「蒼天を突き破りし鋭き雷鳴よ、今此処に降り注ぎ敵を撃ち砕け! サンダースピア!!」


「なっ、雷!?」


 濡れた床で足が滑り、僅かに体勢を崩した。ただし、今度も狙いはシリューではない。


「やばっ」


 濡れた床上では、雷系の魔法が直撃しなかったとしても、感電は免れない。


 そう思ったが、完全に後れを取った。


 三本の雷の槍は、シリューの前と左右に突き刺さる。


「うぐっ」


 全身を走る激しい痛みに、シリューは背筋を弾かれたように仰け反る。


「まだいくぞっ。蒼天を突き破り……」


 感電に耐えられるといっても、痛いものは痛い。


 シリューは咄嗟に、濡れていない床面までジャンプする。


「……地に轟かせし荘厳なる雷撃の力我に集い、害為す者へ怒涛の鉄槌を撃ち放て。お前なら避けられるだろ? サンダーボルトぉぉ!!」


 ディックは、シリューの動きを最初から読んでいたかのように、サンダースピアの呪文をキャンセルし、より上位のサンダーボルトへと切り換えた。


 着地した瞬間に、大いなる稲妻がシリューへと落ちてゆく。


「くっ、障壁放電エレクトロファレーズ!!」


 右手を高く掲げ、シリューは放電の光る壁を展開。稲妻を受け止める。


 稲妻と障壁放電は、プラズマを伴い激しい衝撃音を響かせて対消滅を起こした。




「雷系まで使えるの!?」


 エマはシリューが四系統目の魔法を使った事に、目を見開いて息を呑む。


「まだまだ、ですよ」


「え……?」


 ミリアムの屈託のない笑顔は、エマにとって最早恐怖でしかなかった。




「まさかっ、お前、勇者か!?」


 ディックの疑問は尤もだった。



「違うよ」

 このやりとりも初めてではない。


「今度はこっちの番だ! じっとしてなよ!!」



【ストライク・アイ起動。ターゲットロックオン。マルチブロー、同時複数発射での魔法発動可】



「マルチブローホーミング!」


 加減なしで発射する魔法の鏃が、ミサイルのように次々と飛翔する。


「これもだっ! ガトリング!! アンチマテリエルキャノン!!」


 一分間に六千発の弾丸と、30㎜高硬度の砲弾がディックの足元の床を抉る。


「フレアランサー! アイスランサー!! サンダースピア!! もう一つっ刃の気流ストリームラーミナ!!」


 ディックの前に、背後に、左右に、僅かな隙間さえ与えないほど、六属性の攻撃魔法を叩きこむ。


「はっ、はははははっ」


 シリューは心底楽し気に笑った。


 これだけの魔法を一切加減なしに放つのは初めての事で、気分が高揚して歯止めが利かない状態になっているようだ。


「キャスケードウォール! デトネーション!!」


 立ち昇った水流を激しい爆発と熱で、一瞬のうちに蒸気に変える。


 もはや攻撃というよりも、ただのパフォーマンスだ。


「ラストぉぉ! レイ!!!」


 幾条ものレイザービームが脆くなった床を焼き焦がす。

 



「……ねえ……何これ……やりすぎじゃないかしら……」


 ハーティアはあまりの光景にぽかんと口を開けて佇む。


「もう……自重という言葉が……頭にないんですね、きっと……」


 ミリアムの顔からも、表情が消えている。


「馬鹿なのシリュー・アスカ……」


「アホの子です、シリューさん……」


 二人とも、偽名で呼ぶのを忘れ、溜息のように呟く。


 打合せでも、ここまでやるとは聞いていなかった。


 七属性、十の魔法を同時発動。


「最後に使ったのは……光魔法、よね……」


「そう、ですね……」


 マナッサで、勇者である日向直斗とは共に戦った。


 だから、シリューが勇者でない事ははっきりと証明されている。


「勇者でないなら……誰なのかしら……」


「誰……? シリューさん……シリューさんは……だれ?」


 ミリアムは囁くような声で、訓練場に立つシリューに向けて尋ねるのだった。


 目に映るシリューは、手を伸ばせば触れられる、声を掛ければ答えてくれる。


〝でも……シリューさんは……〟


 ミリアムは、シリューが突然触れる事のできない存在になってしまったように思えた。


 ハーティアにも、何が起こっているのか、シリューの存在自体を含めて理解できなかった。


 そして初見のエマの目には、もはや災害としか映っていなかった。


「ま、まって……ディック……い……や……ディッ、ク……」


 エマは半ば放心状態のまま、巻きあがる砂礫と蒸気がディックの姿をすっぽりと包む、訓練場の中心付近へゆっくりと歩きだす。


「大丈夫です。リチャードさんは無事ですよ、ほらっ」


 ミリアムがエマの腕をとり、指さした。


「ディック!?」


 徐々に薄れてゆく煙の中に、しっかりと立つ人影に向かって、エマは安堵の表情を浮かべて叫んだ。




「どうする? もう十分だと思うけど……」


 シリューは右手をディックに向けたまま、穏やかに尋ねた。


 破壊され大きく抉れた自分の周りの床を見渡し、ディックがキッっとシリューを睨む。


「……何のつもりだ……いや、一瞬で肉片も残さずに消滅か……僕がまだ生きている、という事は……そういう事か。まったく、腹の立つヤツだな」


 ディックは掌を見せ、大袈裟に肩を竦める。


「あの、煽ったのは謝ります……」


「その必要はない、煽ったのは僕も同じだ。それに、お前は本気でやったんだろう?」


 ディックの顔からは、すっかり毒気が抜けているように見えた。


「ええ、本気でやりました」


「七属性、十の魔法を同時に発動か……しかも最後は光系だったな。勇者じゃないと言ったが、お前何者なんだ?」


「えっと、それは……」


 さすがに光系のレイはやりすぎだったかもしれない。だが、今更そう思っても後の祭り。気分が昂って調子に乗り過ぎたようだ。


「まあいい。それよりも、アレはどういう事だ?」


 ディックは、訓練場の端に寝かされた試験官に顔を向ける。


「あなたたち以外には、知られたくなかったんです。秘密を知る者は、少ないほどいい」


「まったく意味が分からん。説明はしてくれるんだろうな?」


 シリューはゆっくりと、大きく頷いた。


「取引をしましょう」


「……取引?」


 訝し気な目を向けるディックに、シリューは目を細め涼し気に微笑む。


「ええ。とりあえず、この場は引き分け、って事にしてください」


「引き分け……? どう見ても僕の負けだろう。お前に何のメリットがある?」


「ありますよ。メリットはなるべく目立たないように、あなたたちに認めてもらう事。俺たちはこの事を絶対人に話さない、だからそっちも話さないでほしい」


「……どういうメリットなのか、いまいち理解できんが……どのみち僕に選択肢があるとも思えんな」


 ディックは目を閉じ、観念したように首を振った。


「だが、これだけじゃ、僕の方にしか分がない。取引って事は、他に何かあるんだろう?」


「さすが、レギュレーターズ、勘が鋭いですね。その通り、あなたたちには俺たちに協力してもらう」


「なるほど……それで、もちろんそれも、僕には選択肢はないんだろう?」


「ええ、その通りです」


 シリューは眉をひそめるディックに向け、もう一度微笑んだ。

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