【第182話】学院に行こう

 王立魔導学院の門を潜りまず目を引くのは、数十のアーチのポルティコ(柱廊)を持つ二階建ての建物。石畳を敷き詰め、両端に季節の花が咲く花壇が配置された中庭を囲む回廊は、学校というよりも宮殿の造りに近い。


 正面の屋根上の時計台は、この学院が建てられた時から生徒たちを見守り、授業の開始を告げる鐘が今も鳴り響く。


「思ったより広いんだな」


 シリューはミリアムと並んで校門を潜り、学院の敷地を見渡した。


「なんかちょと、緊張しちゃいますね」


 シリューの隣で、ミリアムがちょこんと肩を竦める。


「たしかに、なんか厳かな雰囲気だよな、無駄に」


「や、無駄って……、一応エターナエル神教とか冒険者ギルドと同じくらい歴史があって、魔法を志す者なら皆憧れる場所なんですよ?」


「ああ、そうなんだ」


 そっけないシリューの態度に、ミリアムは大きく溜息をつく。


〝そっか……シリューさんって遠い東の国から来たから、分からないんだ……〟


「ダメですよ〝キッド〟、そんな態度じゃ。せっかく選ばれたんだから、もっとシャンとしないと」


 ミリアムの言い方は、シリューの態度を諫めるように聞こえて、本当はそうではない。


〝本来の目的を忘れないでくださいね〟


 言外に、そうほのめかしているのだ。


「あ……そうだな……うん、ごめん、改めるわ」


 ついつい素で話していたが、ここではシリュー・アスカではなく〝ウィリアム・ヘンリー・ボニー〟に〝マーサ・ジェーン・カナリー〟だ。


「ジェーンってさ……」


 シリューは立ち止まってミリアムを見つめた。


「意外とそういうトコはしっかりしてんだな」


「……意外は余計ですけど、キッドって意外とそんなところテキトーですよね」


「まあね、途中で飽きるっていうか、めんどくさくなるんだよ」


 緻密な計算や作戦、計画と行動と検証。どれも嫌いではなく、わりとのめり込むタイプだが、どうしても長続きせずに途中で派手にぶち壊したくなる。


「や、飽きるって……まだ、始まってないですよ、もうっ」


 ミリアムはぷっ、と吹き出し、口元に手を添えてころころと笑った。


 今の会話のどこに笑う要素があったのかシリューには理解できず、肩を竦めて首を傾げる。


「……お前って、ホントよく笑うよな……」


「え、えっと……変、ですか?」


 また揶揄われるのかと思ったミリアムは、おそるおそる顔を上げて、シリューを上目遣いに見つめた。


「いや、いいと思う。すごく助けられてるしな」


「みゅっ」


 ミリアムにも分かっている、シリューはまったく何も意識していない。


「キッドっ」


「ん?」


「言葉の暴力はんたいですっっ!」


 前のめりに髪を揺らして、ミリアムは胸の前で両手の拳をきゅっと結んだ。


「それ、めっちゃかわいい」


「ひゃうっっ」


 飛び出しそうな心臓を必死に抑え込むように、ミリアムは掌を重ねて胸を押さえ、真っ赤顔でシリューに背を向けた。


〝な、なになに、どうしちゃったのシリューさんっ。最近おかしいっ、絶対おかしいっっ、いや、嬉しいけどっ、めっちゃ嬉しいけどっっ!〟


「なに?」


「なんでもありませんっ!!」


「お前、最近、なんかおかしいぞ?」


「う、うるさい!」


「あ、ごめん、そういう意味じゃなくて、体調でも悪いのかなって」


「きゅうぅぅぅ……んもう、キッドは、私を殺す気ですかぁ?」


 喘ぐように囁いたミリアムの瞳が潤み、顔だけ振り向いて横目にシリューをねめつける。


「えっと……意味わからんけど、なんかごめん」


 こういう場合、とりあえず謝るくらいしか、シリューには思いつかなかった。


 もちろん、なぜ責められたのか、その理由はまったく分かっていなかったが。


「あ、ところでキッド、気分はどうです? 平気ですか?


「平気……かな? 白の装備のインナースーツを下に着てるおかげで、いつもよりは息苦しさも楽な感じがする」


 ミリアムはすっとシリューの額に手を当てる。


「辛い時は、遠慮しないで……私、何でもしますから……ね?」


 全てを包み込むような笑顔のミリアムが、唐突に眩しく見えて、シリューは思わずドギマギとしてしまう。


「ああ、あの、とにかくさ、待たせちゃ悪いし、正面玄関に行ってみよう」


 約束では、シリューたちを迎えに、案内の職員が正面玄関で待っているとの事だった。


 玄関アプローチの階段を昇り、意匠を凝らした重厚な両開きの扉に手を伸ばそうとした時、内側から押された扉が勢いよく開き、見覚えのある顔がシリューの目に飛び込んできた。


「え? あ……」


 猫耳にプラチナブロンド、学院の制服に身を包んだ少女は、驚いたように目を見開いて、シリューをミリアムを交互に見つめた。


 そして。


「ぶふっっ」


 いきなり吹いた。


「だ、誰かと思った、くくくくっ、何それ、何の、ギャグなのシリュー・アスカ……あ、はっはははは、に、似合わな、すぎっ、くふふふふっ、ば、馬鹿なの、し、シリュー……アス、カっ」


「テメーふざけんなこのヤロー……」


「やっぱり、そうなりますよね」


 ミリアムは自分が大笑いした事を正当化するように、しれっと言い放った。


「お前も黙れ変態娘」


 ハーティアは誰に憚る事なく、お腹を抱えて笑い続けている。


「これ、は……ダメ……貴方……私を、殺す……つもり?」


「ホント、お前も大概失礼だな猫耳オレンジ」


「ご主人様は、かっこいいの、です!」


 ヒスイが胸のポケットから顔を出し、抗議するように叫んだ。


「ありがとう、そう言ってくれるのはヒスイだけだよ。ちょっと待ってね、今この猫、躾けるから……」


「え? 躾け……って、シリュー、さん?」


 目を見開いて、驚いたように見つめるミリアムに首を振り、シリューはいまだ笑い転げるハーティアの肩を掴み、建物の影に連れ込み壁に押し付け、掌で口を塞いだ。


「ち、ちょっ、むぐっ……」


 さすがに、本気のシリューを相手に抵抗するすべのないハーティアは、焦りを隠せず硬直する。


「いいか、俺はウィリアム・ヘンリー・ボニー、通称キッドだ。それから彼女はマーサ・ジェーン・カナリー。分かった?」


 ハーティアはこくこくと何度も頷く。


「よし」


 それからシリューは、視線は外さずにじっと見つめたまま、ハーティアの口を押えていた手を離す。


「乱暴にしたのは悪かった。でもな、これは絶対に秘密だ、もし喋ったら……」


「喋った、ら……?」


 シリューの鋭い眼光に、ハーティアは思わず息を呑んだ。


「オルデラオクトナリアに襲われた時、お前が漏らしたって学院中に言い触らす」


「キッド……相変わらずゲスいです……」


「な、なに適当な事言っているの!? 漏らしてないわよっ!」 


「ほ~う、みんな信じてくれるといいなぁ~」


「キッド……笑顔がめっちゃ悪いです」


 ミリアムは半ば諦めたように眉をハの字にして、自分の肩を抱いた。


「だ、だいたいっ、貴方、ちゃんと見たんだから、わかるでしょうっ」


「え? 何を?」


「な、私のパンツよ! 濡れていなかったでしょう!!」


 怒りのあまり、ついつい声を荒げてしまい、ハーティアは誰かに聞かれなかったかと、咄嗟に口を押えてきょろきょろと周りを見渡した。


「お前、大声で、私のパンツって……意外と大胆ってか奔放だな。聞いてるこっちが恥ずかしいわ」


 シリューはハーティアから離れ、大袈裟な仕草で肩を竦め掌を見せる。


「う、うう、うるさいっ、いつかぶっ殺すっ」


 ハーティアは真っ赤な顔でシリューを睨みつけた。


「……キッド……」


 背後から聞こえた背筋の凍るような声に、シリューはゆっくりと振り返った。


「え……え?」


 妖艶に半目を開き、毒蛇のような冷たい笑みを浮かべたミリアムの背後に、真っ黒なオーラが陽炎のように揺れる。


「あ、あの……ジェーン?」


「ねえ、そんなに、しっかりと見たんですか……濡れてるかどうかも、分かるくらいしっかりと?」


「あの、ジェーンさん、それは言い方に語弊があるわ」


「ハーティアさんは、黙って……」


「にゃっ、は、はい……」


 生気のない、深い闇の滲んだ瞳を向けられたハーティアは、叱られた猫のように耳をぺたんと寝かせ、目を閉じて頭をぐっと下げた。


「キッドぉ……」


 もはやシリューも蛇に睨まれた蛙である。


「お、落ち着け、じ、ジェーン」


「あらぁ、私は落ち着いてますよ? ほおら、こんなに笑顔でしょう?」


 ミリアムは物凄い力でシリューを壁に押し付ける。


「あ、あの……ちょっと、怖いんだけど……」


「何が怖いの? 私が? 大丈夫、別に取って食ったりしないわよ……あ、でもでも、やっぱり食べちゃおっかなぁ♪」


 にたりと大きく唇を歪めたミリアムが、鼻先が触れ合うほどシリューに顔を寄せた。


「これはご主人様が悪いの、です。しっかり、ミリちゃんと寝てあげないから、ミリちゃんが不安になるの、です」


「みゅっ」


「ひ、ヒスイっっ」


 絶体絶命のピンチを救った英雄のたった一言で、すっかり正気にもどったミリアムだった。




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