【第183話】ハーティアとは初対面?

「やっぱり、お前の陰謀だったんだな」


 長い渡り廊下を、ハーティアに先導されながら、シリューは憮然とした面持ちで大きく溜息をついた。


「さて、何の話かしら? 私は、今日入学予定の二人を案内するように言われているだけよ」


 ハーティアは悪びれる事なく、澄ました顔で答えた。


、だろ?」


 言外に意味を込めたシリューの言葉に、ハーティアが立ち止まって振り向く。


「ウィリアムさん……だったかしら」


 改めて聞き直したハーティアの表情には、何の感情も浮かんではいない。


「ああ……」


 返事はしたものの、シリューにはハーティアの考えを読み取る事ができず、じっと答えを待った。


「私たちは、ではなかったかしら? ウィリアムさん」


 少し大袈裟に首を傾げたハーティアは、ゆっくりと、確認を取るように言葉を選んだ。


 そう、ハーティアの言う通り、とハーティアは初対面だ。


 シリューも、言われている意味をようやく理解した。


 正体を隠す事を、それ程重要とは思っていないせいなのか、優先順位の低いものをついつい忘れそうになるのは、シリューの悪い癖だった。


〝相手は魔族だし、基本、バレても問題ないしな〟


 シリューにとって重要なのは、勇者たちに自分が明日見僚だとバレない事であって、その他は言ってみればどうでもいい。


 ただし、今回はミリアムを巻き込むおそれがある訳だし、油断するのは良くない事も理解している。



【固有名をウィリアム・ヘンリー・ボニーに変更しますか? [YES/NO]】



 久しぶりのセクレタリー・インターフェースが起動した。


「ああ、YESだ」



【固有名をウィリアム・ヘンリー・ボニーに変更しました】



 これで、少なくとも忘れる事はない筈だ。


 シリューは改めてハーティアに向かい、右手を胸に当ててお辞儀をした。


「うん、そうだな……ちょっと気易かったかも、ごめん謝るよ。じゃ、改めてよろしく、ハーティアさん。俺の事はキッドって呼び捨てでいいよ」


「あ、私ジェーンですっ、ハーティアさん」


 反発してくるだろうと構えていたハーティアは、予想外のシリューの態度に毒気を抜かれ、大きく見開いた瞳で何度も瞬きをした。


「あ、え、ええ。私の方こそ、少しきつかったわね、ごめんなさい。よろしくねキッド、ジェーン。私の事も呼び捨てでいいわ」


「気を使わせて悪いね、ハーティア」


 涼しげな笑みを零し、シリューは穏やかな声でそう言った。


「え、い、いえっ、そんな、気にしないで……」


 だしぬけな笑顔に耐えられず、ハーティアはくるんっと踵を返す。


 少しだけ、どきりとしたのは、永久に秘密だ。


「出会いのやり直しみたいで、なんかいいですね」


 ミリアムが、シリューの耳元で嬉しそうに囁いた。


「じゃあ、試験の教室に行きましょうか」


「え? 試験?」


 ハーティアの言葉に、シリューの眉がぴくっと反応する。


「聞いていないかしら? 二人とも二学年に途中編入だから、編入試験が必要なのよ」


 そこまで話して、ハーティアは口元を掌で隠し、シリューにぐっと顔を近づけて囁く。


「……といっても、形だけだから、そんなに構える必要はないわ、心配しないで」


「ああ、分かった……教えてくれてありがとう、助かるよ」


 シリューも同じように小声で返す。


「え……」


 ハーティアは茫然とした顔で、シリューを見つめる。


「ん? どうかした?」


 シリューの声にはっとして我に返り、ハーティアはとととっ、とミリアムの傍に駆け寄った。


「ねえっ、どうしたの!? 何かあったの?」


 ハーティアがそう思うのも無理はない。そこはミリアムも激しく同意するところだった。


「あれ……たぶん彼の本性です……」


「そ、そうなの?」


 ハーティアの疑問に、ミリアムはこくこくと頷いて答える。


「自分では、ぜ~んぜん、気付いてませんけどね」


「天然……か」


 がっくりと肩を落とすハーティアの顔に、少しだけ疲れたような表情が浮かんだのを、ミリアムは見逃さなかった。


「まあ、天然の誑しですね」


「危ない人ね……」


「そうですね、心臓に悪いですっ、いろいろと。ま、ヘタレだから、実害はありませんけどっ」


 実害がなさすぎるのも、それはそれで問題だが、ミリアムは口には出さなかった。


「王女様もそれにやられたのかしら?」


 ハーティアがミリアムの耳元で囁く。


「ですよね……きっと」


 おそらくパティーユ王女はシリューに想いを寄せている。確認したわけではないが、ミリアムもハーティアもそう思っていた。


「まだ、他にいるかも……」


「……殺します……」


 俯いたミリアムは口元に笑みを浮かべてはいるが、瞳には冷たい光を宿して、視線だけで射殺せそうな圧を発していた。


「……あの、ハーティア……」


「だ、大丈夫っ、私は貴方の敵にはならないから、安心してっ」


 少し、いや結構びびったハーティアは、びくんっと肩を震わせた。


「なあハーティア、もう行かないか?」


 会話が聞こえないように、少し距離を取っていたシリューが、二人を振り返って笑った。


「そ、そうね、行きましょうかっ」


 ハーティアは顔を背けてお腹と口元に手を添え、背中を丸めてぱたぱたとシリューを追い越してゆく。


「あれ? ハーティア?」


 その少し慌てた様子に、シリューは気遣うように声を掛ける。


「どうした? 気分でも悪いんじゃ……」


「な、なんでもないわっ、気にしないでキッド!」


 ハーティアは筆記試験の行われる教室の前まで、一度も振り返る事なく二人を案内した。


「まずは、この教室で筆記試験を受けて。科目は数学、科学、基礎魔法学の三つよ」


「ふみゅ~、私、科学って苦手なんですぅ」


 ミリアムが、困ったように眉をハの字にして、がっくりと肩を落とす。


「へえ~、ってかお前、得意な科目とかあるんだ?」


「む、馬鹿にしてますねっ。私っこれでも、神学校ではトップだったんですからっ」


 ミリアムは腕を組んで、ぷくっと頬を膨らませそっぽを向いた。


「そうか、できる子なのにポンコツちゃんだったのか」


「ポンコツじゃないもんっっ」


〝飽きないわね本当に……まあ、面白いからいいのだけれど〟


 いつも通りのやり取りに、ハーティアは肩を竦めた。


「じゃあ聞きますけどキッドは、得意な科目あるんですかっ」


「そうだなぁ、数学と科学は得意かな……」


 実際、シリューは元の世界の学校でも成績は良い方だったが、特に数学と科学はトップクラスだった。


「じゃ、じゃあっ苦手は?」


 ミリアムはよほど悔しかったのか、少し意地になって食い下がる。


「苦手は……あんまりないかなぁ……」


「むむむっっ」


 ミリアムは、口をへの字に曲げてねめつけるが、苦手というほど苦手な科目が思い当たらなかった。


 あえて苦手なものをあげれば、体育の時の球技だろうか。


 走る、身体をイメージ通りに動かす、は得意なシリューだったが、球技はまったくセンスがなかった。


「ああ、基礎魔法学っていうのはぜんぜんかな」


「え? や、キッド……それ、一番重要ですけど?」


「そうなの?」


 シリューは、呆れているミリアムと、きょとんとしたハーティアの顔を交互に見比べた。


「そ、そうだけれど、ま、まあ、大丈夫だと思うわ」


 ハーティアはぐっとシリューに顔を近づける。


「さっきも言ったけれど、あくまでも形だけだから……筆記の成績は問題にならない筈よ」


「キッド……とんでも発言は控えてくださいねっ」


 胸が当たっているのも気にせず、ミリアムはハーティアよりもさらに顔を寄せた。


「あ、うん、分かった」


 ここは、魔導学院。魔法のエリートたちが集められる場所だ。基礎魔法学が苦手などあり得ない、という事だった。


「筆記試験のあと、午後からは、訓練館での実技試験よ。私は、筆記試験が終わる時間にここに迎えに来るから、一緒に昼食をとって、訓練館に案内するわ。いいかしら?」


「はいっ」


「分かった、よろしく頼むよ」


 ミリアムが笑顔なのはいつもの事だが、シリューがこうも愛想良く当りが柔らかいのには、どうしても違和感がある。


「い、いえ、そんなに改まらないでいいわ」


「ありがとう、そう言ってもらえると嬉しいよ」


「にゃっ」


 目を細め、涼し気に笑うシリューに見つめられ、ハーティアは思わず言葉に詰まった。


〝な、何なの!? 生意気だわっ、シリュー・アスカのくせにっっ〟


 そう思ったが、もちろん口には出さなかった。


「そ、それじゃあ、試験頑張ってっ。ちゃんと、名前書きなさいよキッドっ」


 ハーティアはその場から逃げるように、ぱたぱたと足音を響かせて駆けていった。


「名前って……さすがに書き忘れないだろ……?」


「キッド、よく名前忘れるじゃないですか」


 遠ざかってゆくハーティアを見送りながら、ミリアムは半開きのジトっとした目で、シリューを見つめた。


「や、まあそうだけど……さすがに、自分の名前は忘れないと思う……」


「私の名前は?」


 ミリアムが澄ました顔で尋ねる。


「ジェーン」


「お、ちゃんと覚えてたんですねぇ?」


「当たり前だろ、誰が、大事な幼馴染の名前を忘れるかっての」


「うんうん、その調子ですっ、いい子いい子」


「うわ~マジ苛つくわ、そのドヤ顔」


「相変わらず、子供ですねぇ、でもかわいいですよ、キッド」


「うるっさい」


 完全にミリアムのペースだった。


「もういいかな、お二人さん」


「えっ?」


「みゅっ」


 がらがらと音を立て教室の扉が開き、男が笑顔で声をかけてきた。


「仲が良くて微笑ましいんだが、そろそろ試験を始めたくてね。中に入って席についてくれるかな?」


「「は、はい……」」


 ちょっと気まずい雰囲気のまま、二人はそそくさと教室へ入っていった。


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