【第147話】気になるんですっ

 その後、2時間ほどで魔物の解体を終え、休憩を挟み移動を開始したキャラバンが野営地の水場に着いた時には、日はすっかり西の空に傾いていた。


 商人たちの中には多少不満を零す者もいたが、ほとんどはこの行程の変更に納得しているようだった。


 ただ、襲撃の規模があまりにも大がかりだった為、今回のキャラバンの目的に薄々気付く者も現れ、野営地は憶測と噂でもちきりとなっていた。


「どうやら、あの襲撃は『疾風の烈剣』自体を狙ったものらしいですよ」


「いやいや、狙いは乗客の誰かでしょう」


「乗客?」


「例えばほら、烈剣と一緒にいるあの女性。そうそう、あの娘。あれは魔道学院の制服ですよ」


「確かに……では何かの調査か研究のために?」


「ええ、ええ、ついこの間レグノスで大変な事件が立て続けに起こったでしょう? そうそう、ワイバーンの……ええ、あの事件の解決に、断罪の白き翼ブランシェールの他に深藍の執行者も関わっていたとか……」


「では、事件の証拠か何かを魔道学院が手に入れて持ち帰っている、と?」


「なるほど、納得ですね。それでゴールドクランの護衛……」


「加えて、深藍の執行者、ですものね」


「ですが、そうなると、このキャラバンに加わるのは……」


「……ちょっと考えものですね……」


「とりあえず、マナッサには……」


 勿論、エクストルたちに直接問いただそうとする事はなかったが、商人たちの分析は概ね的を射ていた。


「エクストル、ちょっといいかしら」


「ん? ああ、グレタか。傷はもういいのか?」


 馬の荷を解いていたエクストルに後ろから声をかけたのは、防具と装備を外した、剣士のグレタだった。


「ええ、左手の感覚も少し戻ってきたわ。防具は……もう使い物にならないけど……」


 グレタは力なく肩を竦める。


「気にするな、命があっただけでも儲けものだよ」


「ええ、そうね……」


 そう答えはしたものの、グレタの表情は明るくなる事はなかった。


 サブリーダーである自分が真っ先に戦場を退き、クランが崩壊の危機にまで陥ったきっかけを作ったことに、グレタは強い責任を感じていたのだ。


「ところで、俺に用があるんじゃなかったか?」


「ええ、そうね。用というほどでもないんだけど……」


 グレタは、焚火を囲み話をしている商人たちに顔を向けた。目が合った商人の一人は、気まずそうに目を背け何事もなかったように話に加わる。


「彼ら……なんとなく感づいてるみたい」


「だろうな、ただの強盗にしちゃあ、今回の襲撃は大袈裟過ぎるからな……」


 商人の読みは馬鹿にできない、とエクストルは肩を竦めた。


「マナッサじゃ、ひと悶着ありそうだな」


「ええ」


 自嘲するように笑ったエクストルに、グレタが小さく溜息を零す。


「ところで、本当に今夜見張りだけで良かったの?」


「ああ、何かあった時の対処は、シリューがやってくれる事になった」


「……自信、無くすわ……」


 グレタは目を閉じて、ぽつりと呟く。


「心配するな、俺もみんなも同じ意見だ……」


「あの子、なんでEランクなの」


「本人が言ってたが、討伐系のクエストを受けた事が無いらしい」


「は?」


 眉をひそめて、グレタがエクストルを見つめた。


「猫探し、人探し、あと採取……だってさ」


「わけわからない」


「俺もだ」


 エクストルは肩を竦め手のひらを見せる。


「深藍の執行者……何者かしらあの子」


 グレタとエクストルは、テントの準備に取り掛かるシリューを眺めた。


「……味方だよ」






「はあぁぁぁ……」


 焚火の前で夕食後の紅茶を啜りながら、ミリアムはがっくりと肩を落とし、あからさまに大きなため息をついた。


「なんだよ、足りなかったのか? 肉ならまだあるぞ」


「ち、違いますよっ。なんでそう思ったんですか!?」


 シリューの的外れな言葉に、ミリアムは残念なものを見るように眉をひそめる。


「え? だって、なんか切なそうに溜息つくから」


「女の子の切ない溜息イコール食欲って、どうしてそんな発想になるんですか!」


「違うのか?」


「違います! シリューさんアホですか!?」


「アホにアホって言われたくない……」


 切なそう、という事だけはシリューも気付いたようだが、いくら食後とはいえ、それを食欲に直結させるのは余りにも短絡的で、ミリアムがムキになるのも無理はない。


「じゃあなんだよ?」


「教えてあげません!」


 ミリアムはぷいっとそっぽを向き、頬を膨らませる。


「もおっ……シリューさんの、せいですからね……」


 俯いて、最後は囁くほどの声になったミリアムの顔が、少しだけ赤く染まる。


 ただ、シリューには全く思い当たるものが無かった。


「なんで、俺のせいかは分からんけど……肉、どうする?」


「肉から、は・な・れ・てっ!」


 ぐいっと顔を寄せてきたミリアムだが、何かに気付いたように、ひゃっ、と声をあげ、大慌てで転がるようにシリューから離れた。


「な、どうした、なんか変だぞ? 体調でも悪いのか?」


「べ、別に……」


 いきなり優しい声音に変わったシリューに、ミリアムはどぎまぎと返答に窮する。


「あ……」


「え?」


 シリューがふと零した声に、ミリアムは過敏に反応し、両腕で胸を抱くようにして振り向く。


 食事の時から、いや、それよりも少し前から、ミリアムの座る位置や立つ位置が、いつもより少し遠い事にシリューは気付いた。


 以前にも、ミリアムは同じような態度を見せた事がある。


“ たしか、孤児院の前でクロエと会った時と、治療院から退院した時……”


「私っ、今夜は外で寝ますからねっ」


「いや、お前、気にしすぎだよ。別にそんな……」


 シリューは気を使ったつもりだったが、年頃の乙女であるミリアムに対して、デリカシーがあるとは言い難かった。


「や、やっぱり臭います!? やだ、もおぉ」


「いやだから、気にする事ないって。なんならほら、洗浄魔法で洗い落せば……」


「洗浄魔法は水で洗うのとは違うんですっ」


 生活魔法「洗浄」は汚れや臭いの元を、目に見えない程細かく分解して飛ばす。ある程度はきれいになるが、目に見えない汚れの粒子が付着するため、水で洗った時のように清潔にはならない。


 ミリアムは今にも泣きそうな顔でシリューをねめつめる。


「シリューさんのせい」


「え? だから、何で?」


「シリューさん、猫耳の女の子と、楽しそうに話してた……」


「まて、どの時点の話か分からんけど、あの娘と楽しく話した記憶が無いぞ」


“ 挨拶をちゃんとしなさい ”、みたいな話と、遠回しに足手纏いと言われたくらいだ。


「胸、揉んだ……」


「ご、誤解だっ。揉んでないっ……触った、けど……」


 あれは、出会いがしらの事故で、あくまでも不可抗力だ。


「パンツ見た……」


「えっ? い、いやっ、あ、あれはっ……」


 確かに見た。しっかりとオレンジ色のパンツを。だが、あれも言ってみれば事故で、シリューに罪はない。


「シリューさんのせいですよ。シリューさんのせいで……いっぱい動いたから……いっぱい動いて、汗かいちゃったから……」


「ミリアム……言い方……」


 ミリアムは拗ねたように、抱え込んだ膝の上に顎を乗せて焚火の炎に視線を落とす。


「ミリアム、汗なんて誰でもかくし、その、なんて言うか……あの……いい匂い、だと思う、うん、前から思ってたけど、いい匂いだよ。傍に居ると安心する匂いだ」


 ミリアムはぱっと顔をあげ、それでも恥ずかしそうな上目遣いでシリューを見つめた。


「ほ、ほんと?」


「うん……」


 シリューはしっかりと大きく頷く。


 少しぎこちない笑顔が浮かべたミリアムが、シリューに向かって体を捻り、左手をついてそっと身体を寄せる。


「シリュー……さん……」


 それから静かに瞳を閉じて、僅かに顔を上げる。


「ミリアム……」


 シリューが右手をついて、二人の距離をゆっくりと詰めようとした、その時。


「あの、お二人の世界を創られているところを、お邪魔だとは承知しているのだけれど……」


 完成しつつあった甘い世界を砕くように、二人の背後から女性の声が聞こえた。


「うわっ」


「みゅっ!」


 まるで弾けたバネのように立ち上がったシリューとミリアムは、その馬鹿丁寧な声の主をわたわたと振り返る。


 ばつの悪い表情でそこに立っていたのは、つい今噂していた猫耳娘のハーティアだった。


「い、いつからそこにっ!?」


「あの、そうね、ミリアムさんの、『女の子の切ない溜息イコール食欲って、どうしてそんな発想になるんですか』あたりかしら……」


「めっちゃ前!!」


 本日二度目、二人の声がぴったりと重なった。


 前回と違うのは、聞かれて思いっ切り恥ずかしい話だというところか。


「……ごめんなさい……」


 ハーティアは指で頬を掻きながら、すまなそうに顔を伏せた。


 向き合う三人の顔が、火照ったように赤かったのは、焚火の炎に照らされたせいだけではなかった。


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