【第148話】覚えておきなさい!

「それで……少し話しがしたいのだけれど、いいかしら?」


 三人の間に漂う気まずい空気の中、ハーティアが意を決したように顔をあげ、その琥珀の瞳で真っ直ぐにシリューを見つめた。


「え? 俺?」


 シリューは少し驚いて、確認するように自分を指さす。


 戦闘が終わった後結構辛辣な態度と言葉を浴びせてきたこの猫耳娘が、何故わざわざ自分を名指しで話しをしたがるのか、シリューにはよく分からなかった。


「手間はとらせないわ、二人だけで話したいの、いいかしら」


 ハーティアはちらりと視線を逸らし、あちらで、と仕草に表す。彼女の言葉自体はけっして不遜というわけではではなかったが、相手に選択肢を与えるような態度でもなかった。


「ああ、ええと……」


「私に断わる必要ないですっ」


 伺うように目を向けたシリューに対して、ミリアムは素っ気ない態度でぷいっとそっぽを向いてしまう。


「別に……恋人でもないんですから、いちいち私の事気にしなくってもいいです……」


 焚火の前に座り込んで膝を抱えるミリアムは、シリューに顔を向ける事もせずにじっと炎を見つめ、頬を膨らませて拗ねたように呟く。


「あ、いや……ごめん、じゃあちょっと……」


 シリューは、これ以上ミリアムを刺激しないように気を付けながら、顎でハーティアを促しその場を離れる。


「はあぁぁぁ……」


 暗闇に消えてゆく二人を目で追い、ミリアムは大きなため息を零した。


「……ハーティアさんはお礼を、って言ってたのに……なんであんな態度とっちゃったんだろう」


 頭では分かっている。それなのに、抑えきる事のできない胸の奥のもやもやとした感情が、ミリアムの心を揺さぶり搔き乱す。


「私……嫌な娘だなぁ……」


 ミリアムは今の表情を誰にも見られたくなくて、そっと膝に顔を伏せた。






 そよ風が星空を映す水面をゆらゆらと揺らし、打ち寄せるさざ波が心地よい音を奏でる岸辺でハーティアは立ち止まり、後ろを歩くシリューを静かに振り返った。 

 焚火からあふれる明かりも届かないここなら、ミリアムや他の人に声が聞こえる事もない。


 他人に聞かれたくない話しとなると、シリューに思い当たるのは人造魔石の件だけだった。


“ 今回の輸送と護衛任務に俺が関わっている事を、この猫耳娘はたぶん知らない。なら、言葉は慎重に選んだ方がいいな ”


「で、話っていうのは?」


 シリューは、とりあえずありきたりな質問を投げかける。もちろん、人造魔石を巡る事件には一切触れるつもりはない。


「あなた、人間?」


 だが、ハーティアの第一声はシリューの予想の範疇に無かった。


「え、待って、なんでいきなりディスられた?」


「常識的に考えて、人間かどうか怪しいわ」


「常識的に考えて、非常識な発言だと思うぞ」


 ハーティアは一切シリューを無視して更に続ける。


「良識に当てはめても、同じ人間とは思えない、そうでしょう?」


「え? なんで俺に同意求めてんの? 何の良識に当てはめた? ってかこれいつまで続くの? 俺どうすればいいの? ボケるの? ツッコむの?」


 とは言うものの、シリューにもこの猫耳娘の気持ちは理解できる。


 シリューの発揮する力は、魔法が存在するこの世界においても、人の常識を大きく逸脱しているものだと自覚もしている。


 ただ今回の闘いは、能力を隠せるほどの余裕はなかったし、だからと言って人前で白の装備に換装していては顔を隠す意味がない。


「答えて」


「人間だよっ!」


 尚も追及してくるハーティアにシリューはきっぱりと答えるが、そのあたりはあまり自信がない。


「そう」


 ハーティアは冷めた表情を変えず、たった一言でこの話題を終わらせる。


「そこは随分あっさりだな……まあ、いいけど」


 シリューは溜息を零し、大げさな身振りで肩を竦めた。


 どうにも扱い辛いし表情が読めない。プライドが高そうなのは言葉の節々に現れているが、何を考えているのかいまいち分からない。


 とにかくシリューの苦手なタイプで、はっきり言って面倒臭い。仕事以外ではできるだけ関わりたくない。


「で、話しって? 俺が人間かどうかを確認したかった訳じゃないんだろ?」


 さっさと話しを終わらせたいという気分から、シリューの言葉も少しぶっきらぼうになる。


 だが、ハーティアはそれさえ気にする様子もなかった。


「ええ、そうね……」


 視線を落とし、眉根を寄せたハーティアの顔に僅かな感情の色が浮かぶのを、シリューは見逃さなかった。


「昼間の……戦闘の事、だけれど……」


 途切れ途切れの言葉を、ハーティアはまるで悔しさをかみ殺すかのように紡ぐ。

力が及ばず、格下と思っていた相手に命を救われた事は、ハーティアにとって受け入れがたい事実だった。


「深藍の執行者……さぞ間抜けに見えるでしょうね。貴方の実力も測れない無能な女が、大口を叩いた挙句、命惜しさに泣き叫んだのだから……」


 いいのよ笑って、と続けたハーティアの体は、溢れてくる何かをぐっとこらえるように小刻みに震えている。


「笑わないさ、命が惜しいのは当然だろ? 俺だって死ぬのは怖いし死にたくない。目の前で、誰かが死ぬのも見たくない」


「え……」


「俺は俺の勝手な都合でやったんだ、あんたが気にするような事じゃないし、感謝する必要もないさ」


 シリューの言葉が意外だったのか、大きく見開かれたハーティアの琥珀の瞳には、戸惑うような色が滲んだ。


「でも……私は……」


「俺に助けられたのが気に入らないとしてもさ、俺たちはただ馬車に乗り合わせただけの他人だろ。俺はあんたの名前も知らないし、知ろうとも思わない。一週間もすればあんたの顔も忘れるし、半年もすれば今回の事だって、ああ、そんな事もあったな、ぐらいで思い出しもしないさ。だから、あんたも忘れればいい、気になるのは今だけだよ」


 そう言ってシリューは涼し気に笑った。


“ ミリアムの時と同じ、か…… ”


 咄嗟に行動しただけ。いや、たとえ一言二言だったとしても、言葉を交わした相手が目の前で殺されるのを、黙って見過ごせなかっただけだ。


“ この娘も、随分努力したんだろうな ”


 この若さで、魔道学院の研究者でありCランクの冒険者。おそらく、それは努力だけでは到達できない。彼女もまた、ミリアムと同じく天才なのだろう。


“ もうちょっと、やり方を考えないとな…… ”


 シリューにそのつもりがなくても、シリューの発揮する力はこの世界の人々に大変な衝撃を与えるものだ。


“ 中学生の100mに、いきなりボルトが出てくるようなもんだよなぁ ”


 驚愕と賞賛、憧れと妬み。そして、余りにも大きな差による無力感と焦燥感。


 それは、シリューが散々味わってきた状況と何ら変わりはない。


 シリューの取った行動は、この娘の努力やキャリア、そしてプライドを傷つけてしまった。


 自分が間違っているとは思っていないし、守れる命は絶対に守る。だが、少しやり方が不味かったのかもしれない。


 シリューは踵を返し、ハーティアに背を向ける。


「そういう訳だから、これからは挨拶ぐらいにしとこう。お互い、関わらない方がいい。じゃ」


「あ、ちょっ……」


 ハーティアは、呼び止めようと伸ばした手を止める。


 本当はお礼を言うつもりだった。


 なのに、いざ本人を前にして口をついて出たのは、皮肉を込めた自虐の言葉だった。


 一人残されたハーティアは、シリューの後姿をねめつける。


 だが、何故そうしたのか自分でも分からなかった。


「嘘……分かっているはずよ……」


 そう、分からないふりをしていたのだ。これ以上自分が傷つかないために。認めたくないものを、誤魔化してしまうために。自分の弱い心を偽るために。


“ 私は……弱い…… ”


「待ちなさい!」


 ハーティアは、勇気を振り絞ってシリューを呼び止めた。


 ゆっくりとシリューが立ち止まり、そして振り向く。


「ハーティア、ハーティア・ノエミ・ポードレールよ、覚えておきなさい!」


 シリューは目を見開き、一瞬だけ驚いたような表情を浮かべた。


「シリュー・アスカだ」


「シリュー・アスカっ。ポードレールの女は、受けた恩は必ず返すわ! だから、忘れるなんて承知しないわよ!!」


 ハーティアは左手を腰に当て、右手をびしっと伸ばしシリューを指さした。


「なんで、怒られてるのか、よくわからんけど……」


 それもおそらくハーティアのプライドなのだろう、とシリューは考える事にした。


「分かったよ、ええと……」


「ハーティア!! 今名乗ったでしょう!?」


「ああ、いや、名前で呼ぶのか、家名で呼ぶのか迷ったんだ」


 本当は聞いていなかった。その上シリューは、人の名前を覚えるのが苦手だった。


「じゃあ、おやすみ……ハーティア」


 おやすみ、から名前まで、微妙な間があったがハーティアは気にしなかった。


「ええ、おやすみなさい、シリュー・アスカ」


 そしてこちらは、何故かフルネーム呼びだった。


「受けた恩は必ず返す、か……どっかで聞いたな……?」


 シリューの呟きは誰にも聞こえる事なく、夜の闇に飲み込まれていった。


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