【第146話】いつから!?
「ちょっと、じっとしててください」
「え?」
掴んでいたシリューの肩を離し、ミリアムはすっと腰を落とす。
「血の跡が酷いです、キレイにすっきりしないと……ほら、こんなに溜まってますよ?」
シリューのベルトの位置、シャツの弛んだ部分に指を添え、ミリアムが上目使いに囁いた。
白いシャツは真っ赤に染まり、皺に溜まった血がぽたぽたと零れ落ちていく。
「いや、着替えるからいいよ。それに、自分でできるし」
「動かないで、私が……してあげます……」
「え? ち、ちょっと、ミリアム!?」
「ご主人様? 顔が赤いの、です」
「うわっ、ヒスイっいたの!?」
空中からきらきらと姿を現したヒスイが、シリューの目の前で首を傾げる。
「じっとして、すぐ気持ちよくなりますから」
「え、え?」
ミリアムに他意はない。
「これだけ血がべっとりしてたら、気持ち悪いでしょう?」
「うん、ミリアム、言い方な」
ミリアムは両手をかざし、『洗浄』の魔法で血の跡を綺麗に洗い落してゆく。
その繊細で優雅な指の動きに、シリューは若干いけない妄想をしてしまう。
「ご主人様?」
ヒスイの純粋な眼差しが痛い、シリューだった。
やがて、血の汚れをすっかりきれいにし終えたミリアムは、シリューのシャツを両手でちょんと摘んで寄り添い、俯いたまま少し震える声で囁く。
「シリューさんは……もっと、自分を労わるべきです……」
「うん……そうだな、お前の言いたい事は、わかるよ……でも」
シリューは俯くミリアムの顎に手を添え、くいっと上を向かせた。
「うにゅ、し、シリューさんっ」
息がかかるぐらいに迫るシリューの顔に、ミリアムはぴくんっと肩を震わせて瞼を閉じる。
「その言葉、そっくりそのまま返すよ」
「ふぇ?」
「お前は、他人の命を優先しすぎだ」
「え……?」
ミリアムは目をあけてシリューの瞳を覗き込む。
「俺も、これからはなるべく気を付けるから、お前もっ、もっと自分を大事にしろ」
「は、はいっ……って、あれ?」
いつの間にか、説教する側がされる側に入れ替わっていた。
「あ、えっとぉ、やぶへび?」
「まあ、そんなとこ」
つまり、お互い似た者同士という訳だ。
「ぷっ」
「くくっ」
「あはは、なんか、私たち馬鹿みたい」
「はは、うん、お前だけな、ははは」
「みゅっ、ちがうもんっ」
シリューとミリアムは、激しい戦闘の後だという事もわすれたように、顔を見合わせて笑った。
「ああ、お二人の世界を創られているとこ、お邪魔だとは承知しているんだけど……」
「へ?」
やたら馬鹿丁寧な言葉に二人が振り向くと、エクストルがきまりが悪そうに、頭を掻きながら立っていた。
「い、いつからそこにっ!?」
「あ、ええと、神官さんの『どうしていつもそうなんですか!』あたりから……」
「めっちゃ前!!」
二人の声がぴったりと重なる。
聞かれて恥ずかしい内容ではなかったと思う。
゛ううぅ、でもやっぱり恥ずかしいよぉ″
ミリアムは、自分でもわかるほど熱くなった頬に両手を添え、あたふたとシリューから一歩離れる。
「いや、すまない、なかなか声をかけづらくて……」
「あ、いえ、大丈夫、です」
何に対して大丈夫なのか、答えたシリュー自身にも分からなかった。
「それで……ちょっと話をしてもいいかな?」
「はい、なんですか?」
エクストルはやにわに姿勢を正すと、真剣な顔つきで深々とお辞儀をした。
「まずは礼を言わせてほしい。ありがとう、おかげで助かったよ」
「えっと、はい。でも、俺が勝手にやった事ですから……」
シリューが気にしているのは、冒険者ギルドの定めた禁止事項についてだが、結果的に他のクランのクエストに介入した事になる。
「いや、君の判断は正しい。実際に俺たちは全滅寸前だったしな。君のおかげで、誰も死なずに済んだ。ありがとう」
“悔しくない、と言えば、嘘になるけどな”と、エクストルは続けた。
「君に、相談があるんだが……」
「相談?」
「ああ、その前に改めて。俺はクラン『疾風の烈剣』のリーダー、エクストルだ、よろしく」
エクストルが、笑顔で右手を差し出す。
「シリュー・アスカです。一応クラン『銀の羽』のリーダーです」
シリューはエクストルの手を取り握手を交わす。
「それから、勇神官のミリアム、はもう知ってますよね。で、こっちがピクシーのヒスイです」
ヒスイがちょこんと頭を下げる。
「やっぱり、ピクシーだったのか……いや、気になってはいたんだ……」
エクストルは、目を丸くしてヒスイを見つめた。
少し前なら、怯えてシリューの陰に隠れていたヒスイだが、今ではすっかり人間にも慣れて、余裕の笑みを浮かべている。
「それで、相談っていうのは?」
「ああ、そうだったな、すまない。実は、このまま進んで中継点のマナッサまで行くか、1時間ほど進んだ水場で野営するか、ちょっと迷ってる」
シリューは無言で先を促す。
「これからマナッサまでだと着くのは夜中だ、人も馬も疲労してる」
「じゃあ、途中で野営すれば? マナッサでは2泊の予定だから、問題ないでしょう?」
「そうなんだけど、それだと困った事が……」
エクストルは大きく息をついて、視線を落とした。
「……なんです?」
シリューが尋ねると、エクストルは芝居じみた仕草で、肩を竦め手のひらを見せる。
「魔法使いの二人と治癒術士は魔力切れ、剣士一人は動けず、他も術技を使い過ぎて覇力を練れない」
「つまり……」
「戦力にならない」
エクストルは素直に認めた。
「でも、それってマナッサに向かっても、同じですよね?」
「……厳しいな……まあ、その通りなんだけど……」
“なるほどね、それで相談か‟
「じゃあ、野営していきましょう」
無理に夜中まで走るより、途中でゆっくり休んだほうがいい。
「あ、まあ、そうしたいん……」
「幾ら貰えます?」
シリューは、エクストルの言葉を待たず切りだした。
「え?」
「幾ら払ってくれます? まさかタダって訳じゃないですよね?」
「あ、ああもちろん! 手伝ってくれれば、報酬の半額を君のクランに支払う」
「半分って、多すぎでしょっ。なんでそんな事になるんです!?」
今回の報酬がいったい幾らなのか、シリューには分からないが、Bランクのゴールドクランが付きっきりで護衛するのだ、安くはないだろう。
「反省を込めて、ってとこかな。今回のクエスト、俺たちにとっては失敗だ。たまたま君がいたから、なんとか体裁は保ったけど。驕りがあった訳じゃないが、いろいろと、まあ、な?」
あとは察してくれ、と、エクストルの目が訴えていた。
「俺は、雇ってくれるなら、それでいいですよ」
「じゃあ決まりだな。随分と都合のいい話だけど、この借りはいつかきっと返すよ」
「いえ、お金を貰う以上は仕事ですから」
シリューは涼し気な笑みを浮かべて頷いた。
「あとは、倒した魔物の配分だけど……こっちのオルデラオクトナリアは当然君の物、あっちのは神官さんに手伝ってもらったから、人数割でいいか?」
エクストルは両方の災害級を順に指さした。シリューが目を向けると、烈剣が倒した個体は既に解体を始めている。
「いえ、これ一体で十分です。あっちのはいりません」
「だけど、それじゃあ……そうか、いや、悪いな」
その他の魔物は、それぞれが倒した分をそのまま分ける事になった。
「君はどうやって運ぶ? 俺たちは全員マジックボックス持ちだし、収納用の魔道具もいくつか持ってるから、解体すれば君の分も運べるけど……もちろんこれは俺たちの誠意だ、無料で運ばせてもらうけど?」
「いえ、大丈夫です……」
そう言って、シリューは自分の倒したオルデラオクトナリアに手を添え、ガイアストレージに収納した。
「俺もマジックボックスがありますから」
「は? え?」
状況が飲み込めず、ぽかんと口を開けて固まるエクストルに、シリューは笑顔で答えた。
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