【第135話】ミリアムさん……こわいです
「君は……」
白いブラウスに紺のジャケットとスカート、襟元の赤いリボン。間違いなく昨日の少女だ。
「昨日の印象では、挨拶が出来ない人には見えなかったのだけれど?」
少女は昨日と同じ、全く感情の読み取れない瞳でまっすぐに見つめてくる。
「あ、ああ、そうだね、ごめん。おはよう」
ワイアットからは、同じ馬車に乗る女性、としか聞いていなかった。いや、魔法学院の研究者とは聞いていたが、まさかこんなに若いとは思っていなかったせいで、呆気にとられてしまった。同い年か、もしくは一つ二つ下に見える。
シリューはちらっと振り返り、エクストルと挨拶を交わすミリアムを見る。
この猫耳の少女も、ミリアムと同じく天才なのだろう。タイプはまったく異なるが。
「貴方も冒険者でしょう? 念のためにランクを聞いてもいいかしら?」
「え?」
名前よりも先にランクを尋ねてくる事に、シリューは違和感を覚えたが、それが行きずりの冒険者の流儀なのか、彼女の流儀なのかは計り兼ねた。
「ただ偶然同じ馬車に乗合せただけ、お互い名前に興味を持つ必要はないわ。いざという時のために、戦力を把握しておきたいの。そうでしょう?」
シリューの表情を見て察したのだろう、少女は無機質にそう答えた。そしておそらく彼女の言い分は正しい。
「私はCランクの魔法使い、貴方は?」
ワイアットの情報通り、シリューより2ランクも上。だが驚いたのは、少女が魔法使いと言った事だ。
普通、獣人族は高い身体能力と覇力を使いこなすが、魔力値が低く魔力量も少ないため魔法使いとしての素養は無いとされる。
ただし、彼女はその事について話をする気は無いようだ。
「俺は、Eだよ。得意なのは魔法、かな……って言っても初級程度だけど。ま、戦力としては期待しないで」
「……そうね、そうするわ。手間を取らせてごめんなさい」
少女は卑下するでもなく、ただ無機質な表情のままそう謝罪すると、後はもうおもちゃに飽きた猫のように、ぷいと顔を背け反対の窓を眺めた。
どうにも扱いづらい、出来れば関わりたくないタイプだ。シリューには昨日の事で気まずさもあったが、少女はまったく気に掛ける様子はなく、あえてシリューたちに関わる気もないようだ。
シリューは肩を竦め、後部の座席に座った。
馬車は6人乗りだが、今回の乗客はシリューたちを含めて5人。3人掛けの後部座席にはシリューとミリアムの2人だけだ。どうやらワイアットが奮発してくれたらしい。
「ふぅん、残念そうですね?」
シリューのすぐ後から乗って来たミリアムは、いつもより随分と低い声で呟き、シリューを見下ろす。
「な、ちょっ、お前、なんか勘違いしてるぞっ」
シリューはミリアムを見上げる。ジトっとした半開きの目が怖い。
「勘違い? そうなんですか? そうですか……ふぅん……」
言葉とは裏腹に、ミリアムの表情にはまったく納得の色は浮かんでいなかった。それどころか彼女の身体からは、真っ黒いオーラが立ち昇っているように見えて、シリューは思わず身震いした。
「お前っ、まだ怒ってんのか……」
さっきまではいつも通りに笑っていたはずなのに、あの少女とシリューのやり取りを目にしたとたんこれだ。それに、今の会話に色気のある要素など、どこにも無かったはずだ。
「別に、怒ってませんよ? 何でそう思うんです? ほら、これが怒ってる顔に見えますか」
そう言って目を細め、口を薄く開いたミリアムの笑顔は、獲物を前に鎌首をもたげた毒蛇のように冷ややかだった。
ミリアムは静かに、おろおろと押し黙るシリューの隣へぴったりと躰を押し付けて座る。
「お、お前っ、あっちの窓際行けばいいだろ? せっかく空いてるんだから」
「ダメです。何かあったら大変ですから。それとも、私にくっつかれたら、何か都合が悪いんですかっ?」
横目で睨むミリアムだが、その言葉には少しだが熱がこもっているように聞こえた。
「い、いや、別に、そんなわけでは……」
何かあったら、の何かって何? とはシリューは聞けなかった。
「シリューさんは……」
「うん?」
ほんのりと染まった頬を隠すように俯いたミリアムが、掠れる声でそっと呟いた。
「……もっと、喜ぶべきですっ」
騎乗の護衛2人に先導され、ゆっくりと馬車が進み始める。
先頭を行くこの駅馬車の後に6台の荷馬車が続き、シリューたちの物と同型の駅馬車がその後ろを進む。
最後尾に今回護衛のクラン、『疾風の烈剣』が所有する幌馬車がつき、全部で9台の馬車によるキャラバンを構成している。
護衛の『疾風の烈剣』は、騎乗の6名が先頭、中央両脇、後方にそれぞれ2名ずつ、加えて駅馬車2台のアウトサイド後部に各1名を配置し、残り2人は幌馬車の御者と唯一の治癒術士である。
『疾風の烈剣』フルメンバーが護衛に就くという事もあり、商人たちは先を争うように今回のキャラバンに殺到し、当初予定されていた倍の規模に膨れ上がってしまった。
「いやあ、今回は本当に運がいい」
「まったく、ゴールドクランが護衛で、しかもこの料金とは。お互い、抽選が当って良かったですな」
商人たちの間ではそんな会話が囁かれたが、冷静に考えてみればそれが過剰なほどの戦力だと気付いたはずだ。
本当の理由を知ったら彼らはどうするだろう。シリューはふとそう思った。
守られているのが自分たちではなく、1人の少女だと知ったら。そして自分たちが、文字通り隠れ蓑として利用されているに過ぎないと知ったら。
「ま、破格の料金でゴールドクランの護衛を受けられるんだ、小さい事には目をつぶるか、な?」
シリューは窓の外に並ぶ、出発待ちの荷馬車の列を眺め小さな声で呟いた。
キャラバンはレグノスの南門を出て街道を右へ。シリューの座った左側の窓からは、陽光に照らされて輝く広大なエラールの森が見える。
シリューは空を眺め、これからの旅に思いを馳せた。
「王都の先は何処へ行こう……ああ、そうだ、コーヒーベルト探さないとな……」
紅茶には慣れてきたが、やはり珈琲を手に入れたい。
「……なあ、ミリアム……」
「……くぅ……」
「おい……」
「……すぅ……すぅ……」
「おまっ」
爆睡していた。
「子供かっっ」
シリューは周りに聞こえないようにツッコんだ。
「動き始めたとたん爆睡って、三半規管幼児なみだろっ」
さっきまでの怒りはなんだったのか。
死に絶えた空間認識能力に加えて、三半規管まで未発達。
シリューは自分の右肩に頭を預けて、心地よさそうに寝息を立てるミリアムを眺め、憐れみに満ちた表情を浮かべる。
「こいつ……ホントに大丈夫なのかな……」
だんだんと、本気で心配になってくる。
一つ年上のはずなのに、普段はまったくそう見えない。それでもたまに、お姉さん風を吹かせてみたり、妙に艶っぽい蠱惑的な表情を見せたりする。遠慮がちに控えると思えば、ぐいぐいと押してくる時も。
そして、さっきのように訳の分からない怒りかたをする事もあったり、時には全てを包み込むような優しさを感じる事もある。
「女の子って、そんなものなのかな……」
ミリアムだけではない。パティにしろクリスティーナにしろ、少なからずそんなところがあったように思う。
「……そういえば……」
くるくると表情を変えていたのは、美亜も同じだった。
「るいとも……か」
誰しも、自分と感性の近い者に魅かれるのかもしれない。
「……どうしよう……」
イライラの解消には睡眠が最も効果的だと、何かで聞いた事がある。
「うん、寝かせとこう。起きたら忘れてるかもしれないしな」
猫耳の少女は我関せずといった様子で、窓の外を眺めていた。
低木の茂る丘陵地帯の街道は、複雑に入り組んだ谷あいを抜け、時に小高い丘を昇りそして下る。見た目よりも大きな高低差と深い轍の刻まれた、かろうじて街道と呼べるそれは、人だけでなく馬車を引く馬にとってもけっして楽な道ではなく、せいぜい人の速足程度の、馬車としては非常にゆっくりとした速度で進まざるを得ない、アルフォロメイでも有数の難所となっていた。
馬と人を休ませる昼の休憩のため、キャラバンは多少の広さがある路肩に馬車を停めた。
馬車を降りたシリューは、強張った身体をほぐすように両手を広げ、大きく伸びをした。
快適なように見えた駅馬車だったが、乗り心地は思ったほど良くはなかった。
「やっぱり……スルーブレイスか」
馬車の下を覗き込み、車台を支える幾重にも重ねられた皮製のストラップを見つけた。授業で習った事はあったが、実際に目にするのは初めてだ。シリューは改めて、ショックアブソーバーを思いついた人は偉大だ、と実感した。
「最高の乗り心地でしたねぇ。私、こんないい馬車に乗ったの初めてですぅ」
殆ど寝てばかりだったミリアムは、ニコニコと上機嫌だ。
「あ、そ、そうだな……」
ミリアムの言葉がこの世界の常識なのだろう。
下手な事を口にしなくて良かった、と思うと同時に、あまりにも狙い通り機嫌を直したミリアムの将来に、シリューは一抹の不安を覚えたのだった。
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