【第134話】旅立ちの朝
果てしなく続く真っ白な世界。いや、実際には上も下も前後も左右も、全く境目がなく、どれほどの広さなのか見当さえつかなかった。
なぜ自分1人がこんな所に飛ばされたのか。
ここには見覚えがある。
召喚されたあの日、ほんの一瞬通り過ぎた白一色の世界。そして頭の中に聞こえてきた、意志を確認する声。
そして選んだ。
この世界に勇者として赴く事を。
「なんで俺だけここに……?」
エルレインからアルフォロメイまで、6人で転移した筈だった。
「おや、迷ったのかい? 勇者直斗」
不意に背後から聞こえた声に、直斗は剣の柄に手をかけ振り返る。
「警戒しなくてもいいよ、僕は君を傷つけるつもりは無いからね」
そこには、周りの白と同化してしまいそうな白いフードを、頭からすっぽりと被った少年が立っていた。直斗に見覚えは無かったが、声はあの召喚の時に聞いた声と同じだ。
「そう、あの時は声だけだったね」
「ここは、一体……?」
「ここは『終わりなき連なる流れ』、表は裏になり、裏は表になる。右は左へ左は右へ、上は下へ下は上へ。永遠に連続する宇宙の狭間、そして宇宙の中心」
「……メビウスの輪……」
「なるほど、君たちの言葉ではそれが一番近いかな」
顔はフードに隠れて見えないが、直斗にはその少年が笑ったように感じた。
「君たちは2人とも非常に興味深い存在だね」
「2人?」
少年が誰の事を言っているのか、直斗には分からなかった。
「ゆっくりお茶でも……と言いたいところだけど、君も仲間を待たせているだろう? もうお帰り。お喋りはまた次の機会に」
少年が右手を挙げると、白い世界は霧が晴れてゆくように薄く透明になり、少年の存在も徐々に希薄になってゆく。
「待ってくれ、君は一体誰だっ、神なのか!?」
「僕は神じゃない、ただ、僕を神と崇める世界もある」
そして完全にその存在が消えた後、気付くと直斗は恵梨香の隣に立ち、彼女の手をしっかりと握っていた。
「ようこそアルフォロメイへ」
アルフォロメイ王宮の転移の間で、出迎えの使者が深々と首を垂れた。
出発の朝。
『果てなき蒼空亭』での最後の朝食を終えたシリューは、もうすっかり日課となった、カノンの淹れてくれた紅茶を楽しみながら、心地よいこの時間を手放す事に、少しだけ名残惜しさを感じていた。
空になったティーカップを置き、なんとなく後ろ髪を引かれる思いを分かつように、ゆっくりゆっくりと深呼吸をする。
一回、二回。
息を吐くたびに、そして吸い込むたびに、心の中にある気持ちが入れ替わってゆく。
新しい旅への期待。
「さて……そろそろ行くか……」
昨夜のうちに宿代も精算を済ませ、荷物も全てガイアストレージにしまってあり、出発の準備はすっかり整っている。
椅子を後ろへ引き、テーブルに手をついて立ち上がったシリューに、カノンがぱたぱたと駆け寄る。
「シリューさんっ、あのっ、これ……」
すっと差し出されたカノンの手には、花模様の小さな布袋がのせられていた。
「これは……?」
シリューはその小袋を手に取り、カノンに尋ねた。
「お守り、です……シリューさんの旅の安全を祈って……」
神殿でお守りを買って、小袋はカノンが自分で縫ったのだろう、縫い目に少し乱れがある。
形の出来、不出来はこの際どうでもいい。俯きかげんにほんのりと頬を染めるカノンの、その気持ちがシリューには素直に嬉しかった。
「ありがとう、大切に持っておくよ」
「はいっ♪ あの、いろいろと、ありがとうございました!」
カノンはどことなく体育会系のノリで、勢いよく頭を下げた。
「シリューさん、本当にありがとうございました」
カウンターから出てきたロランが、エプロンを外し穏やかな笑みを浮かべて深くお辞儀をする。
「いえ、俺のほうこそお世話になりました」
「シリューさんがいなくなると、この街も寂しくなりますね」
良くも悪くも、『深藍の執行者』はかなりの有名人だ。
「……それじゃあ、もう行きますね」
「はい、あの、シリューさん……」
呼び止めたロランの笑顔には、労わるような優しさが滲んでいた。
それは、以前養護施設で見た、子供を迎えに来る母親の笑顔……。
「いってらっしゃい」
ロランの言葉に、シリューは胸に熱いモノがこみ上げるのを感じた。
じっくりと言葉をかみしめるように目を閉じ、そして目を開き顔を上げる。
「はい。行ってきます」
たった一言、力強く答え、宿を後にする。
カウンターの奥で、宿の主人がひょいと手を挙げた。
ロランとカノンは、シリューが角を曲がって見えなくなるまで、宿の入口の前で手を振っていた。
それからシリューは、ミリアムと合流するため神殿に向かった。
いつもはシリューよりも遅く来る(シリューが早めに行くだけで、ミリアムが遅刻という訳ではないが)ミリアムが、今日は中庭のベンチに腰かけて待っていた。
「あ、シリューさんっ」
近づいてくるシリューに気付いたミリアムは、弾むようにベンチから立ち上がる。合わせて弾むメロンが、今日は少々大人しい。
半袖から伸びた腕と、スカートの裾から覗く脚に、白く輝く防具が装着されている。当然法衣の下にもビスチェを着用しているのだろう。
「悪い、待ったか?」
「いえっ、今きたところですっ」
ミリアムはベンチに立てかけていた戦鎚を手に取り、スリングベルトをひょいと肩に斜め掛けした。見たところ荷物がそれだけという事は、他はマジックボックスの中のようだ。
「これ、私のマジックボックスに入らないんです。長さに制限があって……」
ミリアムが肩を竦める。
「まあ、武器を見せとくのも相手への抑止力にはなるから。それに、街の外ならすぐに使える状態で携行したほうがいいと思う」
と言うシリューは帯剣していない。
ミリアムが訳を尋ねると、なるべく目立たないようにするため、とだけ答えた。
「ワイアットさんに頼まれた件と関係があるんですか?」
「ああ……」
ミリアムも当然、手紙を届けるだけの依頼だとは思っていない。
「そうだな、もう同じクランなんだし、お前にもいろいろ協力してもらわないといけないし……」
南門へ歩く道すがら、シリューは受けた依頼の内容を手短に説明した。
「おお、あんたたちかい?冒険者ギルドから話は聞いてるよ。王都までだったな、料金は貰ってるから、あっちの馬車の後ろの席に乗ってくれ」
南門前の乗り場で、シリューが声を掛けた案内の男が指差したのは、四頭立ての駅馬車だった。シンプルな四角い4輪の車体。アウトサイドの前方に御者席、後方には向かい合った2つの座席が取り付けられ、護衛が乗り込んでいる。
車体側面の中央に出入り口のドアがあり、インサイドの座席は全部で6つ。すべて進行方向に向けられ、前方から2席、ドアの前に1席、3列目最後方に3席の配列になる。
装飾等はないが、座席は革製の物で綿が詰められ、長旅に耐えられる程度の快適性は確保してある。
シリューはほっと胸をなで下ろす。
「ちゃんとした駅馬車でしたね」
ミリアムも同じ事を考えていたらしい。
人を運ぶ駅馬車は本数も少なく料金もかなり高額のため、この世界の移動手段と言えば、徒歩か荷馬車への便乗が殆どを占める。
もちろん、冒険者はいざという時の護衛として、そこそこ優遇はされる。
「おおっ、神官さんが一緒だとは、今回はついてるなあ」
ハスキーだがよく通る声が聞こえ、2人が振り向くと、軽鎧に身を固めた長身の男が立っていた。
「ああ、いきなり失礼しました神官さん。俺はこのキャラバンの護衛を務めるゴールドクラン『疾風の烈剣』のリーダー、エクストルです」
『疾風の烈剣』は全員で10名を要し、王都でも極めて優秀なクランとして知られている。
「
旅の行程で、治癒魔法の使える神官は冒険者以上に重宝される。戦闘もこなせる
ほぼほぼシリューは無視される形になったが、今回はその方が都合が良かった。なのでシリューも僅かに頭を下げただけで、相手の顔を見る事もしなかった。
「おはよう、貴方も一緒だったのね」
ドアを開けた正面の座席に、先日ギルドでぶつかった猫耳プラチナブロンドの少女が座っていた。
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