【第100話】予兆

 シリューとミリアムが、音の聞こえた方に振り向くと、通りの向こうからかなりの速度で走ってくる、2頭立ての荷馬車が目に入った。


「だ、誰かっ、止めてくれえっー!!」


 その馬車の後ろから、よろよろとした足取りで1人の男が追いかけている。


「なあ、あの馬車……」


「御者が見当たりませんね」


 おそらくぶつかった拍子に振り落されたのだろう、馬車は側面が破損していた。


 馬車を引く馬は2頭ともひどく興奮した様子で、全く止まる気配がない。


「きゃあああ! 助けてぇ!!」


 荷台では、小さな子供を抱えた若い女性が、振り落とされまいと必死にしがみついている。


 放っておくには余りに危険な状況だった。


「行きますっ!!」


 ミリアムは躊躇せずに飛び出し馬車の進行方向に向けて駆け、まるで曲芸のように、追いついてきた馬の背にひらりと飛び乗った。


「おいおい」


 その鮮やかなミリアムの動きに、シリューは一瞬我を忘れ見惚れてしまう。


「って、何する気だよ!?」


 だが、すぐに気を取り直し走り去る馬車を追った。ミリアムが何をする気でも、出来るなら怪我はさせたくない。


 シリューは一気に加速する。


「ミリアムっ!」


 横に並んだシリューをちらりと見やり、ミリアムはすぐに視線を戻す。


「何とか馬を止めますからっ、シリューさんは後ろの女性と子供をっっ!」


 鞍の無い馬の背で、ミリアムは巧みにバランスをとりながら手綱を操る。


「任せろっ!!」


 シリューは激しく揺れる荷台に飛び乗り、子供を抱いた女性の傍に膝をつく。


「安心してっ、今助けます! 子供を離さないで」


 女性は怯えた目をシリューに向け、何度も何度も頷く。


「じゃあ、行きますよ、ちょっと我慢して」


 その女性を子供ごと横抱きにかかえ、シリューは翔駆で馬車から飛び出した。


「ひゃっ」


 女性は小さく悲鳴を上げ、直後にくる衝撃を予想して、我が子を抱く腕に力を込める。


「大丈夫!」


 シリューは翔駆の足場を使い慣性を逸らし、ゆっくりと階段を降りるように、静かに着地した。


「ね?」


 女性を降ろし、シリューは涼しげな笑みを向ける。


「あ、ありがとうございますっ」


 深々と頭を下げる女性を残し、シリューは走り去る馬車をもう一度追いかけた。


「大丈夫か!!」


 必死に手綱を握るミリアムに並び、声を掛ける。


「この子たちっ、酷く興奮してて、全然制御出来ませんっ」


 シリューは馬車の右側に回り、もう一頭の手綱を掴む。


 そのまま無理やり馬を止めようと試みるが、石畳では足の踏ん張りが利かず、ただ引きずられるだけだった。


「くっそっ」


 このままでは、大きな被害が出るかもしれない。最悪ミリアムを助けた後、馬を殺すという方法もあるが、出来るならそんな事はしたくない。


 よく見ると暴走する2頭の馬は、何かに酷く怯えているように見える。


「これって……」


 以前、これと同じような状況があった。


 ポリポッドマンティスを倒した後、災害級の魔物の瘴気にあてられ、怯えて暴れていた馬たち。あの時は……。


「ミリアムっ、馬を大人しくさせるから、そなえてくれ!」


 シリューは再度翔駆で馬たちの左、ミリアムの隣に並ぶ。


「え? ど、どうやってっ……」


 シリューはそれには答えず、馬たちに手をかざした。一度も使った事がなかったのでぶっつけ本番になるが、頭の中でイメージを浮かべる。


 LEDヘッドランプの光……。


「セイクリッド・リュミエール!」


 眩い銀の光が暴走する2頭の馬たちを包む。


「えっ!?」


 ミリアムは驚愕した。


 それは、資料でしか見た事ない、この世界で唯一人、勇者のみが使う事を許された伝説の魔法。


「シリュー、さん……?」


 小さい頃から乗馬に慣れ親しみ、馬の扱いに自信のあったミリアムでも、全く制御出来ないほど怯えて興奮していた馬たちが、その光に包まれたとたんに落着きを取り戻し、嘘のように大人しくなった。


 ミリアムは手綱を引き馬を止める。


「ふう、何とかうまくいったな」


「は……はい、シリューさん、あのっ……」


 最後まで言えずに、ミリアムは口ごもる。本当の事を知りたい、だが今は聞くべきではないと思えたのだ。


 ミリアムの乗る馬の隣に降りて、手を差し伸べようとしたシリューは慌てて目を背ける。


「お前っ……」


 ミリアムの神官服は黒のワンピースタイプ、スカートは踝の上くらいの長さがあり、全体的にチャイナドレスのようなシルエットで、両脇には腰上までの深いスリットが入っている。


 スカートと同じ長さの、2枚の白い飾り布がそのスリットを覆うようにしつらえられ、普通に歩いたり動いたりしても、膝下までしか見えないように出来ていた。


 ただ、あきらかに乗馬には向いていない。


「ひゃうっ」


 ミリアムはスカートの裾を直す前に、急いで馬から飛び降りる。勿論シリューから見えないように。


「み、見えました……?」


 背中合わせに、ミリアムはちらりと横目でシリューの顔を覗いた。


「見てない、ってか見えてないからっ……ギリギリでっ」


 それは本当の事だった。いいか悪いかは別として。


 何とも気まずい雰囲気の2人を救ったのは、先程助けた女性と、脚を引きずりながら馬車を追い掛けていた青年だった。


「本当に、ありがとうございました。おかげで、妻も子供も怪我をせずに済みました」


「何とお礼を言っていいか」


 その夫婦の話では、中央広場を過ぎた辺りで、それまで大人しかった馬たちが、まるで何かにとり憑かれたかのように暴れ出し、全く言う事を聞かなくなったらしい。猛スピードで角を曲がった拍子に建物の壁にぶつかり、御者をしていた青年は振り落とされた。さっきから左腕を押さえているところをみると、落ちた時に痛めたのだろう。


「よくあるんですか? こんなに暴れたりする事が……気性が荒いようには見えませんけど」


 馬に詳しいミリアムが、少し険しい表情で青年に尋ねた。


「いえそれが……こんな事は初めてで……俺にもよく分からないんです」


 すまなそうに頭を下げる青年に、シリューは笑って手を振る。


「別に、責めてるわけじゃないですよ。とにかく、大事にならなくて良かった。それに馬たちも落ち着いたみたいだし、もう大丈夫じゃないかな?」


 シリューが顔を向けると、ミリアムも表情を緩めて頷いた。


 人造魔人の瘴気がまだ残っていたのか、とも思いシリューは首を捻る。だがそうだとすれば、何故この馬たちだけが影響を受けたのかという疑問が残る。あの戦闘の後、かなりの数の馬車が行き来していたのだ。


「暴走した馬車の持ち主は君たちか!」


 騒ぎの報告を受けて、官憲隊の隊士が駆け寄って来た。


「はい、持ち主は俺です」


 肩を押さえたままお辞儀をする青年に頷き返し、隊士はその場の全員に目をやり、ミリアムがいるのに気付いた。


「あ、これは神官殿、ご苦労様です……あの、もしかしてこの馬車……?」


 隊士は困った表情を浮かべて、壊れた馬車をゆっくりと指差す。


「ち、違いますっっ。私じゃありませぇんっ」


 ミリアムはぶんぶんと凄い勢いで首を振った。


「……お前……真っ先に疑われるのか……」


 シリューは憐みの籠った目でミリアムを見つめる。


「……ああ、やめてシリューさんっ、そんな可哀そうな小動物を見るような目で見ないでくださいぃ……」


「ん? シリュー……?」


 ミリアムの呟いた名前に、隊士がシリューの顔を二度見した。


「おおっ、あなたは! 『深藍の執行者』殿!!」


「って、何で二つ名!? 普通に名前知ってるよねっ?」


 隊士の大声に、騒ぎを聞きつけ集まっていた人々からざわめきの声が上がる。


「え? 『深藍の執行者』? ねえねえ、じゃあ隣のピンクの髪の神官さんって……」


「そうよ、ほらっきっと噂の……」


 色めきだった女性たちの声。


「素敵……」


 何に対しての言葉だろう。


「私も神官になればよかったぁ」


 もはや意味が分からない。


「あの……」


 シリューは場の雰囲気に耐えられず、大声を上げた隊士をねめつける。


「ああ、こ、これは失礼しましたっ。つ、つい」


 隊士は誤魔化すように夫婦に向き直り、ピシッと背筋を伸ばす。


「では、詳しい事情を説明してもらおうか。詰所まで来なさい」


 隊士が振り返り一礼したのに続き、夫婦は2人揃って深々と頭をさげ、もう一度お礼を言って、馬車には乗らず馬を引いて行った。


「なあ、治療しなくて良かったのか?」


 足を引きずる青年を見て、シリューはミリアムに尋ねた。


 出血こそ無いが、あの様子だと肩か足の骨にひびでも入っていそうだ。


「すみません、冷たいかもしれませんが、災害や戦闘時以外無料で治療はしないんです。その……治癒術師の生活とか、神殿の運営とか、色々あって……」


 ミリアムは叱られた子供のように顔を伏せたが、それは別に彼女のせいではない。考えてみれば、元の世界でも医療はただではないのだ。


「いや、分かるよ。それが普通だ、謝る事じゃないって」


 ミリアムはシリューの言葉に恐る恐る顔を上げ、その笑顔を見てほっと胸を撫でおろした。


「お前もたいがい無茶するよなぁ」


「え?」


 遠ざかる馬車と夫婦を眺め、シリューがぽつりと呟く。


「危なっかしいんだから、あんまり無茶するなよ。魔法で治るとはいえ、女の子なんだから顔に傷でも付いたら大変だぞ」


 シリューはぽんぽんっと、ミリアムの頭を撫でた。


「……は、はい……」


 ミリアムは赤く染まった頬に両手を添え、潤んだ瞳でシリューを上目遣いに見つめた。


「あのっ……もしかして、心配してくれました?」


「さあ、な」


 ミリアムのおでこを指でちょんとつつき、シリューは涼し気に笑った。


「えへへ……」


 今までとは明かに違うシリューの態度に、ミリアムは飛び上がりたくなるのを必死に我慢した。


「治癒魔法、か……」


 おでこを撫でるミリアムを見て、シリューは声に出さずに呟く。


 街の喧騒に消えてゆく馬車の、一頭の馬の鬣から、黒い小さな欠片が石畳の路面に落ちたのを、誰も気づく者はいなかった。





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