【第101話】……に見える?
その猫が死んだのは2日ほど前だった。
レグノスの街の地下を縦横に走る下水道は、地上の道路脇の側溝から雨水と生活排水を導くとともに、川の上流から本道へ水を引き、循環させてその下流へと流す仕組みになっていた。
飼主が野盗団の襲撃で亡くなり餌を貰えなくなった猫は、食べる物を求めて街を徘徊し、遂には下水道へと迷い込んでしまった。
空腹で殆ど体力の無かった猫は、そこでの生存競争に勝てず、哀れにも餓死した。
死体を漁る鼠や虫に荒らされていないのは、丁度その真上辺りで暴れた人造魔人の魔素により、周囲から生あるものが逃げ出したおかげだろう。
それは偶然だったのか……。
その日、地上で馬を暴れさせる原因となった黒い小さな欠片は、誰にも気づかれる事なく馬の鬣から零れた後、行きかう馬車の車輪に跳ね上げられて、道路脇の側溝へ落ちた。
生活排水によって流された欠片が、猫の死体がある下水の本道へ辿り着くのに、それほど時間は掛からなかった。
汚水に流されていた黒い欠片は猫の死体に近づくと、まるで意志を持った生き物のように水から浮かび上がり、歓喜の光を発しながらその死体へと埋まっていった。
黒い靄が闇に交じり、ゆっくりゆっくりとその死体に集まってゆく。
破壊された人造魔石は、死んではいなかった。
「ミリアム、お前、髪染めろ」
「はい?」
突然の言葉に、ミリアムは目を白黒させ首を傾げた。
「お前のピンクの髪、目立つんだよ。だから染めろ、亜麻色とか、茶色とか」
「いえっ、何ですか急にっ!? 意味わかりませんっっ」
シリューは何も答えず、顔を背ける。
「って、それならシリューさんの黒髪だって結構目立つじゃないですかっ!!」
ミリアムの言う通り、黒髪の人間は数が少なく割と目立つ。そしてピンクの髪もそれ程は多くなく、色合いからかなり目立っていた。
「じゃあ、こうしよう。2人で染めよう」
「ますます意味がわかりませぇん!!」
要するにシリューとしては、ピンクの髪の神官と一緒だと、自分が深藍の執行者だとバレてしまうのが面倒だったのだ。
「それならそうと言って下さいぃ」
「言ったろ?」
「言ってませんよっ!?」
先ほどの『深藍の執行者』の件で、シリューは相当ダメージを受けていた。
「じゃあ、帽子、帽子を被るっていうのはどうですか?」
「ダメだ、帽子被ったって、お前相当の美人だしスタイルいいから結局目立つ」
「え?」
ミリアムはまるで突風に煽られたように硬直する。これはある意味、言葉の暴力だ。あまりにストレートで頭がくらくらする。
「あ、あのっ、あのっ」
湯気が出るのでは、と思うほど顔を真っ赤にして、ミリアムはバタバタと両手を振った。
「ど、どど、どうしちゃったですかっシリューさんっっ」
「いや、お前こそどうした? 顔赤過ぎだろっ」
シリューには全く自覚がなかった。
「し、しりゅーさぁんっっ」
その後10分、2人とも収拾がつかなかった。
「……いや、なんかごめん……どうかしてた、って言った事は、ホント……」
「は、はい……あの、それは、はい、ホントに……舞い上がっちゃいました……」
並んで歩きながら、2人は落ち着いて考える。大事なのは、今後調査を行う際になるべく目立たないようにする事だ。
『深藍の執行者』の噂は知られていても、シリューの顔を知る者は少なく、街中では例のコートは着ていない。となれば問題はミリアムの方だ。黒の法衣に腰まで届くピンクの髪は、遠くからでもよく目立つ。それに神官がうろうろしていれば、人々の目を引くのは必至だろう。
「……なるほど、じゃあどうしましょう? あの、私を置いてくっていうのは、嫌ですよ……」
ミリアムは眉をひそめ、隣のシリューを横目でねめつける。以前置いていかれそうになったのを思い出したのだ。
「いや、これからでかい屋敷を全部調べるんだ。男1人じゃ、不審者と思われるだろ?」
これも以前、誘拐犯のアジトを調べた時と同じ理屈だ。建物の中を探査に掛けるには、視線を対象に固定しておく必要がある。男が1人なら不自然に見えるだろうが、男女2人のカップルなら、上手く誤魔化せるはずだ。ただし、法衣では目立ちすぎてしまう為、私服に着替えた方がいいだろう。
「ですねっ、そうすれば恋人どうしか、若い夫婦に見えっ……いえっあのっっ」
「ああっいや、そ、そうなんだ。その方が怪しまれないっていうか、自然っていうか、ほら、なっ」
大した事のない言葉を必要以上に意識して、慌てふためく2人だった。
「あ、で、でも……」
ミリアムはもじもじと脚を擦り合わせ、顔を伏せる。
「……私っ、私服は、ちょっと……」
休日でもほとんどを支給された法衣で過ごすミリアムは、下着以外の私服を1着しか持っていなかったし、今まではそれで十分だった。
「わかった、とにかく行くぞっ」
「あん、待って下さぁい」
すたすたと硬い動きで歩きだしたシリューを、ミリアムが追いかけて横に並ぶ。
「あの、どこへ行くんですか?」
「お前の服を買いに行く」
当然何処かの屋敷という答えが返ってくると思っていたミリアムは、シリューの言葉にアーモンドの瞳を大きく見開く。
「え? あのっ、わ、私っ……お金が……」
ミリアムは眉をハの字にして、困ったような表情を浮かべた。
「わかってる、必要経費だ、心配するな」
「ちょっ、えええ?」
シリューは、比較的高級な店を選びミリアムの服を見繕ってもらった。
「し、シリューさぁん、もっと庶民的なお店にしましょうよぉ……」
値札を見たミリアムが青ざめた顔で縋ったが、シリューはきっぱりとはねつけた。
「いいか、作戦はこうだ。まず、俺たちは裕福層の若い、ふっ、ふ、夫婦、でっ、2人で住む屋敷を新築する為、実際の建物をいろいろ参考にしてる、って見えるようにするんだ」
シリューは店員に聞こえないよう、ミリアムの耳元に口を寄せる。
『夫婦』の部分がどもってしまうのは、思春期の高校生には仕方が無い事だ。
「なるほどっ。若い、ふっ、ふっ、ふふ、夫婦ですねっ……わかりましたっ」
ミリアムが同じ言葉にどもり、頬を染め僅かににやけたのは、耳元でささやくシリューの声がこそばゆかったからだけでは無い。
とりあえず何着かを試着して、その中から三着を選ぶあいだ、ひそひそと店員同士が囁きあう声に『深藍の執行者』が含まれていたが、シリューは気付かない振りをした。
「あのぅ、ど、どうですか?」
試着室のカーテンを開けて、ミリアムが恥ずかしそうにも、申し訳なさそうにも見える表情で尋ねた。
フリルのキャミソールワンピースは、ミリアムの髪色に合わせたラベンダーグレイ。インナーに白のカットソーを着込む事でカジュアル感を残し、ミニ丈から覗くガーターとレースストッキングが、大人っぽさと同時に少女性を演出している。
「あ、うん……」
髪色を目立たなくする為、後ろで三つ編みに纏め、少し大きめのベレー帽を被る姿はいつもより知的にも見え、シリューは思わず見とれてしまう。
「あ、ああ、似合ってる。ちょっと、びっくりした……」
そのシリューも当然、上流階級に見えるよう白いシャツにアスコットタイを合わせ、黒のジャケットスーツに同系色のボーラーハットといういで立ちだった。
「……シリューさんも、あの、素敵です……」
ミリアムは口元に手を添え、伏し目がちにシリューを見つめる。
「お二人とも、本当にお似合いですよ……はぁ……噂以上です」
羨望の眼差しで手を組み、溜息交じりに零した女性店員の言葉に、シリューは顔をひきつらせたが、ミリアムの方はまんざらでもなく、照れ臭そうに頬を染めるのだった。
噂の内容について、シリューは敢えて考えない事にして、そそくさと支払いを済ませ店を出た。
自分の給料の2ヶ月分を軽く超える合計金額に、ミリアムが目を回したのは余談である。
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