【第84話】憂慮

「魔族……?」


 シリューは、この世界に来て初めて耳にするその言葉に、眉をひそめ反復するように聞き返した。


「魔族……とは言っても、同一の種族という訳ではありません。彼らは、千年以上前、ダークエルフ、獣人族、人族の一部が寄り集まって出来たと言われています」


「千年……、一体なんのために?」


 シリューの問いに、ミリアムは顎に拳をあて、しばらく目を閉じて逡巡したあと、意を決したように目を開き顔を上げた。


「これは……今のところ公にはされていないんですけど……」


 だから公言はしないでほしい、と前置きして、ミリアムは話し始めた。


「1500年前、神と戦い“ 反逆の勇者 ”と呼ばれた、3代目勇者の時代です……」


 どくんっ。


 シリューの心臓が大きく脈打つ。


 その話はすでによく知っている。出来れば2度と聞きたくないと思っていた話だ。


「でも、彼が戦い滅ぼしたのは善なる神ではなく、この世の生きとし生けるもの全てを絶滅せんとした、史上最悪の『魔神』だったというのが、教団の正式な見解です」


「魔……神……」


 背中を冷たい汗がつたい、息が苦しくなる。シリューはミリアムに気付かれないよう、血の気の引いた顔をそっと背けた。


「魔神の力は大災厄を遥かに上回り、戦いが終わった時、世界の半分が壊滅して、自然の力を司る神龍4柱のうち、白龍、赤龍、黄龍が失われたそうです」


「……そ、それで……その事と、魔族が、どう関係するんだ?」


 シリューはちりちりと焼付くような痛みを感じ、胸に手を当てる。


「シリューさん? 気分、悪いん……」


「触るなっ!」


 シリューの顔色が悪い事に気づいて、そっと肩に伸ばしたミリアムの手を、シリューは慌てた様子で払い除けた。


「あ、ご、ごめんなさいっ」


 今までに無いほどの拒絶に、ミリアムは驚いて手を引き一歩下がる。


「あ、いや、ごめん。違うんだ。話を続けて……」


「は、はい……魔族、とは、その魔神を信望する者たちの総称で……」


 1500年前に魔神が現れ世界に戦いを挑んだ際、闇に落ちダークエルフとなったエルフ族や虐げられた獣人族、更には差別の対象となった人族までもがかの神の下に集い、新たな力を与えられて世界への復讐の狼煙を上げた。


 彼らは魔神が滅んだ後、散り散りになって一度は消滅したかにみえたが、再び一つに集まり、その子孫たちは今も世界のあらゆるところで暗躍し、戦いを挑み続けている。


「一体……何が、目的なんだ?」


 ミリアムは真っ直ぐにシリューの目を見つめる。


「これは、教団でも一部の人にしか知らされていないんですが……」


 そして、ゆっくりと語られたミリアムの言葉は、シリューにとって受け入れがたいものだった。


「魔族の目的は……、です」


「ま、魔神、の……復活……」


 どくんっ。


 再びシリューの心臓が跳ねる。


 いままで、あえて考えなかった、忘れようとしていた出来事。


 5人目の召喚者。勇者たちへの呪い。そして……


 ただ、ソレスでの話を聞く限り、彼らの呪いは解除されているだろう。


 だが問題はそこでは無い。


 動悸は早まり、息を吸えない。


「く……」


 龍脈からどうやって復活出来たのか。生々流転というギフトの力、と思い込むように努めてきた。しかし、本当にそうなのだろうか。


 手に入れた力、超強化された身体能力。そして無視しようとしてきた重要な事実。


 復活したあと、何故か消えていたもう一つのギフト『覚醒』。


 単に消えただけなのか、能力に目覚めたから無くなったのか、それとも……。


「何かに……覚醒、した?」


 何に?


 一体何になる?


 考えられるのは……。


「な、に……かはっっ」


 激しい胸の痛みがシリューを襲う。


 あの時と同じ痛み。そして血とともに流れてゆく命の感覚。


「があぁぁぁ、ああああ」


 耐え切れない痛みに、シリューは胸を押さえ倒れ込む。


「シリューさんっ!! 大丈夫ですかっ!!!」


「ご主人様!! ご主人様ぁ!!」


 また拒絶されるかも知れなかったが、ミリアムは構わずシリューの肩を抱く。


「胸が痛むんですかっ。シリューさん横になってっ!」


「ぐ、うっ、うっ……ち、ちがう……」


 シリューは薄れてゆく意識の中、必死にその考えを否定しようとした。


「シリューさんっ、落ち着いて、大丈夫です」


 少なくとも外傷性の痛みではなさそうだ、だがそうなると、心臓の疾患の可能性がある。ミリアムは、胸を押さえるシリュー手に自分の手を重ね、素早く呪文を唱える。


「閑しずやかなる癒しの光、此処に集い、苛む苦しみを鎮めたまえ。アミーナフェノール!」


 ミリアムの手が輝き、鎮痛の聖魔法が発動する。


「うっ、う……い、や、だ……おれ、は……」


 苦悶の表情を浮かべ喘ぐようにそう呟いた後、シリューは意識を失う。


 5分程で魔法が効いてきたのだろう、表情も和らぎ、息も落ち着いていった。


 ミリアムは魔法をとめ、ポケットから取り出したハンカチで、シリューの額の汗を拭う。


「シリューさん……失礼します」


 ミリアムは、聞こえているはずはなくともそう断り、躊躇なくシリューのシャツのボタンを外した。心臓の疾患なら一刻を争う、恥ずかしがっている場合ではない。治癒術士として、冷静に判断し行動する訓練は十分に受けていた。 


 ただ、それを目にするまでは。


「ひっ……」


 肌着をめくった、シリューの胸の中央よりやや左。丁度心臓の位置に残る、大きな、そして生々しい傷跡。ミリアムは小さく悲鳴をあげた。


「な、何……これ……」


 おそらく剣による刺し傷、しかも明らかな致命傷だ。


「嘘……こんな……」


 ミリアムは慌ててその傷に手を当てた。


 大丈夫、心臓は動いている。


「その傷は、背中にもあるの……」


 ヒスイの言葉に、ミリアムは顔をあげて見つめた。


 胸から背中まで、心臓を貫いた傷。普通なら即死の状態で、治癒魔法も効果は無い。


「どうやって……」


 後の言葉は続かなかった。


 何故こんな傷を負ったのか……。


 どうやって死を免れたのか……。


 どれだけ……苦しんだのか……。


 ……たった、1人で……。


 無意識のうちに、ミリアムの頬を涙がつたう。


 もう一度その傷に手を添える。


 とくん、とくん、と、正常な間隔で鼓動が伝わる。


 心配は無いだろう。おそらく、何かのきっかけで、痛みがフラッシュバックしたのだ。


「ご主人様、大丈夫なの?」


 ヒスイが泣きそうな顔で聞いてくる。


「うん、大丈夫。ちょっと痛みを思い出しちゃったみたい」


 ミリアムは涙を拭って微笑み、シリューの肌着を元に戻す。


「……ご主人様は、時々夜中にうなされているの」


「そうなんだ……」


 どんな事情があったにせよ、あきらかな殺意をもって刺されたのだ、確実に殺すために。何も話してはくれないが、酷いトラウマになっても当然だろう。震える手で、シリューのシャツのボタンを掛けるミリアムの瞳から、大粒の涙が零れる。


「……シリューさん……」


 肩に触れようとして、払いのけられた右手。あれほどの拒絶を示したのも、この傷が関係しているのかもしれない。


 夜中にうなされる程の、辛い出来事……。


「あれ? え?」


 落ち着いてみて気が付いた。ヒスイは、シリューの背中の傷を見た事があるのだ。しかも、夜中にうなされている事も?


「あ、あのっ、ヒスイちゃん? そ、そのっ、シリューさんとぉ……えと、一緒の部屋で、寝てるの?」


 ミリアムは頬を染めて、ヒスイに尋ねた。


「はい、なの。一緒のベッドで寝ているの」


「はわわわわ、そ、そそ、そうなんだ……」


 もはや湯気が出そうなくらいに真っ赤になった顔で、ミリアムは何を想像したのか、身をよじりながら俯いた。


「ひ、ヒスイちゃん、美人、だもんねぇ……そ、そうか……うん……」


 ヒスイは首を傾げた。


「ミリちゃんも、一緒に寝ればいいの」


「みゅっ」


 屈託のないヒスイの大胆発言に、ミリアムは恥ずかしさのあまり、爆発しそうになった。






 泣いているのは、エルフの女性か……。


 真っ黒な雲に覆われ、草も木も枯れ果てた、殺伐の支配する世界。


 神々しい三柱の龍は、今や目の光を失って横たわり、肉の焼けるような臭いと、夥しい死体が大地を埋め尽くす。


 誰も動く者のいない地獄絵図に、透き通るように輝く水色の髪をなびかせ、エルフと思しきその女性だけが立っていた。


 これは夢なのか……シリューは思った。


 自分の目で見ているようで、しかし、同時に自分の背中を俯瞰しているようにも見える。


 心に湧き上がってくるのは、絶望と、憎しみと、渇きと、自分が自分でなくなってゆく感覚と、そして孤独と。


 自分の中に納まりきらない、膨大な負の感情。


「……貴方を、救いたかった……」


 大粒の涙を零し、エルフの女性が手にした弓を引き絞る。ただの弓ではない。その弓から感じるのは、温かい日の光と、柔らかな月の光。


「愛……て……ます……り……」


 とぎれとぎれの言葉。


 そして、放たれた矢が、胸を貫く。


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