【第85話】ぽんこつっ!

「うっ……」


 目を覚ましたシリューの目に、まず飛び込んできたのは、心配そうに眉根を寄せて覗き込むミリアムと、ヒスイの顔だった。


「大丈夫ですか? 痛くないですか?」


 ミリアムは労わるような優しい声で、語り掛けた。


「……あ、ああ、ごめん……俺、気を失ってたのか……」


「はい、いきなりだったので、ちょっとびっくりしちゃいました」


 そう言いながらも、ミリアムは柔らかな笑顔を崩さなかった。


「ホントに、ごめ、ん……?」


 そこでシリューは不思議な事に気付いた。覗き込むミリアムの顔の半分が、彼女自身のたわわな胸に隠れている。


「あ、れ?」


 角度も微妙、目の前の双丘がやたらと近い。それに、後頭部に感じるこの柔らかさ。


 シリューは右に頭を動かす。目の前にミリアムの上着のお腹が見える、もちろん胸も。次に左を確認する。当然のように見える、ミリアムのつま先。


「あんっ、くすぐったいです、やだっシリューさん動かないでぇっ、やんっ」


「あ、ご、ごめんっ」


 場違いな艶っぽい声をあげるミリアムに、シリューは慌てて起き上がろうとした。


「急に起き上がっちゃダメですよ? もう少し横になってて下さい」


 ミリアムは、そんなシリューの肩をそっと押さえて膝枕を続ける。


「あ……うん……」


 促されるまま、力を抜いて膝に頭を預けたシリューの髪を、ミリアムは優しく撫でつけ微笑んだ。


「素直でよろしい。たまには、お姉さんの言う事を聞いてくださいね」


 そう言って顔を寄せ髪をかき上げたミリアムの笑顔が、やけに眩しく見えたのは、たぶん逆光のせいばかりではない。


「なあ……俺、どのくらい寝てた?」


「そうですね……ほんの2~30分くらいだと思いますよ」


 それは、ミリアムのさりげない嘘だった。


 日はもう随分高い位置にある。早朝に街を出て、最初の魔法陣跡に辿り着くのに1時間と少し。調査して倒れるまで30分程度として、あれから2時間近くは気を失っていた事になる。


 ミリアムはそれでも、シリューが気を使わなくて済むよう、そんな嘘をついたのだろう。


「……ずっと……こうしてくれてたのか?」


 シリューは、自分が柔らかい草の上に寝かされている事に気付いた。


「はい、あ、でも、迷惑でしたか?」


 ミリアムは、寄りかかる物もないこんな場所で、シリューに自分の影が落ちる角度で、2時間近くもこうしていたのだ。


「……ごめん……疲れただろ」


 シリューには、ミリアムがそこまでしてくれる理由が分からなかった。


 ミリアムは口元に手をあて、くすっ、と笑った。


「どうしちゃったんですか? さっきから謝ってばっかり。何か変ですよシリューさん」


「変……? か……」


 そう言われる理由も、よく分からない。


「はい。……でもシリューさん……とってもかわいいです」


 きらきらと笑うミリアムの顔を、まともに見る事が出来ず、シリューは思わず目を背ける。


「ばっ、な、何お姉さんぶってるんだよっ。もう起きる!」


「あんっ」


 そして、ミリアムの手を振りほどき、やにわに立ち上がった。


 少しだけふらついたものの、もう痛みも無い。


「ほら、昼までに残りの2カ所も調べるぞ」


 シリューはミリアムに背を向けたまま、それでも自然に手を差し伸べる。


「はい……」


 ぶっきらぼうでも、何気なく気遣ってくれる。以前なら考えられない事だったし、シリュー自身は気に留めていないのかもしれない。それくらい小さな変化だったが、ミリアムにとっては心が弾んでしまうくらい、大きな変化だった。


 ミリアムは差し伸べられたその手をとり、ゆっくりと立ち上がった。






 残った2カ所は、1カ所目の情報を基に【探査】を使い、それ程時間をかけずに辿り着く事が出来た。


 予測した通り、1カ所目と全く同じもので、魔力の残り具合から、より新しいものとより古いものである事が分かった。更に、新しいものは、1週間以内に使用された事も判明した。ただ、転移元や転移先は、使用されてから時間が経ち過ぎていたため、一番新しいものからでも、大まかな方向、森の外へ向かっているとしか分からなかった。


「……って事は、あの日ランドルフに会ってた奴が、これを使った可能性が高いな……」


 そして、ランドルフに会うため、少なくとも3回は転移を使ってこの森に入っている。


 シリューは腕を組み、大きく息をついた。


「ランドルフは……魔族と繋がってたって事ですか?」


 眉根を寄せ、不安げな表情でミリアムが呟く。


「三大王家の関係者でないなら……そうなるだろうな……」


 ただ、相手が魔族だったとして、一体何が目的で魔力の高い者を集めていたのか。自分たちで手を下さず、野盗団に誘拐させ、金を払って取引していた点も気になる。更に、モンストルムフラウトの存在。誰が何のために渡したのか。


「……まてよ……やっぱり……いや、うん……」


 ここで考えても、これと言った答えを導き出す事は出来なかった。


「……はあ、コーヒーが欲しい……」


 シリューは溜息まじりに呟いた。


「え? 何ですか?」


 よく聞き取れなかったミリアムが、首を傾げる。


「いや、こっちの話だよ……とりあえず、昼にしようか」


 シリューは適当な場所を選び、ガイアストレージから出した屋外用のシートを広げた。料理のための材料や調味料、道具等もまだたっぷりと保存してある。適当に肉でも焼いて食べるつもりで、準備を始めようとしたシリューに、ミリアムが少し頬を染めて声を掛けた。


「あの、シリューさん。それもいいんですけど……実は、お弁当を作ってきたんです。よかったら、一緒にたべませんか?」


 ミリアムは自分のマジックボックスから、持ち手のついたバスケットを取り出し、目の前に掲げた。


「わざわざ作ってきてくれたのか? じゃあ遠慮なく頂こうかな」


「はいっ、そうしてくださいっ」


 シートに腰をおろしたシリューの向いに、ぺたんっと正座したミリアムが、バスケットの中身を広げる。中身はサンドウィッチだった。


「シリューさん、茸って大丈夫ですか?」


「ああ、大丈夫。基本的に好き嫌いは無いかな」


 ちょっと珍しい、茸のサンドウィッチを手にとり一口頬張る。


「うん、美味しい。なんか、流石って感じだな……」


 使ってある茸は2種類。エリンギとブラウンマッシュルームに似た物を、オリーブオイルらしきもので炒めてあり、細い茎野菜と挟んである。独特のこくと茎野菜の辛みが程よく混ざり合って、パンとの相性も抜群だ。


「あ、ありがとうございますっ。沢山ありますから、遠慮しないでくださいねっ」


 ミリアムは満開の花のような笑顔を浮かべた。


 色々と残念な少女だが、料理だけは上手だ。それだけはシリューも認めざるを得なかった。


「あ、そうだミリアム。知ってれば教えて欲しいんだけど……」


 シリューはふと思った。神官なら、公の場に出る事も多い筈。正式なマナーにも詳しいのではないか、と。


「は、はい、何でしょう?」


 改まって、シリューが自分に教えを請いたいなど、初めて耳にしたせいで、ミリアムは少し驚いてしまった。


「実は、貴族のお茶会に、正式に招待されたんだけど……どんな服で行けばいいんだろ」


「お茶会ですか……正式なご招待なら、やっぱり礼装で行くべきだと思います」


 ミリアムは指を頬に当てて頷いた。


「礼装か……どうしよう……」


 ある程度予測はついていたが、今から明日のお茶会に間に合う筈もない。


「あ、私ので良ければお貸ししますよ?」


「え?」


 どういう意味だろう。というか意味が分からない。


「シリューさん、わりと華奢だから、頑張れば入るんじゃないかなぁ」


「おい」


 言葉通りの意味だった。


「あ、でもでも、下着は……恥ずかしいから、返さなくても……」


「待て……」


 おかしな具合に話が向かっている。


「そっか、新し目のなら、大丈夫です?」


「大丈夫じゃないわ!! お前恥じらいどこ行ったっっ」


「え?」


 ミリアムはきょとんと首を傾げ、シリューを見つめた。


「え? じゃないっっ! お前っ、言ってる意味わかってんのかっっ!?」


「え、だから、私の服をシリューさんに貸すっていう……」


「……っていう話じゃないわっ! アホかっ、何で俺が貴族のお茶会に、女装して行く話になってるんだよっ。モロ変態だろそれっ!! しかも下着までって完璧すぎだろ!!! 完璧な変態だわそれっっっ、俺の人格根底から崩れ去るのがありありと目に浮かぶわ!!!」


 一気にまくしたてるシリューに、ミリアムは頭をおさえて蹲る。


「し、シリューさんっ、そんなに怒らないで下さいぃぃぃ」


 思いっきりツッコんだおかげで、いくらか落ち着いたシリューは大きな溜息をついた。


「……ったく、どう解釈すればそうなるんだ?」


「はい……私も、ちょっと変だなぁとは、思ったんですぅ……」


 そう言いつつ、ミリアムの目は微妙に泳いでいた。


「はあ、せっかく料理での加点が、一気に台無しだな……」


「そ、それは、その……」


 シリューはジトっと半開きの目で、ミリアムを見つめた。


「ああ、やめてっ、そんな、可哀そうな小動物を見るような目で見ないでくださぁいぃぃ」


「ホント……ポンコツじゃなきゃ、お前相当もてるはずなのにな……」


「むっ」


 肩を竦めたシリューの言葉に、ミリアムはぷいっ、と顔を背ける。


「……ポンコツじゃないもん……」


「そう思ってるのは、お前だけだな」


「みゅうぅぅ」


 それ以上言い返せず、口をへの字に曲げて押し黙るミリアムは、やがて小さな声で呟いた。


「いいもん、ポンコツでも、優しくしてくれる人はいますもん……」


 俯いてもじもじと身をよじるミリアムに、シリューは安心したような表情を浮かべた。


「そうか、なら安心だな。貴重だからその人の事、ちゃんと大事にしろよ」


 涼し気に笑う、いつもの笑顔。


 だが、平然と言ってのけたその態度が、無性に腹立たしく思えて、ミリアムは思わず問いただす。


「それ、本気で言ってます?」


「おいおい、俺だって場はわきまえるさ」


 本気で言っている。100%本気で。


「……シリューさん……ひとつ言っていいですか?」


 ミリアムは、頬を赤く染め、上目遣いにシリューを睨んだ。


「ん?」


 そして一言。


「このっ、ぽんこつっっ!!」


 森の木々を揺らす様に、乙女の怒りの言葉が響いた。


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