【閑話】いつかの世界どこかの未来(後編)

 幸いあちらこちらに瓦礫が転がってはいたものの、地下へと続く通路が塞がれている事はなく、四人はすんなりと龍穴の間へとたどり着いた。


 爆風で内側から扉の吹き飛んだ入口を抜け、まずは直斗が抜剣し龍穴の間へと飛び込む。立っている者がいない事を確認し、有希たち三人が後に続く。


「姫! レスターさんっ、エマーシュさん!!」


 パティーユが仰向きに横たわり、そのすぐ傍にレスターがうつ伏せで倒れている。レスターの背中には大きな傷があり、何かの衝撃からパティーユを庇ったのが見て取れた。


 二人から少し離れた所に、エマーシュは左半身を上に向け倒れており、左腕と左脚はズタズタに切り裂かれていた。


「有希! 姫をっ!!」


「任せてっっ!」


 直斗はレスターに駆け寄りながら、パティーユを指差した。


「では、私はエマーシュさんを!」


 恵梨香が左半身血まみれのエマーシュの傍に膝をつき、ポケットから取り出した治癒薬ポーションの小瓶を開けて傷に振りかけた。


 パティーユに目立った外傷はなく、重傷を負ってはいるが、レスターとエマーシュも命に別状はなさそうだった。


「う……」


 恵梨香に支えられたエマーシュが意識を取り戻す。


「エマーシュさんっ、穂積です、分かりますか?」


「あ、ええ、穂積様……」


 エマーシュは薄っすらと目を開き、震える声で答えた。


「いったい何があったんですかっ?」


「……魔族……の、襲撃で、す……殿下は、殿下はご無事ですか……」


 何とかパティーユをみつけようと、エマーシュは焦点の定まらない目を必死に左右に巡らせる。


「大丈夫、意識は失っていますが、レスターさんが庇ったのでしょう。特に怪我もしていません」


 恵梨香の言葉に安心したのか、エマーシュは一瞬表情を和らげたが、すぐに険しい顔に戻り、恵梨香の手を強く握った。


「あ、明日見……様、が……」


「え? 何ですか?」


 エマーシュの声は小さすぎてよく聞こえなかった。


「ねえっ! 僚くんはっ? 僚くんはどこっ!!」


 悲鳴にも似たほのかの叫び声が、未だ土煙の舞う龍穴の間に響いた。


「何でっ? 何で僚くんがいないの!」


 直斗と有希が顔を見合わせて立ち上がる。


「落ち着け、ほのか! 爆発に巻き込まれたんだっ、きっとどこかに……」


「ひぃっっ!」


 直斗の声に、有希の悲鳴が重なった。


「どうしたっ有希!!」


 直斗が目を向けた先で、有希が片手で口元を覆い、わなわなと震えながら、もう片方の手で床を指差していた。


「おい、有希っ」


 有希の指さした床にあったもの。それは大量に飛び散り、水をまいたようにひろがった血だまり。そしてその血の跡は、龍穴へと続いていた。


「な、何だ……これ……」


「あ、ああ……」


 直斗もほのかも、その血だまりを見て動きが止まる。


 それが誰のものか、そしてどうなったのか、想像出来てしまったのだ。


「エマーシュさん、明日見さんはっ、明日見さんはどうしたんですかっっ!」


 恵梨香は、いつもの冷静さを失い、思わず叫んでしまった。


「明日見様、は……魔族と、相討ちに……龍穴へ、落ちて……」


「いやあああああああ!!」


 有希は両耳を塞ぎしゃがみ込む。


「……嘘……」


 失神して倒れ込むほのかを、直斗が咄嗟に支える。


「くそっ、マジかよっっ。明日見っ、明日見っっ!!!」


 直斗の叫びが、龍脈へと消えた僚に届く事はなかった。


◇◇◇◇◇


「えっ、えっ、えぐっ……」


「う、ぐすっ」


 静かな部屋に、ほのかと有希のすすり泣く声だけが響く。


 誰も口を開かない。


 テーブルに置かれた、僚の遺品。


 教科書の入った黒いバッグ。サブバッグには体操服にスパイク。そして化粧箱に入れられた、ローズクォーツのペンダント。


 たったそれだけが、僚のいた証。


 初めて経験する仲間の死。


 直斗はそれを、ただ漠然としか考えていなかった。直斗だけではない、有希もほのかも恵梨香も、現実の死をすぐ隣にあるものだとは思っていなかった。


「申し訳、ありません……我々二人がいながら、みすみす明日見殿を……」


 レスターとエマーシュが、よろりと揃って立上り頭を下げる。二人とも治癒魔法によって傷自体は治っていたが、消耗した体力までは回復していない。


「いえ、レスターさんたちのせいじゃありませんよ」


 まっすぐな直斗の眼差しに、レスターは心が痛んだ。


 コンコン、とドアをノックする音に続き、失礼します、と入ってきたのは、硬い表情を浮かべたパティーユだった。


「姫っ、大丈夫なんですか?」


「殿下っ」


 直斗の言葉は純粋にパティーユを気遣ってのものだったが、エマーシュのものは単にそれだけではなかった。ただ、それに気付いた者はレスター以外にはいない。


「皆様に、お話ししなければならない事があります……」


 パティーユは姿勢を正し、眉根をよせ、今にも泣きだしそうな表情で話し始めようとした。


「龍穴の、間……、り、りょ、う……わ、た、し……かっはっ」


 だが、言葉らしい言葉を発することなく、苦しそうに蹲り喉を押さえた。


「殿下!」


 エマーシュがパティーユの傍に駆け寄り、そっと肩を抱く。


「私がっ、りょ……、あっ……」


「無理をなされてはいけません。さ、殿下、こちらへ……」


 エマーシュはレスターへと目配せをして、パティーユとともに部屋を出ていった。


 パティーユの姿を目の当たりにして、それまで泣いていたほのかと有希も涙を拭いて顔をあげた。


「辛いの……私たちだけじゃ、ないんだね……」


「うん……」


 ほのかの言葉に、有希も頷いた。


「……レスターさん、魔族っていうのは、どういう連中なんですか……」


 重い空気を破り、口を開いたのは直斗だった。


「魔族、と言っても種族という訳ではありません……」


 魔族とは、魔神を信望する者たちの総称であり、雑多な種族で構成されている。1500年前に魔神が現れ世界に戦いを挑んだ際、闇に魅入られダークエルフとなったエルフ族、虐げられた獣人族、そして差別の対象となった人族がかの神の下に集い、新たな力を与えられて復讐の為の牙をむいた。


 彼らの子孫たちは魔神が滅んだ後も表に裏にと暗躍し、世界に戦いを挑み続けている。


「何のために……そんな……」


 恵梨香が眉をひそめ呟いた。魔神の求めたものは全ての命の滅亡、ならばその先に一体何があると言うのか。


 レスターは無言のまま首を振る。


「……そんなに滅びが好きなら……俺がそいつらを滅ぼしてやるっ、最後の一人まで、徹底的に! その為に俺はっ、俺たちは強くなる!!」


 拳を握りしめて叫んだ直斗の誓いに、ほのかも有希も恵梨香も力強く頷いた。


 悲しむ時間は終わった。


◇◇◇◇◇


「何をしたのです……エマーシュ」


 エマーシュに支えられ自室に戻ったパティーユは、ベッドに腰を下ろすなりエマーシュを睨みつけた。


「殿下……」


「この、この腕輪ですね。一体私に何をしたのですかっ、答えなさいっエマーシュ!!」


 パティーユは金の腕輪のはめられた左腕を、エマーシュの目の前に突き出す。


「申し訳ございません。今回の件について、一切の発言や伝達を制限させて頂きました……」


 大きく目を見開き、パティーユは腕輪とエマーシュ、交互に目を向ける。


「な、何という事を……。真実を伏せて彼らを騙すというのですか……」


「はい……」


 パティーユの手は震えていた。


「そんな事が、許されると? 僚を殺したのは私なのですよ? それを、それを……善良な振りをして、彼らの心につけこめと? ふざけないで!!」


「お言葉ですが殿下っ。今事実を伝えたとして、果たして彼らは納得するでしょうか? いえ、形の上では納得しても、我々やこの世界に対して必ず不信感を抱くでしょう。そのような状態で、大災厄を乗り越える事は出来ません」


 確かに、エマーシュの言う事は正しいのかもしれない。だがパティーユには到底受け入れる事はできなかった。


「それは、詭弁です!」


「そうかもしれません……ですが、大災厄を乗り越えるためには、勇者様方と我々との強固な信頼関係が不可欠なのです。そしてそれが、彼らを無事元の世界へ戻す、唯一の方法でもあります」


 直斗たちを元の世界へ帰す帰還のゲートは、大災厄が終わった後、主神エターナエルの力で開かれる。


「ご理解いただけませんか……パティーユ様。レスター殿も、私も、心は常にパティーユ様と共にあります。……全てが終わった後、罰を、受けましょう……」


 エマーシュの言い分は理解出来た。だが心が、感情が、その意見を受け入れる事を拒む。


 覚悟は決めていた筈だった。それなのに、罪の意識はパティーユの全てを呑み込み、生きる気力を奪っていた。


「……下がりなさい、エマーシュ」


 それが精一杯の言葉だった。


◇◇◇◇◇


 夜も深まった頃、パティーユは一人訓練場に立っていた。


 部屋は監視されていたし、今も姿は見えないが何人もがパティーユを監視しているのだろう。


「……私は、死ぬ事も出来ないのですね……」


 パティーユは訓練場の隅のベンチに腰を下ろす。そこは、僚が怪我をしたあの夜から、毎夜二人でお喋りをした思い出の場所。


 パティーユが座ると、必ず一人分の隙間を空けてしまっていた僚。


「……僚……私は……生きていたくありません……」


 どれほど流しても涙が枯れる事はなく、後から後からその頬を伝って落ちる。


 パティーユは夜空を見上げ神に祈った。今すぐ、罰を与えて下さい、と。


 だが、その祈りに答える声はなく、パティーユは立ち上がり思い出の場所を後にする。もう罰は与えられているのかもしれない。もがき苦しみながら、生き抜くという罰を。


 その夜、パティーユは不思議な夢を見た。


 全てが白く輝く霧に包まれた世界。


 ぼんやりと目に映る、見た事も無い部屋。見覚えも無い筈なのに、なぜか懐かしさを感じるその部屋で一人ベッドに横たわるパティーユ。


 いやよく見ると、逆光で顔ははっきりと分からない一人の男性が見下ろしている。


 横たわるパティーユの右手を、しっかりと両手で包み、夢であるにもかかわらず、力強さと心を満たす温かさが、その男性の手から切ないほどに伝わってくる。


 白い光と静寂の中、パティーユは訴えるように何かを口にした。音の無い世界で、それでも男性が何事かを答える。


 話した内容は分からない。だが、最後に笑ったパティーユに、その男性も笑ってくれた気がした。


 心地よい夢はそこで終わり、窓から差し込む朝の光に、パティーユは現実へと引き戻された。


「殿下、お目覚めですか……」


 侍女の代わりに立っていたのはエマーシュだった。


「……エマーシュ」


 嫌味の一つも言ってやろうと思ったが、なぜかそんな気分にはならなかった。


 あの夢のおかげだろうか、心が少し穏やかな気がする。


 パティーユはベッドから起き出て、陽光のさす窓へと歩いた。


「……不思議な、夢を見ました……」



「夢、ですか……?」

 どうして話そうと思ったのか、理由は分からない。だが、自然と口にしていた。


 あの男性が最後に言った言葉。


“ 約束 ”


 顔は分からなかった。だが握った手の温もりと伝わってきた感情、あれは間違いなく僚だった。


 ただ、あれが僚なのなら、なぜ彼は約束と口にしたのだろう。


 この世界では、もう永遠に失われてしまった未来だと言うのに。


「……もしかしたら……私たちのこの世界や、僚たちのいた世界があるように、いろんな世界があるのかもしれませんね……」


 平行世界の考えは何代目かの勇者が伝えたものだ。


「そして、その世界の一つに、私が、僚の隣に寄り添う……そんな世界が、あるのかも……」


 パティーユの頬に涙がつたう。


「その世界で、私は……幸せに笑っているのかもしれません……僚と、私が……」


 もはやそれは、パティーユの願望でしかなかったが、エマーシュは微笑んで頷いた。


 パティーユは窓の外に広がる空を見上げ涙を拭った。


「僚……私はまだ死ねません。大災厄を乗り越え、日向様たちを無事に送り帰すまで。……でも、それが終わったら、貴方のもとに謝りに行きますからっ、その時は、どうか、どうかっ、私を……私をっ……」


 許される事は無いだろう。


 分かっていてなお、それを望まずにいられなかった。


 ただ傍に寄り添う事を……。


 たとえそれが、身勝手な我儘だったとしても。


 いつかの世界で止まってしまった時間が、何処かの未来に向かって動き始めた。

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